第八話
痛い、苦しい、辛い。どれだけ歩いたかあやふやだ。もうまともに方向も分からない。けれどそれは歩いた。自分と共に棄てられたモノを囮にして恐ろしい魔獣から逃げた。悲鳴はその判断を迷わせた。
落ちていた資料の場所に行けば、愚かな獣人の血が混じってはいるが白い忌み子がいる。アレだ。アレさえ手に入れば……今はとにかく死にたくない。生きたい。憑代だ。良い憑代があればいいのだ。
しかし、あそこにはヤツも確認されている。オークションに出ていた魔法を使える人間。あれは別格では? しかし悪魔が負けるはずがない。いや、だが……
歩みは止まない。悩み、決断出来ずとも他に選択肢が無い。故にソレは歩き続けた。
「っと、この辺りからおかしいな。魔界のマナか?」
なんとなく違和感を感じたソルが止まる。取り敢えず危険領域だと言うことで地面に降りるソルだが、盛り上がった地面が彼に向けて弾ける。
「おわっ!?」
「フシュルルルッ!」
丸い先端を六つに分けて開き、大きな虫が咆哮する。土と保護色だった体表と異なった口内は毒々しい赤で、ずらりと尖った歯が並ぶ。直径二〜三メートルはありそうな芋虫がソルを口に収めようと迫る。
「まぁ、魔界の魔獣と言っても辺境の幼体じゃなぁ。【具現結晶・狙撃】。」
口の中から頭を砕かれた芋虫が悶えることもなく息絶えた。だが、
「あっつ!痛っ!あいつの血液、酸かなにかよ!?」
幸い、そこまで強い酸では無かったが少し皮膚が炎症を起こしてしまった。もっとも、ソルならば少し休めばそれも治るだろうが、手痛いしっぺ返しである。
「うん、前言撤回。幼体だろうが、辺境だろうが、油断していい相手いないな。魔界。」
元々が魔獣の発生地。強いものが産まれた地に居座るのは道理である。当たり前の事を再確認したソルは、警戒を強めながら周辺の捜索に入った。
獣や、鳥と言った動物はいない。木々は無事だが、草花は所々強い触媒になる魔獣化したモノに見える。ここまで来ると魔獣というよりは魔物と言った方が正しいような気もする。
「さて、四年前位に犬共探したときはこの辺りは無かったよな、この草……やっぱり広がってんな。もう少し進んでみるか……?」
確認は終えたのだから引き返すべきだと考える理性と、現状を知りたい欲求がせめぎ合う。特にここ最近は塔の周辺で済ませていた。少し冒険心が疼く。
「そういや、オークションとかまだ開催されてんのかな? うん、これは調査だ、調査。」
森に身を隠しつつ、ソルは先に進んでいった。
塔の中で、緑の光が明滅する。それに合わせ、魔獣の皮や甲殻が床に落ちていく。
「ふぅ、丈夫なのはいいけど魔術で何回も斬りつけないといけないのは大変だな。いっぱい圧縮するのも時間かかるし、疲れるし……」
マナを糧に、より闘争本能に相応しい変化をした魔獣の肉体は、いい触媒であると共に素材としても良質だ。金属に迫る堅さ、しかし軽い甲殻、劣化しづらく丈夫な皮。
シラルーナが今作っているのは旅装束である。魔界が広がる以上、この塔も近く安全とは言えなくなるだろう。マギアレクや世間の様子も分からない以上、早めに功績を上げて下地を作りたい。
「御師匠様のローブ格好良かったけど、動くのは邪魔だよね……足回りを開けて羽織る形にしたらいいかな? 袖も細くして……」
紫を基調としたコート風の服が図面に描かれる。また、肩や脛には甲殻をあてがい、補強していくデザインだ。
「私はどっちみち動き回るのは苦手だし、ローブでいいかな。」
全身を覆うように細めのローブを描く。緑を基調としたローブはシラルーナの魔力特性に合わせた布で作るためだ。無論、元になる素材はこの辺りの森でとれた触媒にもなる植物である。
「さて、作り始めようかな。取り敢えず皮ってどうやって鞣すんだっけ……あった、このページ。」
それなりに楽しんでいるシラルーナは、鼻歌を歌いながら作業を進めていく。マギアレクやソルに教えて貰うことが多く、頼っていた自分が何か出来るのが嬉しいのだ。
小さな事を楽しみ感謝出来るのは、シラルーナがこの年まで生きていけた秘訣だろう。もっとも、マギアレクやソルにとって服や食事、物の整理等は絶望的な死活問題だった為、この塔でのシラルーナの貢献度はかなり著しいもので、決して小さくはないが。
鞣した皮を寸法に沿って切っていく。これがまた重労働で、中々切れない皮に四苦八苦するシラルーナだった。
翌日いっぱいかかり、なんとか仕上げたコートを畳みシラルーナは夕日の沈む外を眺めた。魔術によって随分、工程を省いても丸々2日。上着だけにしておいて良かったと過去の自分を誉める。
「……ソルさん、遅いな。」
好奇心旺盛なソルだが、最近は年相応に落ち着いては来た。まだ子供だが。
魔界に探検に出たとしても、そろそろ帰ってもいい頃だとは思う。マギアレクと違い、ソルはあまり長く戻らない事は今まで無かった筈だ。大抵は、二日程度で返ってくる。
「私のも早く仕上げて、探しにいこうかな。」
旅装束として作る物だが、その耐久性はかなりのもの。魔界に近づくなら持っておきたい物だ。
「うん、明日は探しに行ってみよう。どこまで行ってるか不安だけど……」
その日のシラルーナは、中々寝付けなかった。
木々も無くなり、岩肌が目立つ山腹でソルは焚き火に当たっていた。元々が獣であることが多い魔獣は火を怖がるため、目立ったとしても問題はない。むしろ日が暮れた後の寒さがソルに猛威を振るっていた。
「木々が無い山がここまで冷えるとは……早く帰りゃ良かったか?」
マギアレクから聞いたオークション会場はこの先だ。多くの悪魔がいるだろうそこに、夜に行くのは危険だと考えたソルは手前の山脈で一晩を明かすことにしたのだがこの寒さ。少し後悔していた。
道中、倒した魔獣の肉を焼き空腹を満たすまでは良かったが、久しぶりの魔界に精神が高ぶり寝付けない。暖かい食べ物が無くなり、暇になったことで冷えを実感してしまったのだ。
「……思い出すな、じいちゃんに会う前の事。」
ソルは出身こそ違えどマギアレクに出会う九才まで、記憶のある日々のほとんどを魔界で過ごしている。もっとも、魔界を見て回っていたのは二年程度だが。
五才のあの日、全ては変わってしまった。それまでのソルは農村で暮らす只の子供だったのだ……
森の中に日の光が溢れ、一頭の牡鹿が草を食んでいる。ヒュウと鋭い音をたて一本の矢が脚に刺さった。
ピィーと甲高い声を立て、牡鹿は残った脚で駆け始める。矢の飛んできた方向とは反対の向きに駆け出した牡鹿だが、その方向は崖。怪我をした脚には厳しい道のりだ。僅かに戸惑った牡鹿の眉間に更に一本の矢が刺さる。
「ふぅ、逃げられ無くて良かった。今晩は少し豪勢に行けるな。」
一人の男が弓を携えて茂みから姿を現す。鹿の血抜きをして抱えあげ、山を下る。
緑の生い茂り恵みの豊かな山を下ると、麓に村がある。今はもう名も忘れられた過去の村。畑を耕す人々。井戸端会議に花を咲かせる女達。駆け回る子供達。その中の綺麗な水色の瞳をした少年が男に気付いた。
「おかえり、父ちゃん!すっげぇ、デカイ鹿!」
「おう、ただいま×××。今日も元気だな、お前は。」
挨拶を返した男の周りをあっという間に少年と子供達が取り囲む。
「鹿だ!」
「肉食えるかな!?」
「でっけぇ!×××の父ちゃん、すげぇな!」
「俺、父さん呼んでくる!」
疲れなんて言葉は存在しないみたいにはしゃぎ回る子供達。子供達を無下に扱うことも出来ず、男は鹿を置くことも出来無いで立ちすくむしかない。
「父さん、こっちこっち!」
「おー、本当に立派だな。こんな獲物に会えるなら今日は俺も行けば良かったぜ。」
「はぐれだよ。一頭でいたから狩れたんだ。どっちみちお前の分はいなかったぜ?」
「言ったな、こいつ。俺の弓だって大層なもんだぞ!?」
一人の男の子が呼んできた男の軽口に答えながら、歩きだす。今から解体に入るのだと察した子供達はさっと道を開けた。ここで愚図ると肉にありつけない。
村の獲物は皆の物だ。焦ってとる必要もないのに邪魔することもない。
「父ちゃん、後で狩りの話聞かせてね。」
「あぁ、後でな×××。約束だ。」
頭を撫でられてご満悦の少年が、家に帰っていく。他の子供達も、各々家に帰る。親に知らせにいったのだろう。
総勢二十人程度の小さな農村。準備や料理も皆でやる。喧嘩や小競り合いは有るものの、仲が悪いものはいない。気の合う者が集った新しい村。それがこの村だった。
「……おい、なんだあれ。」
「うん?……ありゃ火か? 良く見えな」
迸る赤。朱、緋。紅い炎が飲み込んで行く。山を、村を、人を。
「助けてくれぇっ!」
「お母さ~ん!」
「くそ、何処だ!」
弓をつがえて放てど矢が燃え尽きた。鍬を振るい叩きつけても人ごと燃えた。逃げるものも、立ち向かうものも、老若男女問わず炎は襲いかかった。
「×××、***、無事か!?」
「父ちゃん、こっちだよ!」
「今行く!待ってろ×××!」
魔獣用の片刃の剣を携えて、鹿を射た男は少年と合流する。少年は母親と共に井戸の側で集まっていた。他にも数人が集まって消火活動に勤しんでいるが、炎の気配は弱まらない。
「くそっ、なんだってんだ。」
「この火、なんか変だぜ。」
『やっと気付いたのか? 愚鈍な人間だな。』
全員が声の主に振り向く。人間に見えるが明確に違うところがいくつかある。炎の様な揺れる髪。鋭く紅い眼光。そして……畳まれた翼と頭にある角。
「あ、悪魔……っ!」