第19話
マギアレクは、自室で金属の球体を弄っていた。球体と言うよりは、欠けた円環の集合体に近いそれは、宙に浮きながらくるくると複雑に回り、組合わさっては姿を変えた魔方陣を見せていく。
「模型ではこんなものか……まぁ実用化は出来んな。儂の生きとるうちは、のぅ。」
頼んだ設計図と共に送られてきたそれは、ただの金属であり触媒ではない。それに、魔方陣も欠けている事も多い。継ぎ目では魔力抵抗が発生するだろうことは想像に難くなかった。第一、並外れた集中力がなくては動かすのも難しい。
そのうち、これの完成形が出来れば、一つで魔法使いに届き得る魔術師になれるだろう。もっとも、意のままに魔術を操れる事は、前提として。と、扉がノックされる。遠慮の無い、しかし控えめに伺う程度の音。シラルーナだ。
「入って良いぞ。」
「はい、御師匠様。その、さっき伝書が。」
「おぉ、ありがとう……ふむ鳥か、急じゃのう。」
手紙の折り目から推察し、マギアレクはそれに目を通していく。
マギアレクが顔をあげると、庭の方から赤い光が届く。シラルーナと共に外を見れば、窓の向こうを一瞬だけ炎が彩った。
「ソルが来たのか。」
「またやってる……」
その窓を開けて、結晶の盾を手の先に浮かせたソルが、部屋に入ってきた。外から聞こえるカークの叫びを無視し、彼は部屋に降り立って窓を閉める。
「よっ、じいちゃん。少し良いかな?」
「返事を聞く前に来とるじゃろうが。」
「……そうだけどさ。話良い?」
「城に呼ばれた。その後でええかの? ……いや、お主も来るか?」
「へっ? そりゃ願ったり叶ったりだけど……良いの?」
ヒラヒラと振る手紙を、マギアレクはその場で燃やす。いつも魔方陣をいくつも忍ばせているのだが、自然体で行使する為に魔法使いとも思える所業。
シラルーナの頭に手を置き、白い髪を掻き回して留守を頼むと、マギアレクはソルを引っ張る。
「ケントロンの事もある。お主の方が知っとろう、強欲の悪魔じゃ。」
「……今から冬だぜ?」
「春までに整える。ええの?」
「はぁ、マジかぁ……」
廊下の窓から飛び出した二人が、城に向かいながら呟く。
マギアレクは風の魔術による飛行なので、「飛翔」に比べるとかなり不安定だが、城の窓に綺麗に入る辺り、慣れを感じた。この不躾な侵入を繰り返しているのだろう。
「マギアレクか。表に回れ、ここは王城だぞ。」
「相変わらず硬いのぉ、ストラティ。早ければ良かろうて。」
「そう言う問題では無い。」
ソルはひっそりと後ろに回り、「無音」を付与して窓から入った。入った窓を閉める頃に、ストラティが後ろを向く。
「ソル殿? 珍しい場所で出会うな。」
「どうも。じいちゃんに連れられて。」
「お主も都合がええじゃろ。恐らく会ったんじゃろ? ノエ……なんとかに。」
「名前くらい、耄碌した頭に叩き込んでおけ。ノエルマフ・プネレウマス卿だ、子爵家の四男らしい。」
「お主も会ってないのか。儂だけかと思うたわい。」
廊下を歩く二人に着いていき、ソルは辺りを観察する。パッと見たところには、別段おかしな点はない。危険な存在かどうか、まだ分からない。
明日の祭くらいは羽を伸ばしたいと思っているので、彼のことは早々に終わらせたい。ソルはいつも以上に、注意深く周囲を見回した。ミゼンの事もあり、アスモデウスが来てもおかしくないからだ。
ソルがそんな事をしているうちに、部屋にたどり着いたストラティが扉を叩く。少し広い、応接室である。
「どうぞ。」
「失礼致します。」
部屋に入れば、既に三人の人物がいる。政治に関わる人材も増えては来たが、未だに重要な会話は少数だ。王が契約者なのも手伝い、慎重にならざるを得ないのだから。
奥に座るエミオールが、ソルを見て片眉をあげる。同時にポイエン・エルガオンが立ち上がり、マギアレクを睨んだ。
「どういう事ですか?」
「ついでに嫉妬も語ろうかと思うての。強欲の件もあるのじゃろう? お客人。」
「私の事とは関係ありませんが、ケントロンを動かしたのは、確かに。勘が良いのですね、賢者マギアレク・セメリアス殿。」
「大袈裟な称号が多いの、ケントロンは。のぅ? 死人語りのノエルマフ・プネレウマス殿。」
「性分でして。」
他国の場所で、随分とふてぶてしいノエルマフだが、マギアレクの態度も大概である。
しかし、マギアレクの情報網はどこから来たのか。ノエルマフが一瞬動揺したのを、ソルとストラティは見逃さなかった。
「取り敢えず、皆座ってくれ。もう知っている様だが、彼がノエルマフ卿だ。」
「ありがとうございます、テオリューシア王。」
そのまま始まった紹介は、ソルの退席は必要ないという事だ。最悪、戦争を避けるつもりも無いが、関係は良好な方が良い。ならば魔人であるソルと、ケントロン貴族であるノエルマフの会合は、遅かれ早かれ必要である。騙す隠すがケントロンに通じるとも思えない。
「ご存知の様だが、彼がマギアレク・セメリアス。我が国を、唯一無二の国にしてくれる協力者だ。」
「西にある時点で、唯一無二じゃがのぅ。」
余計な口を挟むマギアレクに、ストラティが肘を打ち付ける。ポイエンに足も踏まれたマギアレクは、机に突っ伏さずに耐えるのに必死だ。頑丈な人間ではない。
「……あー、その隣の彼がストラティ・アルキゴス。頼れる僕の剣だ。」
「悪魔を討伐した、最初の人間。ケントロンにも噂は届いています。」
無言で会釈を返すストラティに、ノエルマフは言う。思っていたよりも西に詳しい。ケントロンが少なくない関心を持っている、これは危険の兆候か、成長の兆しか。
ノエルマフの表情を伺うエミオールに、彼は振り返って先を促した。
「失礼。彼女がポイエン・エルガオン。生産活動に置いて、彼女は国一番でしょう。」
「エルガオン商会、ですね? かなりの効率を誇らねば、この地であの品は作れない。尊敬しますよ。」
「ありがとうございます、ノエルマフ卿。」
最初は影に潜れば、とさえ考えていたソル。段々と居心地が悪くなった所で、唐突にノエルマフと視線が合う。
「そして、「飛来する結晶」。貴方達がいる。実際に目にした貴方達が、一番情報がありません。不思議ですね?」
「……」
なんと返しても不味い気がし、ソルは無言で会釈を返す。外交、政治。そんなさっぱりな物はまっぴらである。まだ傭兵稼業の方が、性に合う。
「失礼、ソルは儂の弟子での。少しばかり悪魔に詳しいし、そちらではマモンと直接やりおうとる。同席しても大丈夫かの?」
「えぇ、私は問題ありません。テオリューシア王は構いませんか?」
「僕も構わない。知られて困ることも、無いだろうからね。」
しっかりとソルを見る紺碧の瞳、その焦点は合っている。どうやら、ティポタスはいるようだ。昨夜は抜け出していたのに、自由な悪魔である。
「さて、では本題に入っても構いませんか?」
「えぇ、頼みます。」
「テオリューシア王には、昨夜話しましたが……私が来た名目は、南への進軍があり、守りが手薄になること。その為、西の活発化を警戒、テオリューシア王国の発展を手助けせよ、との命です。」
堂々と、目的ではなく名目と良い放ったノエルマフ。ストラティが僅かに椅子を引き、エミオールが視線で止める。
笑ったマギアレクが、先を促した。
「して、目的は?」
「悪魔との繋がりの調査及び監視……だったんですけどね、昨晩まで。」
「だった? 変わったのですか?」
「まぁ……かもしれない。いや、私では無駄、が近いな。相変わらず、瞳が好きなお人ですね?」
エミオールを見つめながら、ノエルマフは呟いた。意味を計りかねたエミオールが、首を傾げる。彼は少し笑った。
「救心教徒としては、悪魔は悪ですが……まぁ教義には、清らかであれ、無欲であれとしか無いですから。悪魔が敵、とはない。」
「つまりは、どういう事ですか?」
耐えかねたポイエンの質問に、ノエルマフはソルを向く。
「イエレアス家を知っているかい?」
「えぇ、まあ。」
「私はディケイオスの友で、悪魔など見たこともない教会の彼に、それを教えたのも私だ。」
「……契、約者?」
ソルが呟いた瞬間に、ストラティが立ち上がる。ハルバードは勿論、腰の騎士剣も無いが、軽く一人を抑える事は出来るだろう。
しかし、彼は次の瞬間には止められた。全身の動きを、押さえつけられてその場に静止した。
『あーあ~、見覚えあると思った。君はあれか、死人の前で泣きじゃくってたガキか。』
「正確には、父の前です。お久しぶりですね、過去の亡霊さん。」
唖然とするポイエンの前で、逆さでノエルマフを除き込む悪魔。ティポタスが抜けて唐突に暗闇が戻り、エミオールは狼狽えている。
「代償はどうしたのかの?」
「単純ですよ、人の死を忘れられないだけです。」
『喪失感か? 少しでも忘れりゃ薄れてく。そりゃつまんねぇから、鮮明に覚えて貰うことにした。接したその人の死の体験、それを丸ごとな。』
「慣れると、そこまで苦しくは無い……と言い切れる程、強くは無いですが。」
だろうなぁ! と笑うティポタスは、心底嬉しそうだ。喪失感を得ているのかも知れない。
「二十年前、獣人達の狂乱が収まりを見せ始め、その視察に行った私と父を含めた一団。それを壊滅させた悪魔を、彼はその場に来ただけで跡形もなく消した。勝てる筈も無いんですよ。隠すのも、証拠の隠滅も、私の命も、既に容易に出来る。」
「ならば、どうする?」
拘束を解かれたストラティが、椅子に戻りながら聞く。それに微笑んで、ノエルマフは答える。
「精一杯、補佐しますよ。ケントロンの脅威にはなり得ず、魔法は人智を越えた奇跡でも無い。既に、我等の技術である。とでも報告しましょう。」
「魔術師も認めろ、ですか。それは、貴方の立場で出来るのですか?」
「無理です。しかし、少なくとも。対立国では無く、よき隣人にはなれるでしょう。」
エミオールの問に、ノエルマフは即答した。それに再びエミオールは狼狽える。安全域だと、途端に落ち着きが無くなる人物だ。
「しかし、私は死者を呼び、語れる魔法使いです。人の魂を見る瞳も、契約によって得た。誰も自分の黒歴史や、汚点は広めたく無い。死人に口無し、なのはケントロンも同じですから。」
「儂らの事も、そうして調べたのか? 関係者を、故人を呼びつけ?」
「……それは、申し訳無く。」
頭を下げる青年に、マギアレクは少し冷えた目を向ける。
「……まぁ良い。その事は追々話そうと思う。ストラティ、ポイエン。お主達もそれで良かろう?」
「構わん。話すだけならば、無礼を働く男でも無さそうだ。」
「あぁ、常識って何処だったかしら……」
ひとまず、ケントロンからの使者兼、協力者。ノエルマフ・プネレウマスが、公的に認められるのは、その日の午後となる。
全員、個人的な話を除き、知りたいことは知れた。エミオールの一言で、皆がそれぞれの日常に戻っていった。