第11話
「……もたない、かも。」
「頑張ってください、ミゼンさん。」
既に使い果たした魔力を、体力で強引に肩代わりするミゼン。既に呼吸は荒く、足先から力は抜けていく。
シラルーナが疲労を回復させてはいるが、消費に比べれば微々たる物だろう。【流星群】を見たシラルーナが来た頃には、倒れていたのだから限界も近い。
「シラルーナ嬢、状況は?」
「分かりません! 包囲されているとしか……この子も長く持ちません!」
「これはそっちの子供が……? 分かった、すぐに防衛に移る。配置を終えるまでは堪えてくれ!」
返事を聞く間も惜しみ、ストラティは駆け出した。
「よう、嬢ちゃん。生きてたか。」
「親分、明らかにそれどころでねぇって。」
次々と戻る兵に混じり、クレフ達も戻ってくる。ナイフの血を拭こうともせず、クレフはその場に座り込んだ。その横で、戦闘の始まりを聞いたシラルーナが、ミゼンに教える。
エクシノが周囲を見回せば、ストラティの号令で村人を中心に避難させている。北に、王都の方に避難させるのだろうか。南から包む様に広がる魔獣を見れば、焦りがつのる。
とはいえ、既に軍が応戦を開始している。ミゼンの【天衣無縫】も消えたが、安定している。
「どうする? トンズラすっか?」
「さっきの地震、あれの犯人は、坊主が止めてるしなぁ。魔獣だけなら、兵士でも余裕だろ。俺達は」
「……【後悔因縁】。」
「っぶね!」
裏通りから飛び出す【矢となる水】に、クレフは慌ててしゃがんだ。正面だったのは幸いだ、背後からならば当たっていたかもしれない。
「やはり、狙わねば当たらんか。あまり前だと、私も軌跡を覚えていない。」
「ちぃっ! 悪魔か!」
クレフがナイフを握り直し、逃げる隙を伺う。エクシノが矢を放ち、悪魔の額に突き刺した。
「流石に、消耗品には悪魔切りはないか。少し驚かされたぞ。」
「間違いねぇなぁ、悪魔本人だ。」
平然と矢を抜く彼に、エクシノは唾を吐き捨てた。エクシノが出来ることは無い、ストラティを探しに、前線まで走る。
目的は知らないが、少しでも邪魔をされれば魔獣は溢れる。今ここで、止めておくしかない。
「嬢ちゃん達よぉ、離れててくんねぇか? 俺が守ってやるなんざ、出来る訳ぁ無いからな。」
「いえ、援護します。」
シラルーナが魔導書を開き、クレフを風が纏う。ナイフの血を飛ばし、綺麗な刀身が光を反射した。
「死んでくれんなよ?」
「ここだけなら、まだ持つ、かも。休み休み、なら。」
「籠るのは無しかよ、クソっ!」
クレフが横に走り出せば、少し遅れて水の矢が飛ぶ。ミゼンは【天衣無縫】を発動し、それを防いだ。
「逃げたか?」
「後ろだぜっ!」
振り返る後悔に、石が投げつけられる。咄嗟の事にそれを回避し、体勢を崩した後悔に、横からクレフが切りつける。深く到達したナイフは、触媒のお陰で後悔の魔力を大きく削る。
「随分と姑息だな、人間。」
「こちとら、真っ当にやってりゃ、生きてもいけないんでね!」
畳み込む事はしない。一撃で相手がどうなろうと、確認する前にクレフは離れている。傷の状況は手応えだけで感じる。
「行きます、「旋風鳥乱」!」
「言われても俺は分かんねぇぞ!」
近づくなの意思だけは察したクレフが、後悔から大きく距離を取る。「風纏い」がある今、遠距離攻撃があっても、すぐに距離を詰められる。ならばと、離れられるだけ離れた。
シラルーナの背後に浮かぶ魔方陣、そこから風の鳥達が飛び出す。高圧と真空の刃が入り乱れる鳥達は、様々な軌跡で後悔を襲う。
「その程度かね?」
後悔の【矢となる水】は、軽く魔術を打ち払う。水と風では相性は無い、単純な力量の差だ。
その隙に後ろに回ったクレフが、ナイフを深く刺そうと試みる。
「っ!?」
違和感。その正体が蠢く水溜まりだと気づく前に、クレフは全力で逃げていた。すぐ目の前を、水の鎖が飛び出す。
クレフを捕らえ損ねた鎖は、その形態を剣に変えて辺りを薙ぐ。当たった風が急速に圧力を高め、傷を最小限にした。それでもクレフの脇腹に、無視できない傷を残す。
「ほう、今のも避けるか。危機感だけは大きいらしい。」
「避けきれてねぇだろ、嫌みか……」
久し振りの大きな痛みに、クレフは呻きながら答えた。右足を伝って落ちる血が、足元の水溜まりに解ける。降り続ける雨が、出血を促進する。
「クレフさん!」
「いてぇだけだ、お陰さまでよ。たいして深くねぇっての!」
「良い根性だな。その性根が折れたとき、どんな後悔を抱くか楽しみだ、楽しみでしかない。」
「るせえってんだよ、悪魔風情が。」
血が流れ出るのは止められない。ならば、それまでに逃げ切るか、後悔を斬るか。二つに一つである。
クレフがナイフを構えて突進すれば、後悔は水の矢を飛ばす。それを裂いたクレフに、液状になった後悔の腕が伸びる。そこに合わせる様に、クレフは結晶をいくつか、ばら蒔いた。
「むっ?」
途端、巻き起こる爆発。「暴発」の魔術が仕込まれた、ソルの結晶だ。ソルが村についたその日、こっそりとくすねておいたのだ。
吸収された魔力に反応しての爆発、当然だが後悔の腕の中でとなる。飛び散る水は、爆発の衝撃を和らげて、クレフは地面を転がるだけですんだ。
「こんな物、いつの間に!」
「良い格好してりゃ、懐に手が伸びる性なんだよ!」
大きな爆音で、シラルーナは耳を塞ぐ。その横で、隙を見せた後悔に、ミゼンは【矢となる光】を放つ。
打ち払う腕もない後悔は、それをまともに受けて、後ろへと倒れた。すぐに起き上がるため、腕を再生させる後悔に、クレフのナイフが迫る。
「しつこい! 【鎖となる水】!」
「ちっ! 駄目か!」
雨の中では、元となる水が多すぎる。生成の手間が省ければ、それだけ早く魔法は発動する。
クレフのナイフは、後悔の悪魔ではなく、縛ろうと迫る魔法を切る。追撃はしない。悪魔と違い、人間は簡単に死ねる事を、クレフは知っている。
「ふぅ、後悔とは己から漏れでる物、私が努力をするのは間違っていると思うのだがね。」
「はっ、なら楽に消えやがれ、悪魔が。」
「幾分か強気だな、まだ何かあるのかね? それともハッタリかね?」
後悔の悪魔は、その不死性から、攻めの手を休める事もしない。【矢となる水】と同時に、自身の腕を液状にして伸ばす。
捕まれれば物の数秒で死ねるだろう。矢を切り裂きながら、クレフは走って腕から逃げる。傷が痛むが、ギリギリで建物の影に隠れた。
「そこは……ちょうどいい。【後悔因縁】。」
「がっ!? 何が?」
後悔の魔法が過去を呼び起こし、数刻前にミゼンを縛った【鎖となる水】が、既に形となった状態で現れた。
伸びる事もなく、気づいた時には既に巻き付いていた魔法に、クレフは四肢の自由を奪われる。地面に叩き付けられたクレフが、泥水を啜って噎せた。
建物を殴り壊した後悔は、腕を液状から戻し、クレフに真っ直ぐに歩く。睨む視線を嗤いながら、その手を鋭く変化させた。
「虫のように這いつくばって死ね、人間。」
「させません、「爆風」!」
「ぬっ!? ……君のその選択、後悔させて欲しいのかね?」
風に飛ばされた後悔が、シラルーナに向き直る。この雨の中では、クレフが抜け出せる事も無い。先に邪魔者から始末を決めたのだ。
後悔の背後で魔法陣を光れば、雨が瞬間的に強くなる。打ち付ける水滴が視界を塞ぎ、音を上書きしていく。一瞬、後悔の悪魔を見失ったと思えば、呼吸で吸い込んだのは水。
唐突な息苦しさに、シラルーナは反射的に手足で空をかく。彼女を持ち上げた後悔の悪魔は、そのままミゼンに向き直る。
「君はどうするかね? 私の邪魔をしないなら、このまま去ると良い。」
「……わた、しは。」
「どちらでも良い。その様では君は、何を選ぼうとも後悔するだろうからな。まったく憐れだ、憐れでしかない。」
迷うミゼンを無視し、後悔はシラルーナに視線を戻す。その目には、恐怖がある。しかし、それ以上に諦めない意思があった。
「つまらんな、貴様は。夢でも見ているのかね? この世は、駄目なものは駄目なのだよ。」
「そ……ノ……通り……ダな!」
「何!?」
振り返る後悔に、クレフのナイフは深く刺さる。四肢を血だらけにしたクレフが、そのまま後悔を押し倒せば、シラルーナは宙に投げ出された。
「貴様、噛み千切った血で滑らせて……!」
「水じゃァよォ! 滑リヤすいよな、オい!」
血と肉で呂律の回らないクレフだが、その力は異様に強い。極度の興奮状態が、痛みによって防衛しようとする脱力を、無視させる。
「ぐっ! どけ、【矢となる水】!」
「死なせ、ない!【天衣無縫】!」
クレフの前に光の布が揺れ、水を全て弾く。遠退く意識に、その魔法は維持を許されなかったが、クレフは助かった。
水となって消え、すぐに離れて戻る後悔が、三人を見下ろす。その顔は余裕が消え、冷たい視線は背筋を震わせた。
「良いだろう。そこまで死にたいと言うならば、私の手で魔界に招待してやる。」
「冗、談じゃ、ネェな。だロ、騎士様よ。」
「その称号は、俺には重いな。」
後悔の後ろから、重い一太刀。槍斧の刃が後悔を袈裟斬りにし、その魔力を盛大に散らす。
その回転を殺さぬうちに、腰だめに構えた穂先。それが後悔を勢いよく貫いた。悲鳴さえ追い付かない早業だが、明確な重さと殺意がある。
「がっ!? 馬鹿な、何故、此処が……」
「爆音がすりゃ、嫌でモ気ヅくダろうよ。」
「……あの結晶か!」
呻く後悔が、後ろにいるストラティに、魔法を放つ。水の矢を、腰に携えた剣を抜き放った彼が全て切り落とした。その剣も、特注品なのだ。
遂に翼を広げた後悔が、空まで避難して四人を見下ろした。
倒れているクレフ、座ったまま動かないミゼン。魔導書を開くシラルーナに、剣を戻してハルバードを構えるストラティ。
「ちっ、面倒な、面倒でしかない。此処に執着する必要もない、か。」
そう言うと、南へ飛ぶ後悔。その背中を見上げながら、シラルーナは溜めていた息を大きく吐いた。
「そうだ、治療を!」
「アぁ、頼むヨ嬢チャん。」
落ち着き始めた村の中で、ストラティは悪魔を見上げ続けた。外の怒号に我に返り、彼は再び前線に駆ける。
いつしか雨は、小降りになっていた。