第九話
『ご名答。それぐらいは知っているか。』
「こ、こんな辺境に何のようだ!」
『勇敢なのか、蛮勇に過ぎんのか……はたまた無知か?俺と会話でもしようと?』
男が剣を構えながら問いかけると悪魔が眉をひそめる。人間が悪魔に怯えないこと。分かりにくいが、かの悪魔の場合これは喜んでいるのだ。
怯えられて震えているより、反骨精神に富んだ者はこの悪魔には都合がいい。
『ふんっ、いいだろう。教えてやる。俺は復讐の悪魔。ここを襲ったのは……只の趣味だ。場所にこだわりはない。』
「なっ!?」
怒り、驚愕、絶望、悲しみ。感情に染まる顔を見回し悪魔、アラストールは満足げに頷いた。
『そうだ、たいした理由はない。俺の気紛れでお前達は死に、終わりに直面したのだ。どうだ、俺が憎いか? 人間。』
「っ貴様ぁ!」
片刃の剣を振るいアラストールに斬りかかる男。しかし、悪魔はその男の攻撃を易々とかわす。
『お前は後だ……まずはこの辺りだな。』
悪魔の呟きと一緒に紅い光と熱が届く。男が振り替えると悪魔は手を村人達に伸ばして静止していた。
絶望し、地面に座り込むだけの者。ただ愛しい人を護ることに必死な者。その人たちに、火球が降り注いだ跡。
その中には男の妻の姿もあった。少年の目の前で炎に包まれた女性が崩れていく。当然、その姿は男にも見えていた。
「……***っ!ああぁぁっ!」
『そうだ、いいぞ! もっと俺を憎め! 復讐心に火をつけろ!』
心の折れた者から焼かれていき、残されたものは少なくなっていく。失った悲しみが、どうにもならない現実が、心を折りに来る。
それでも一握りの者は生きている。その胸に復讐の火を燃やし、アラストールを睨む者達は。ある者は剣を、ある者は鉈を、ある者は斧を、ある者は鍬を手に挑んだ。少しでもこの存在に痛みを与えてやりたかった。しかし、悪魔は全て掌の上だとでも言うように攻撃を避けては炎を放つ。
『随分と減ったな、そろそろ終わらせるか。』
「……させない、これ以上、させない。」
『させない? 何を。お前の言葉は何も出来ていない自分を知って言っているのか?』
「それでも、せめて何度でも……お前の前に、立ち塞がって……」
『……火が消えたか。お前ももう要らん。』
この悪魔をどうにかするより、残された我が子を護りたいと願った男。彼は、最後まで悪魔に挑み続けて死んだ。その背中は妙に記憶に刻まれた。
『ん? あれは……つけられていたか。はぁ、此処も回収するのか。残りは……少ないな。まぁいい、アスモデウス様にはベルゼブブ様より守って頂きたいしな。争わん方がいいか。』
そして振り返った悪魔の手が少年に迫り……
「ッ!ハッ、ハァ、あぁ。嫌な夢だな。朝っぱらから憂鬱だっての。」
いつの間にか眠っていたソルは、ゆっくりと体を起こす。既に高く昇る太陽に暖められた地表は、昨晩よりも遥かに過ごしやすい。
くすぶる焚き火の跡を片付けたソルは、山を下り渓谷を越えてオークション会場へと足を運んだ。盆地のようになっているそこは大きなテントがあり、人間や悪魔が入り交じっている。と言っても仲良しこよしといった雰囲気は欠片もなく、お互いに牽制しあい、悪魔はその感情を美味しく戴いている。
悪感情の権化である悪魔は、己の本懐となる悪感情を他人から得ることでその力を増す。基本的に自分本位な悪魔にとって力とは自衛手段であり、弱い悪魔はかなり必死に悪感情を集める……あの頃のアイツもそうだったんだろう、と考えたソルは盛大に顔をしかめた。
「さて、手持ちに金は僅か……まぁ、元々買う気は無かったし、商品を見るくらいなら問題ないよな。」
やけに愛想笑いを浮かべる受付を素通りして中に入る。止められもしないのは全ては自己責任で、と言うことだろうか。少し警戒を強めたソルは会場の入り口に近い席に陣取った。すり鉢状の会場の中央にステージがあり、商品を良くみるため多くは中に降りていく。買う気など端から無いソルが珍しい部類だ。
客が揃ったのか、ステージが照らされテントの中の照明は落ちる。軽く見渡したがやはりマギアレクはいないようである。もしかしたら居るかもしれないと考えていたが、期待は外れた様だ。
「お集まりの皆様、今回もアスモデウス様より下寵されし品々でございます。アスモデウス様の至高の慧眼には止まらねど、皆様のお眼鏡に叶う品々もあるでしょう! まずは、今回の目玉! 白い忌み子の生き血でございます! 十万から!」
「十一万だ!」
「十五万だそう!」
悪魔、人間、多くが手をあげていく。白い忌み子の血は悪魔の魔力を受け入れる媒体となる。良い媒体を持っておけば、核として復活することも、いざというときの為に力を蓄えることもできる。
人間は何でかは知らないが、此処にいるのだから悪魔と取引でもしたい連中だろう。代償を払うより、貢いだ方が良いのだろう。悪魔の契約等というふざけたモノをソルはよく知らないが、代償を貰い願い(欲望等の悪感情)を叶えるという物だ。大概はめちゃくちゃになって終わるため、よく考えて願う必要がある。
「32万! これ以上はありませんか!? では、落札となります!!」
「なるほど、こうなってた訳か……オークションに金がいるってじいちゃんが言ってたの、ようやく理解できた。」
「隣、いい?」
「えっ?」
オークションというものを知れて、頷いていたソルにふと声がかかる。ついでに何か気に入った物でも探そうとしていたソルが振り向くと先程まではいなかった少女が立っていた。薄暗い会場と深いフードで顔は見えないが、黒い外套を羽織った体は小さく細い。高い声も合わさって随分と幼い印象を与える。
「まぁ、いいよ。でもここ見えにくくないか?」
「いい。買わないから。」
「冷やかしかよ。」
「……」
自分の事を棚に上げたソルの発言を無視して、こちらを伺う少女。流石にソルも少し距離をとる。結局何がしたいのか意図を読めない。警戒し、近づきたくは無かった。
「何故、逃げるの?」
「なんとなく、かな。」
「そう。」
不意に立ち上がった少女は、唐突に出口に歩き出す。
「見ていかないのか? というか、俺に用件があったんじゃ?」
「すんだ。さよなら。」
「おい、どういうっ?」
こんなところで意味不明の行動。何かあると感じたソルが慌てて後を追ったが、出口に少女の姿は無かった。辺りにはテントがいくつかあるがどれも商会の物だろう。あの格好で商会のメンバーはないだろう。入ろうとすれば騒ぎの一つでもおこりそうだ。となるとこの先の渓谷に? この一瞬で?
急に飛び出したソルに怪訝な顔を向ける受付の男が何事か問いかけてきて、ソルの思考は中断された。
「どうされましたか?」
「今、ここを人間の女の子が……いえ、何でも無いです。もう帰ります。」
「そうですか。では、今後とも御贔屓に。」
最初から目玉商品を出すのだ。途中で帰る者も珍しくないのだろう。現に少し後ろが騒がしい。
(早々に立ち去るか。けど、さっきの子は……?)
先程は意味が分からずに動転していたが、今考えればおかしいのだ。魔界の中にあるこの地域。相応の魔獣も多く、ソルだって治ったとはいえ、少々怪我を負った場面もあった。
小さな人間の女の子が来られるはずがない。しかし、悪魔ならばソルには分かる筈だ。角と翼が見えなくても、肉体の無い悪魔は魔力が強く感じられる。自身の魔力以外を感知できるソルはそれを感じることが出来る。
(憑代がある、のか? でも、喋ってたし……憑代に入ったら確か物みたいになるって文献が塔に残ってたよな。人間の姿で話せる前例は無い……)
物に宿った時と違い人間や動物の姿は動くため、少し複雑な処理がある。なので話したり瞬きが極端に少なかったりと違和感が出てくるのだ。
(結局、分かんないな……この辺りをもう少し探してみるか。)
目立つことは承知だが、謎のままにしておけない。ソルは「飛翔」で浮き上がり、空へと飛んでいった。
日が暮れ始めようかという頃、ソルは山脈とオークション会場の間にあった渓谷に降り立った。幸い悪魔には襲われなかったが、鳥型の魔獣に数回襲われた。距離を取りやすい空中でなら遠距離から結晶を飛ばせ、結晶を空中に固定させれば進路妨害も出来るソルが有利だったのが救いだ。
しかし、それで意識と時間を持っていかれたのは事実であり、結局彼女は見つかっていない。
「流石にもう見つかる位置にはいないよな……そろそろ帰ろうかな?」
帰りまで飛んでいくと余計なおまけを塔に連れていく可能性がある。歩くしかないのがしんどい所だ。この位置からなら昨晩と同じ位置で夜を越すのがベストだろうか? と考えながらソルが歩き出した時だった。
「お前、7705番か?」
とてもこの世のものとは思えない呻き声が向けられた。