第26話
『結構な規模ダロ?』
「想像以上です。しかし、テオリューシア王から離れて、良かったのですか?」
『見えなくたって問題ねぇだろ。アイツには俺様以外にも、多くの眼があんじゃねぇか。』
屋根の上、そこから見下ろすバルコニーでは、三大侯爵とエミオールが話に花を咲かせている……いや、もっぱらエルガオン侯爵とエミオールだが。
『オマエは国に帰んねぇの?』
「暫くは。もしくは、生涯の終えぬ内は。」
『へっ、泣かせるねぇ。泣く目玉もねぇけどな!』
「……」
どう返せば良いのか伝わらず、ノエルマフは沈黙で応じる。彼の悪魔はそれで気を悪くするほど、自分に関心がある訳では無い事を、彼は知っていた。
『しかし、解せなぇなぁ。何で代償を偽る?』
「間違ってはいないでしょう?」
『まぁ、忘れられないよなぁ?』
ノエルマフの背後に、無数に呻く亡者。彼が今までに、死に触れた者達だ。その死の瞬間の苦痛、無念、遺志。そんなもの集合体、死者の欠片。それを全て、彼は常に感じ、想い、背負う。
囁き、手招き、怨み言で押し潰さんとする者も、その中には多い。隙あらば、死者の時に、過去に彼を縛らんとする。背中に痣が出来るほどに食い込む腕は、命を感じぬ冷たさで重くのし掛かる。
『我ながら悪趣味だねぇ、おい。俺様が選ぶ訳でもねぇが。』
「貴方の潜在的な願望だと、そう思いましたよ。私は貴方も背負うつもりだった、何時かの亡霊様。」
『……聡明は、時に招かれざる窮地を呼ぶぞ。主は望むや?』
「長年の答え合わせが、出来て良かった。」
『ちっ! おい、エミオール! 気が変わった、行くぞ!』
突然上から降りてきたティポタスに、エミオールは驚いている。が、すぐに抵抗を諦めてティポタスを受け入れた。
一歩踏み出せば、その姿はバルコニーには無い。隙間を消した空間は、王が歩く事は無く、遥か先へ一歩を降ろす。
「……私はどうやって降りろと?」
ティポタスに置いて行かれたノエルマフは、軽率な問答に少し後悔した。
日が暮れていく王都。人々は今日の喧騒を纏いながら帰路につく。昂りの収まらぬ者も、過ぎた喧騒を惜しむ者も、等しく。
そんな人々を眼下に、ソルは王都の高台から身を乗り出していた。
「……こんな所に居た。」
「うん? なんだ、ミゼンじゃないか。」
「探すのに苦労、した。」
「会う約束なんざしてねぇし……文句言われてもな。お前こそどうした?」
王都を一望できるここは、外れの方にある。城の後ろ、北側には何も無く、誰もいない。エミオールが引き出した、マナの間欠泉はある。しかし、それはわざわざ登ってくる程の理由にはならない。彼女の興味を引くとも思えないし、本当にソルを探し続けて辿り着いたのだろう。
「ん、別に。ただモナ……ソルと話したかった。」
「それと関係あるか?」
ソルが指差したのは、ミゼンの持つ木彫りだ。掌サイズのそれは、鳥の親子を象った物。
「……あるような、無いような。」
「そか。」
「……ソルは、お母さんの事、覚えてる?」
「……お前は?」
ミゼンは少しむくれながら答える。質問の答えが返ってこないからだが、話題が話題なので文句は言わない。
「覚えてる。全部、じゃないけど。」
「ん……俺も何となく、だな。明るい人だったのと……最期くらい。」
「……」
周囲を闇が覆っていくが、魔人の二人にはそこまで困ることは無い。むしろ、互いの顔も見えなければ良かったのに、とまで思う。
「それで、何を聞きたかったんだ?」
「その……会っても良い、かと、悩んでて。今は、会って話したい、から。でも、半分は悪魔で、白いままで……疲れて欲しい訳じゃ、無いから。」
今は、ね。とソルは呟く。ソルは彼女の過去は知らない、それでも変わるような何かを思い出したのは、事実だろう。記憶の切っ掛けはいくらでもある。
……いや、解呪の切っ掛け、だろうか。まるで呪いの様に、過去を蝕んでは悪魔に近づける。感情に偏り、支配されるようなそれ。
「それを俺に聞くかぁ……人の親でも無けりゃ、孤独の魔人である俺に。」
「他に聞ける人がいない。」
「クレフとか……は少し違うのか。」
ミゼンの顔を見て、ソルは考える。例えばシラルーナなら、全力で助けるだろう。だが、ソルは魔人を知っている。その糧になる人間も多く。
滅びた村、逃げ出した犯罪者、孤児や捨てられた忌み子。おいそれと、歓迎されない人達だ。おそらく、そういう人の意見を、ミゼンは望んだのだと思った。
「俺は、お前の親を知らないから。何とも言えない。俺自身、一番古い知人は、アルスィアとかじいちゃんだし。」
「既に、会ってる。」
「殺しあったけどな……でも、そうだな。お前が会いたいと思って、それが必要だと感じたら、会う方が良いんじゃないか? 拒まれても、シーナもじいちゃんも迎えてくれるだろ?」
一人じゃない。拒まれても、全て無くなる訳じゃない。
少し無責任な後押しだな、と自虐的に嗤い、ソルは息を吐く。自分の方が、よほど過去に囚われている。
未だに顔の見えない父を追いかけ、復讐の炎を追いかけ。後ろへ、過去へと突き進んでいる。決別の為なのか、囚われているのか。それはこれから明らかになるだろう。
「……そう、なの?」
「シーナは、とにかく甘やかすタイプだから。特に年下は。」
「それは、知ってる。」
「可愛げねぇな、十四才。」
「大人げない、十七才。」
どちらからともなく笑い、ミゼンは言う。
「私は、生きてる。」
「そうだな。」
「……貴方も生きてる、よ?」
「……そうだな。」
少しの沈黙に耐え兼ね、ソルがミゼンを向くと、二人の目が交錯する。ミゼンの左目と、ソルの紫の瞳がぶつかる。
「いなくなったら、シラ姉が泣く。独りじゃない、から。」
「……誰に言われた?」
「貴方の部屋、ケントロン王国の南東、丸があった。甘党に聞いたら、アラストールの被害地区……行く、でしょ?」
「何で俺の部屋……そういや、セメリアス邸の方は鍵が無かったか。」
頭を抱えるソルに、ミゼンは呟く。
「私は変われた、と思う。貴方のお陰でも、ある。魔人として、孤独じゃない生き方の貴方を見た、から。」
「本質は変わってないけどな。」
「変わると思う、そのうち……私は、行かない方が、良い?」
「その為に来て貰ったしな。此方で何かあったら、頼む。」
「ん、頑張る。」
随分と素直なのは、段々と素が出てきたのか、シラルーナの影響か。
どちらでも構わなかった。協力が、今はありがたい。相談に来た後輩に、勇気づけられるとは。少し情けなさも感じるが、それも今はありがたいのだ。
「早く帰って来て、ね? 私も、お母さんに、会いたい……出来れば、着いてきて、欲しい。」
「場所覚えてるのか?」
「……甘党だより。だから、焦る必要は無い、と思う。」
「……頑張れ、送るぐらいならしてやるよ。」
人が引いた頃を見計らい、ソルはセメリアス邸に侵入する。その頃には、マギアレクも帰っている筈だから。
再び魔術師達に囲まれるのは、流石に御免被る。故にこの時間となったが、おそらくまだ起きているだろう。二つの荷物をもって、ソルはマギアレクの部屋の戸を叩いた。
「むぅ? 誰じゃ。」
「よっ、じいちゃん。」
「勝手に入るなら、戸を叩いた意味はあるのかのぉ……」
マギアレクがため息を吐くが、ソルは構わずに椅子に座った。
「それで? 何の用かの?」
「今日は会わなかったろ? 城に行く気もないし。だから今、渡しに来た。」
「ほう? お主もか。殊勝な心掛けじゃのう。」
「凄ぇ事になってるもんな。」
部屋の奥、座ったマギアレクの後ろには、山と荷物が積まれている。ソルはそれを見ながら、マギアレクに近づく。
「じいちゃん、魔力借りるよ。」
「あまり持っていくなよ?」
マギアレクの掌に滲む金色を、ソルは結晶へと変じていく。途中、ソルが握った手を重ね……そこに現れたのは、金色の結晶のレリーフで飾られた、懐中時計である。
「魔方陣仕込みの時計。ケントロンで作られた理論を、再現した奴がいて小型でも正確なんだってさ。魔方陣は「アーツ」で。」
「ほう? 時計もじゃが……魔方陣もここまで小型にするか。」
「触媒合金は加工性悪いから、結晶でないと無理だけど。世界で一つの時計だぜ?」
「お主にしては遊び心あるのぅ。」
嬉しそうに時計を眺めるマギアレクに、ソルはもう一つの包みを渡した。
「む? 懐かしいような木彫りのメダルに……アナトレーの第二席勲章にケントロンの主席騎士勲章!? 何故にこんなものを持っとるんじゃ。」
「貰った。ほら、失くすと困るしさ、じいちゃんが持っててよ。」
「……ふむ、行くのか?」
「まぁね。」
建国祭は、一つの区切りには丁度良い。魔術師の集いでも、テオリューシア王国の戦力は確認出来た。そして、「闇の崩壊」も実用段階までは実践を繰り返すだけだろう。
そろそろ頃合い、ソルはそう考えた。既に動き出したアラストールは、誰かが止めねばならない。それは、自分だ。他の誰でも無く、立ちはだかるのは自分が良い。
「シラルーナから聞いたわい、おそらく復讐の悪魔じゃろう? ……呑まれるな、復讐の為なら止めておけ。」
「多分、大丈夫。失くしたくない物が増えたからな、そっちが大きいよ。」
「ふむ……まぁ止めはせんわい。じゃが、これはお主が持っとけ。実用性があるじゃろ? 失くしたくないなら、しっかりと保管しとくんじゃな。帰って来て、自分で。」
マギアレクに突き返され、再び手に戻ったそれを、ソルはしっかりと握る。塔を出て、テオリューシアにたどり着くまでの半年間。その縁の象徴を。
孤独を乗り越えて、復讐を打倒し……その先は、なんだろうか。しかし、それには縁は何より大切だろう。孤独を振り切る為に。悪魔を止める為に。
「あっ、そだ。シーナのを」
「お主が渡せぃ。儂を使うでない。」
「えぇ……」
「それとの、儂からも餞別じゃ。建国祭じゃからな。」
そういったマギアレクは、一つのグローブを取り出す。右手だけだが、明らかに頑健な魔獣の素材。それに魔方陣が一つ。
「お主の「アーツ」は下地に仕込めばえかろう。表のは炎をある程度、遠ざける物じゃ。常にあると焚き火も出来んから切っとるが、ここを繋げば発動する。火の関係は、からっきしじゃからなぁ、道具で補うとええ。」
「助かるよ、じいちゃん。」
一年近く使ったグローブは、既に少し小さい。外して「アーツ」の魔方陣を付け替える……【具現結晶】なので、付け替えるは適切ではないが。消して、新しく作っただけだ。
古いグローブは、テオリューシアに来るまで着ていた、コートローブと一緒に保管しようと考えた。シラルーナが持っていったので、どこにあるのか知らないが。
「そうじゃ、魔界の件を頼むの?」
「つっても何を知りたいんだよ。」
「魔界の広がり具合と、悪魔の大きな動きじゃな。まぁ、探れたら探る程度でええわい。」
「了解。簡単に資料サンプルと触媒素材くらいは持って帰るよ。っても、来年までに帰れるかも分かんないぞ?」
「構わん。大事になる前ならのぅ。」
そう笑ったマギアレクは、悪戯の成功した子供の様だ。何かあったかとソルは考えたが、特に思い当たらない。気にすることは無いと、ソルは部屋を後にした。