第13話
『モナ、クス、タロォ!』
冒涜の悪魔が爪を振り下ろし、それは結晶に突き立てられる。
咄嗟に飛行を開始したソルでも、ギリギリの回避。向こうは大きさが違う。その一歩が、その一振りが、比べるのも笑ってしまう程に、ソルに追い付く。
「くっそ、あんな魔法見たことねぇぞ。アスモデウスの入れ知恵か何かか……?」
魔獣ならば、ただの獲物でしかない。悪魔でも、魔法を抑えれば勝てる。
しかし、悪魔の体と魔法を持った、巨体な魔獣ならば? 肉体は魔力なので破壊できず、巨体と共に魔法も行使する。これを避け続けるのは、言うほどに簡単な事では無かった。
「とにかく、落石だけでも止めさせてぇな……岩を全部壊して、戦陣で覆……えるかぁ?魔力が持つと良いけど。」
魔力を戻すための時間稼ぎに、魔力を浪費していくとは。とはいえ、一度展開した具現結晶を、冒涜が取り除けない以上、有利にはなっていく。
壊した端から、すぐに戦陣で覆わないと、冒涜は簡単に地形を戻すだろう。少しずつ行うしかない。原罪の魔獣を、何度か投げたのは失敗だったと、ソルは魔力量を考えて後悔した。
「取り敢えずは……いや、別に壊さなくても良いか。」
猛る冒涜に向き直り、ソルは魔法陣を展開していく。無秩序に崩れては突き出す岩を、冒涜はものともせずにソルに突撃する。
最初に展開された魔法は【防壁】、次いで【戦陣】。防壁は冒涜の突進を防ぎ、戦陣は上に広がり岩を隠す。
同程度の面積に再び【戦陣】を展開して、ソルの魔力はかなり疲弊する。多少朦朧とした頭を抱えて、ソルは地上に降り立った。
「横からなら、俺の戦陣は遮蔽物が多いし……後はこれだけか。」
『ルヴヴヴヴ! モナ、クス、タロォ。』
「見失った……? もしかして、魔力を見て探知してたのか?」
下に降りたソルは、巨大な虎となった冒涜には、見下ろす形だ。下にある透明な戦陣は、元々ソルの魔力。そこに同化して見えているのだろう。
透明な結晶では、姿も臭いも音も、隠す場所は無い。となれば、それらはああなった冒涜の感覚では、拾えていないのだろう。
「ふう、少し楽になるか……今のうちに、少し回収しとこう。」
ソルが背もたれにする結晶から、戦陣に貯まったエネルギーを回収する。その途端、冒涜が結晶に振り向いた。
『ソコカァ!』
「のわ!? くそ、回収でもバレんのか!」
段々と言葉も怪しくなる冒涜が、結晶に爪を振り下ろす。ソルが屈めば、その爪が頭上で弾かれる音が聞こえた。結構近い。
結晶に当たった爪を、冒涜が何度も振る。一度目からずれてはいるが、それでも結晶の向こう側には届かない。学習能力も落ちているのか。
「こりゃ、アスモデウスの実験か。魔術の応用で、新しい魔法を作ろうとしたんだな……失敗みたいだけど。」
しかし、これからもこの魔法には気を付けておかねば。アスモデウスならいつか完成させる。そうなれば、原罪の魔獣のような、魔法を持った大型魔獣が、悪魔の数だけ出来てしまう。
走って場所を移動しながら、ソルは後ろから迫る冒涜を振り返る。次の結晶に滑り込み、それを挟んで座った。
「流石に何頭も来たら……いや、今はコイツに集中しねぇと。」
幸い後悔は去っている。雨が止んだのが、その証拠だ。流石に、晴れた中でソルとやりあう性格ではない。
それはソルにも分かった。完全な逃げの姿勢、それを取られてまで、奇襲を警戒する相手では無い。されても一撃を凌げるなら、反撃できるからだ。
「そろそろの筈なんだけどな、仕込みは成功した筈。」
『モナク、スタロォ!』
「しつこいなぁ、人の名前を何度もよ……しょうがない、直接行くか。」
下側の戦陣を全て回収し、ソルの魔力はある程度戻る。長く魔獣や冒涜、周囲のマナを吸収していた戦陣は、必要な魔力量に十分届く。
唐突に足場を失い、冒涜は手足で空を掻きながら落下する。どうやら飛ぶことも出来ないらしい。
「さて、差し込んだのは……結晶の反応がある。あそこだな。」
着地の衝撃での硬直。既に準備していたソルが、それを見逃す事はない。
「先ずは【破裂】!」
『ガアァァ!?』
背中を打たれた冒涜が、仰け反って咆哮する。その結晶は霧散せずに残り、奥に剣の残骸の結晶と、金属が見える。
「あった。壊れては無いな、自動発動もしなかったけど。」
結晶に手を添え、魔力を流す。当然冒涜は暴れ始めるが、ソルは手足を結晶に【固定】し、振り落とされはしない。
結晶を伝う魔力が、金属板に届くのは数秒。その表面に彫られた複雑な魔方陣が、魔力の供給によって光を放つ。それが一筋、蛇の様に延びていく。
しかし、その時には冒涜が、競りだした岩に走り込んでいた。背中にいるソルを潰すため。
「だよな、くそっ! 間に合えぇぇ!」
岩が冒涜の毛足に触れ、ソルの眼前に壁が迫った、その瞬間だった。冒涜の中を縫うように進んでいた光が一点で止まる。途端ソルの魔力を大量に持っていった。
「来た! 食らいやがれ、「闇の崩壊」!」
一瞬。光に呑まれたその一瞬で三つの事が起こった。
ソルは、岩に叩きつけられた。しかし、押し潰す筈の虎の肉体は無く、【加護】と【武装】により死から逃れる。
冒涜は、霧散した。粒子となってその姿が消え、中から悪魔が一人、地面に落ちて動かない。
そして地形が崩れ始めた。岩の柱も、結晶の戦場も、術者が意識を失い、その形を保てずに。
目を冷ました冒涜が、最初に得たのは混乱だった。しかし、その体は崩壊を続け、魔法も発動はされない。
「な、んだ。これ、は?」
「がはっ、っ~! 痛てて……お目覚めか、冒涜の悪魔。」
足を引きずりながら、ソルが近づく。固定した足は、衝突からの落下によって、変な力が加わり折れたらしい。
魔力不足は、肉体と魂の繋がりを弱める。激痛を感じず、今だけは有り難く思った。
「何が、起こった?」
「お前の所為で、アスモデウスに存在を知られたのは、失敗な気がしてきたけど……お前の核を破壊した。」
「馬鹿な……核を、狙い撃った、とでも?」
「全部纏めて攻撃とか、そんな魔力があるかっての。俺の【具現結晶】の殺し方だと、お前の魔力が尽きそうになかったからな。」
核を用意してやり、最初から掌握していたマモンとは違う。冒涜は接触した戦陣でしか、魔力を吸われない。これで殺すのは無理があった。全身を余すこと無く串刺しにすれば別だが、流石に防がれただろう。
「もう助からねぇよ。ただの感情に還れ、悪魔なんて止めて。」
「俺は……ま、だ……」
ソルは、最後まで聞かずに飛び去る。崩れ続ける岩が、戦場と魔獣を埋めていく。
悪魔は、岩に埋められる事さえ無かった。ただ、その場から離れる事も出来ずに。
「魔獣が仲違い始めやがったぞ!」
「総員戻れ! 隊列を直し、防衛に専念しろ! 無理に掃討するな!」
部隊がそれぞれに村の前に陣取り、そちらに来た魔獣を討って行く。視界の低い蠍の大型は、既に離れた場所で魔獣と食いあっている。
此方を狙う蛇の大型も、全員で盾を並べて押し止める。反撃は魔獣が襲いかかった隙を突くのだ。
戦場の怒号を耳にしながら、ストラティは家の中で休んでいた。流石にハルバードを握る手も、握力が弱まって来たからだ。戻った頃には、軽傷三ヶ所、深い傷二ヶ所。
動くのに支障は無いが、終盤となった戦場は無理に出る必要も無さそうだった。
「彼方も終わったようだな。少し無理を強いてしまったか。」
「ソルさんなら、大丈夫だとは思いますよ。」
「死にそうにねぇ、クソガキだからか。」
崩れる岩の群れを見ながら、ストラティが呟く。
治療をするシラルーナと、治療を受けるクレフが、それを否定したが。シラルーナと違い、クレフは僅かな心配もない。アナトレー連合国では、目の前でマモンとの戦闘を見ていたからだ。
「はい、これで大丈夫です。」
「なぁ、嬢ちゃんよ。包帯や薬なんざいいからよ、魔術で治んねぇの?」
「応急的な物なんです。しっかりとした治療も、あるに越したことはないんですよ? 傷の塞がりも甘いですし、後遺症も……」
「あぁ、分かった分かった。小難しい解説は無しだ、頭が痛くなる!」
クレフが動けない体で、最大限の拒絶を見せる。怠い時には、頭も働かせたくない物だ。
そんなクレフに、入ってきたエクシノがナイフを放った。何も言われずに投げられたそれを、クレフは歯で受け止めた。
「ほうふぁん、はりぃへおほれほっへふへ。」
「親分、それじゃ聞こえねぇって。わりぃけどこれ取ってくれってよ。」
「あ、危ないですよ! もう!」
「俺ぁ、拾ってきてやったんだぜ? 気を効かせてよ。なぁ、親分?」
「狙いが良いから良いけどな、それは人前でやるかぁ?」
手足を動かすと、激痛の走るクレフ。シラルーナにナイフを取って貰い、エクシノに反論する。
机に置かれたナイフを見て、ストラティは見ても良いか尋ねた。突然の事に、クレフは困惑しながらも許可をする。
「ふむ、我が国の物だな。宣伝になればと、幾つか流しはしたが。装飾の方だな?」
「武器そのものも流して……?」
「うむ。」
「ヒュー、大層なこった。」
エクシノが口笛一つ、ナイフを受けとりながら鳴らした。
「むっ? 終わったか……」
外の怒号が歓声に変わり、ストラティは立ち上がった。防衛戦は消耗を強いられる戦闘だ。承知で戦っている彼等の反感は少なくとも、後処理は膨大になる。
ここで対応を間違えれば、未来で反乱にも繋がりかねない。軍隊での戦とは、準備と処理で良し悪しが決まる、これは過言では無いのだ。
既に夕暮れも終わり。戦闘開始から、約十五時間の事であった。
夜。月明かりの照らす村で、ミゼンは一人、いく宛も無く歩いていた。
「ここに居たか、探したぜ。」
「……モナクスタロが、何の用事?」
「そのモナクスタロっての止めてくれよ。好きでは無いんだからさ。」
顔をしかめるソルに、ミゼンは再び聞いた。
「何か、用事?」
「あぁ、礼でもと思ってな。ほら、色欲の魔獣を跳ばしちまった時、上手いことやってくれたからさ。」
「自分が、危なかっただけ。」
「言うと思ったよ……まぁ、要らないなら良いけど。」
「……要らないとは、言ってない。」
振り向いたミゼンは、ソルの手元を見る。そんな動作に苦笑しながら、ソルは両手を広げた。
「今は何も無えって。俺にも打算ってモンがあんの。王都まで来いよ、飯でも奢るから。海の幸って奴だ、じいちゃんが趣味で獲ってくるんだよ。」
「……行っても、良いの?」
「魔法をポンポン使うなよ? 少しなら魔術って誤魔化せるから。」
少しズレた回答に、ミゼンは呆けた顔をする。フードの中で、だが。遠くで、シラルーナの呼ぶ声が聞こえた。
「おっ、夜の間に、馬車で移動出来んのかな?」
「……約束、ご飯。」
「分かってるよ……ん? 思ったよりも小さいな、お前。」
横に並んだソルに、ミゼンは小さな蹴りを入れた。何だよ、と睨むソル。ミゼンは馬車に向けて走り出す。フードが、ふわりと浮いて、後ろへと外れた。
月明かりは、白い髪を美しく反射する。新たな門出の気配を、この時確かに、彼女は感じていた。