第6話
「ソル殿、被害もいつでるか分からない。すまないが、先に頼む。」
「分かりました……ついでに、あれも持っていきますか?」
「頼む。」
ソルが示したのは運搬用の馬車だ。食料や支援物資等、今が分からない村の救援だ。早く届けてやりたい気持ちもある。
「よし。シーナ、載せるから。」
「分かりました。」
ソルが結晶の船(?)を創る。草船に近い平たいそれに、馬を離した馬車を「飛翔」で載せる。
二人が乗れば、後は飛ぶだけだ。三百もの行軍よりはよほど早い。南端の村まで一日足らずである。
「ったく、変な時期にくるよな、アイツも。」
「魔獣が動くからじゃないですか?」
「だろうな。ぜってぇに一ヶ月は居座る、間違いない。ねちっこいんだよ、アイツ。」
ソルには、アスモデウスに耐久実験と称した、拷問紛いな実験もされた記憶がある。魔人として未完成だったので、実験後はすぐにおさらば出来たが。アレのおかげで、人体の修復方や構造を悪魔の部分が理解した面もあるが……恨み辛みの方が強い。
大概の場合、魔獣を出しておいて本体はいないが、別の悪魔がいる。依頼するのだ、交換条件と共に。
「そういえば、誰が見つけたんでしょうか?」
「さぁ、常駐じゃねぇのは確かだろ。ベルゴのやつも、発見者ってわざわざ兵士とは別に言ってたしな。」
ソルは鳥の影でもないかと、警戒しながら答える。魔獣の群れと言えど、それが色欲の魔獣率いるとなれば規模が違う。簡易な軍隊よりも統率が取れる事があるのだ。
角が震えれば、その可聴域を越えた高音が、知性の低い者を支配下に置く。感情を抑える理性がなければ、あの山羊の望む襲撃をするだろう。
「だったら角を折っちゃえば……」
「結構、硬いんだよ。それにほら、山羊の奴って跳ねるし。」
「もしかして遭遇した事あります?」
「一回な。あの頃は魔術なんて知らねぇし、死ぬかと思った。」
そんな会話をしているうちに、最南端の村は見えてくる。朝に出て夕刻。この村に発見者がついてから、丸々五日はたっている筈である。王都まで三日、準備と今日一日で二日。
しかし、村は平穏を保っていた。襲撃だらけの西の地で、ここまで落ち着くのも不自然だ。ともあれ、魔獣は影も形もない距離。間に合った。
「飛来する結晶だ……!」
「セメリアス侯爵の御弟子の? 大物だな。」
「当たり前だろ、相手は原罪の魔獣だぞ?」
「それ、本当なのかな……」
村の外れに着地したシラルーナに、そんな会話が聞き取れる。獣人の血を引かないソルには届いていないようで、話題にされているのは露程も知らないようだが。
そんな村人達を掻き分けて、年配の男が前に進み出る。確か、あの服装はまとめ役の人だったな、とソルはなけなしの知識を探った。
「此度の防衛の方とお見受けします。どうぞ村へお越し下さい。」
「先行しただけで、アルキゴス侯爵が後から来ています。それと、此方の馬車は支援品です。」
「おぉ、ありがたい。うちの備蓄では村で食べるのが精一杯ですから。」
「医療品も多目にありますから、発見者の方が怪我をしていれば、どうぞお使いください、村長さん。」
「詳しい話も聞きたいですし、ソイツらは何処に?」
ティポタスから聞くには、大きな怪我人もいないと言うが、かなり適当な奴なのは承知の事実。念のため、用意は万全だ。
「珍しくもないですが、その……着の身着のままとも言えぬ状況でして。身を清めて、新しい衣服を用意させております。そろそろ終わるとは思いますが。」
「何日も前では?」
「目覚めたのが先程でした。それまで薄絹の用な物に阻まれまして……」
「……まさか、な。」
覚えのある現象に、ソルは半ば確信を抱きながら呟いた。悪くは無いが、嫌ではある対面だ。
「夜も遅いですから、明日になされては? 兵士様方は、魔獣の襲撃はまだ先だとおっしゃっていましたから。」
「偵察に出ているんですか?」
魔獣相手に偵察とは、結構な命知らずである。とはいえ、報告が確かならば、接敵はしないと考えてかもしれない。
「どうします? ソルさん。」
「まぁ、丸一日も空にいて疲れてはいるし……休むか。気を張り続けるのは、魔術師には良くないし。」
適度な余裕が魔術の精度を左右する。村の人達がある程度一ヶ所に集まることで、いくつか空き家を作ったらしく、ありがたく借りることにした。
その夜、眠りに落ちた村で、ソルは一人で家を出た。何とは無しに、辺りを歩く。まだ魔獣が来ていないことを、いくつか結晶を撃ちだして確認した。
簡易的ではあるが、規模の大きな魔獣の群れなら分かる筈だ。ひとまずは安心である。
「……まぁ、なんで居ないかが不安すぎて、安心とは程遠いけど。」
「だろうな、クソガキ。」
独り言に帰って来た返事に、ソルは咄嗟に結晶を放った。二つに切られたそれが、少し飛んで霧散する。
「あっぶねぇ! 相変わらずな野郎だ。」
「……誰だ?」
「うぉいコラ! てめぇ、忘れやがったのか!?」
暗がりから近づいてくるその細身の男に、ソルは驚きが顔に浮かぶ。
「思い出した、クレフか! コソ泥の!」
「クソガキとしか言えねぇな、この野郎……!」
額に青筋の浮かぶクレフが、悪魔切りのナイフをしまいながらぼやく。
そんな彼に、ソルは首を傾げて尋ねる。
「もしかしてお前か? 色欲の魔獣の発見者ってよ。」
「発見者……まぁ間違っちゃねぇけどよ。遭遇の方が正しいな、ありゃマジで死んでたぜ。」
「生きてるけどな。」
「……あぁ、マジでな……なぁ、坊主。唄を聞いたことあるか?」
夜の村を、冷たい風が凪ぐ。唄の一節を口ずさむクレフに、ソルは目を見開いた。
「なんだ、知ってんのか。」
「聞いただけだよ、魔界で。お前は何処で聞いたんだ?」
吟遊詩人にでも売ったという、マギアレクの言葉を思い出しながらソルは聞く。クレフは南を顎を示して言った。
「あっちだよ、全員が意識を失った。魔獣もだ。偶然、最初に目が覚めたのが俺でな、お陰で生きちゃぁいるが……盗賊団は壊滅だ。何人残ったかも知れねぇし、ここに引きずってこれたのも二人だけだ。」
「人を担げる体格か?」
盗賊団の面々を思い出しても、クレフが担げても一人だと思う。そんなソルの横に並びながら、クレフが腹を叩いてくる。
「バカにしてんのか、クソガキ。てめぇに比べりゃ……それほど細くねぇな。まぁ、ジジイとガキの二人だけだ。」
「ほ~ん……」
適当に返したソルの思考は、すでにクレフの先程の言葉に移っていた。唄が聞こえて意識を失った? 魔界ではそんな事はなかったし、あんな場所に唄など口ずさむ余裕がある人がいるだろうか?
まずあり得ない、というか確実に人間ではない。魔界にいたナニかが出てきた、と考えるのが自然だ。何の為に? 分かる筈が無かった。
「そういや、ガキってのはこんくらいの白い忌み子か?」
ソルが心臓の辺りで腕を水平にすると、今度はクレフが驚いた。
「あんだよ、知人か?」
「多分な。知ってるか知らないが、魔人だろ?」
「それなら本人が言ってたよ、そ~だとよ。」
「アイツ、会話が出来たのか。」
酷い言いようだが、本来は拒絶ならば他人との会話をしない。むしろ一緒に居られるのが驚きだ。ケントロン王国での変化は、想像以上だったらしい。
ただ、性質はソルも同じだが。自分の事は棚に上げて、他人を不思議に思う辺り、自分が「孤独の魔人」だという自覚は薄い。
「起きてんのか?」
「三週間も寝コケてたんだぞ、流石に起きてやがる。」
「ん~……まぁ朝でいいか。村長を無下にしてもあれだし。」
自分の態度が、国の中で多少は影響する事を、ソルは自覚していた。三大侯爵の一人、知恵のセメリアスの一番弟子。その肩書は思ったよりも重い。もっとも、ソルの中では未だに、マギアレクは森の中の養祖父だが。ガキっぽいクソジジイである。
「あん? てめぇ、もしかしてここのが言ってた軍にいんのか?」
「冗談、俺はデカイ組織とか苦手なんだよ。ここの侯爵の弟子ってなってんな。ほぼ一人で暮らしてるよ。」
「うへぇ、聞きたくもねぇ。捕まえんなよ?」
「治安なんて知らないっての。ここに居んのは居場所が無い奴らだぞ? 元盗賊程度、ごろごろ居るっつの。」
「あんだよ、夜逃げして損したぜ。」
俺の事、足に使おうとして話しかけたか? とソルが緩く睨む。クレフはそれには返さずに、今しがた出てきた暗がりへと戻る。
「んじゃ、明日の朝でも顔出すんだろ? 俺ぁ寝てるぜ。」
「あんだけ寝てかよ、自由な奴。」
「てめぇに言われたかねぇっての、クソガキ。」
二人はそれぞれに借りている家に帰る。静かな夜は、ゆっくりと過ぎていった。
そこは深い森の中。山脈が急に途絶え、西と他の境も無くなった地。あと、僅かで魔界に着くだろう。そんな地で、白い衣服が揺れる男が、ゆっくりと歩く。
しかし、ピタリと足を止めた。星を眺め、その場に止まる。
「……また変わっているね。ところで何かな?」
『振り向くタイミングが合いすぎでしょ。怖いねぇ。』
「今さらだよね、君には。」
『な~んでここに、なんてつまらない事は聞かないけど。なんで帰ってるの?』
「星だよ、最適な時を教えてくれる。今、また変わった。」
二組の男の足が、魔界の縁で向き合っている。夜闇は、声だけを透けさせる。
『……彼女を見逃したでしょ。それも星?』
「聞いてたんだ、そういえば風が吹いていた。彼女は既に芽吹いた。ここからは干渉が過ぎる。」
『偉そうな。神様にでもなったかい?』
「君は知らない。僕は神でも無いが、神より現実的な分、上かもね。」
『知って』
「思い出した、だろ?」
『……』
『何でもお見通しって事?』
「僕の通った……いや、通らされた道だから。」
『ふ~ん、誰だった?』
「皆ご存知、で分かるかな?」
『……まさか。』
「かも知れないね。」
「質問も終わりかな? なら去ると良い。奴に知られると面倒だよ?」
『アレは知らないんだ?』
「今回の世界は彼は別だから。」
『今回……?』
「おっと、『今のは忘れて』。」
『アレは知らないんだ?』
「まぁね、その通り。」
『良く分からないけど、オイラの邪魔はさせないよ?』
「妹さん……いや、彼の不利益では無いさ。むしろ、君には利益かも。」
『……複雑だなぁ、面倒くさい。』
「その方が君らしい。それに、僕は止められない。」
『誰よりも知ってるつもりだよ。』
「結構。じゃあね?」
『あぁ。』
パチンとなれば、一組の足は既に歩き終えた。白い衣服は再び風に靡く。
夜闇が、彼を覆い隠した……