第5話
それから、逃げ切った彼等は転々としていた。時には山に入り、時には南に行ったりもした。いつしか山脈を越えて、無法地帯に来ていた。夏が始まっていた。
「親分、今日の収穫ぅ~。」
「メ~シ、メ~シ。」
廃村の中には、備蓄や収穫前の作物が残る物もある。明らかに誰かが拠点にしているものも。それらを少し失敬して、彼等は暖かい北へと移動していた。盗賊団は、人が居ないと暮らせない。
相変わらずな二人を他所に、未だに一人でいる少女に目を向ける。嫌がっている……というよりは、慣れていないのか。
「親分、流石に……」
「女日照りだからって、あんなガキは……」
「……?」
「目ん玉腐ったアホったれ共、飯は見回り十週してからな。」
「「ほぼ走り込みだ!?」」
嘆く二人を蹴りだして、クレフは首を傾げた少女の前に立った。
「あ~、隣いいか?」
「……構わない。私の家でも無い、から。」
「そうかよ、なら遠慮なく。」
無論、クレフが彼女……拒絶の魔人を口説く為ではない。
逃げ切った際、姿を完全に消していた。あれは魔法だ、確実に。聞くのは憚られたが、先週に通った山の洞穴、あれもおかしい。潜む謎に、手元の謎を解く後押しをされた。が……
「あ~、なんだ。それ、暑くねぇか? 黒の外套ってよ。」
「下着でいるのは、寒いと思う。」
「……他の無かったか?」
「私が着れるのは、無かった。大きくて落ちる。」
「そういや、ガキ用は取ってねぇな……。」
頭を抱えたクレフに、ガキじゃない。と小さな反論があったが届かなかった。
とはいえ、廃村に子供の衣服があるかは、別の話だ。幼子が最後まで残る? あり得ない。ならば、早々に焚き火とかにされてるだろう。着る者のいない服でも、燃料にはなる。
「今度探すか、代用品……って、そうじゃねぇ。」
「じゃ、何?」
「……いいか、キレんなよ? 此方には悪魔切りのナイフもある。」
「……脅し? 怖がれば良いの?」
「聞かない方がいいぞ、それ……あ~、あれだ。お前は悪魔か? 契約者か?」
僅かに重心を浮かせ、いつでも動けるようにしながらクレフは尋ねた。その問いに一瞬キョトンとし、次の瞬間にはおかしそうに笑う。
「外れ。」
「じゃ、魔術師か?」
「……? 間違い。魔法、使ったでしょ?」
「あ? 見分けつくか。」
ソルの所為で。普通、魔術は魔方陣も使わずに発動したり、宙に魔法陣が出ることは無い。普通の魔術師を何度か見れば、クレフなら分かった筈であった。
「私、魔人。」
「……あぁ、んでそのナリか。ガキが多いたぁ聞いてたが、目の前にすると分かんねぇモンだな。」
魔人。半分人間の半分悪魔。思っていた程の殺意もわかず、複雑な感情だった。恩、同情、そんな物が占める割合が多い。
「かっ浚っといて何だがよ……着いてくんのに、理由とかあるか?」
「御飯、何が食べれるか。自分だと良く分からない。」
「そりゃまた、シンプルだな。」
今までどうやって生きてきたんだ? とクレフは呆れた。何の事はない、狂信者が盗賊団の代わりになっていただけだ。
「最後に聞いて良いか。」
「……何?」
「山に空いた崩れねぇのが不思議な穴、それを抜けた先の馬鹿でけぇ湾。ありゃ、悪魔の仕業か分かるか?」
「……多分。穴の方は出来るのが多いけど……湾は、結構深いみたいだったし、ティポタスって悪魔、かも。」
瞬間、入り口から物を落とす音が聞こえた。クレフが見やれば、兄貴と呼ばれていた男が、蒼白で立っていた。
「どうした、エクシノ。」
「少し黙っててくれ、親分。そいつは何を知ってる?」
「……貴方は知らない。あと、名前以外、あの悪魔も知らない。私は、聞いただけだから。」
「誰に。」
「……父様。」
鬼気迫るエクシノに、クレフは立ち上がり、間に入った。
「何があったかは聞かねぇ。だから、おめぇも落ち着け、エクシノ。いい歳した爺さんが大人げねぇ。」
「けっ、俺ぁまだ四十だ。」
「後、数年はな。とにかくこのガキは放置だ。いや、利害関係じゃ仲間とも言える。」
「一人で生きてけそうもねぇしな。市街地まで、か?」
やや剣呑なまま、エクシノは拒絶の魔人に視線を向けた。彼女は表情一つ動かない。
やがてエクシノの方が折れた。これ以上、聞けるものも無いと思ったからだ。
「で、親分。予定は変更ねぇか?」
「あぁ、このまま北へ」
クレフが答えようとした瞬間だった。それは巨大な山羊、しかしその角は僅かに光っているだろうか。その魔獣の蹄が、廃村の一角を叩き壊した。どこから来たのか、突然に。
「お、親分! ま、魔獣が!」
「言われなくても分かってる! ……山から跳んで来たのか!?」
隣の山に抉れた地形を確認し、クレフは驚愕の声をあげた。その跳躍力。まず散り散りに逃げると言う選択が消えた。
そして、魔獣が角を震わせる。共鳴音が意識をかきみだし、後ろの山岳から魔獣の群れ。
「おいおい、ふざけんなよ……!」
「……ちっ! 山に入るのも無理か。おいクレフ。半分で姿ぁ隠して行け。」
「あぁ!? ざけんなエクシノ、俺」
「だぁってろ! すぐ行け、生きろ! てめえ、死んだら殺すぞ!」
むちゃくちゃを吐くエクシノは、すぐに外に飛び出して人を集め始める。とはいえ盗賊団など、どんな手練れとて烏合の集に近い。既に阿鼻叫喚、集まる筈もない。
姿が隠れれば、他を追う魔獣から距離を取れるのだ。どのみち、こうなれば再結集は難しい。
「……クソが! エクシノ、後で面見せろよクソジジイ!」
「どうするの? あれは、流石に無理っ!?」
拒絶の魔人を強引に担ぎ上げたクレフが、すぐに姿を隠させる。あとはバカ共を信じて走るだけだ。何割が北の街へたどり着けるのか、分かる筈もない。
そもそも、あるのかも知れない街へ、クレフは全力で走った。近づいた者達から順に、姿が隠される。が、それも数人だ。彼等の無事は、祈るしかない。
が、それも無駄だった。再び山羊の角が震えれば、意識が一瞬暗転する。途端に魔法が解けた。
「んだよ、これ!?」
「……色欲の魔獣? なんでこんなに北に。」
彼等を蹂躙する魔獣の波が、押し潰すように広がる。三度、角が震え音にならない音が広がる。それにかぶさり……虹色の音色が。
「……何? 眠く……なって……」
「くそ、訳が、分か……らねぇ……」
唄が響く。朗々と。それは頭の中にすんなりと落ちる。
「かーつて現世のそのはしにー
ひーかりのさす地がありましたー。」
「ある時闇持つ人間がー
その地を暗くそーめましたー。」
「やーみは集いて型つくりー
翼を開いて飛びましたー。」
「世界を手中に納めようー
全てを嘆くその前にー。」
「けーれども………………
…………
……
その晩、無法地帯である南では異様な程に、その地は静まり返った。白い影は、星を見て引き返す。ふと、一つの命を見て……しかし、なにもせずに去っていった。
ピクリとも動く気配は無い。何一つとして。時間でも止まったようなその空間で、風だけが凪いでいた。
鋼が風を切る。返す動きは、先程の軌跡を正確に辿る。
ストラティが三桁の素振りを終え、朝の訓練を開始しに行く。修練場に入れば、既に多くの兵士が……とは成らなかった。
「……弛んでいるな。」
しかし、彼の険しい顔は別の理由で保たれる事になる。何故なら、代わりに男が一人、忍び込んでいたからだ。
「あっ、頼むから攻撃とかしないでよ? 一回で頭が体と離れちゃう自信があるからさ。」
「ベルゴと言ったか? 何故ここにいるか聞いても?」
「まずここに来ると思ったからかな。外したけどね! いや~、残念残、用件を先に言おう、そうしよう。」
手に持つ大きなハルバードを、ストラティが槍のように構えれば、ベルゴはすぐに姿勢を正す。
度々ティポタスに呼び出される無職として、最近は王城でも見かける。何故か気に入られたらしい。
「ここから馬で数週間、南に行けば巨大な湾があるのは知ってます?」
「話には聞くが、それが?」
「そこで魔獣の群れがいるって通報がされました。最南端の街を拠点に、保護と防衛をということです。」
「まて、どれ程前だ? 被害は?」
ストラティ自身が動く規模。それに彼が動揺すれば、ベルゴは不思議な事を言った。
「発見は三週間前、発見者も現地。被害は……零。」
「何?」
「まぁ複雑で複雑で。現地で確認お願いしまーす! ってティポタスが。では、伝えましたよ、アルキゴス卿。」
それだけ言うと、スルリと修練場から出ていくベルゴ。身体能力は低くないのか、とストラティは再認識した。
しかし、三週間で被害無し。魔獣の凶暴性ならば、一直線に目撃者を追ってもおかしく無いと言うのに。生き残った者も者だが。
「……考えても仕方あるまい。今は動くとしよう。」
朝日が登る頃、ストラティ・アルキゴスは軍を率いて王都を出た。その数、およそ三百。王都の全勢力の、半数近くである。
「ええんかの? あれだけ揃えて。」
「ティポタスが探った。色欲の魔獣らしい。それに、嫌な予感もするんだ。貴方が弟子をつけてくれても、無事か分からない。」
「二人だけじゃよ。変わらんとは言わんがの。」
「ふふっ頼もしいな。何かあれば、僕達でなんとかしよう、あの時みたいにさ。」
マギアレクに向ける信頼が、綻ぶ顔から読み取れる。若い者は分からん、とぼやきながらも、マギアレクは王に追従して城に戻った。
今回は防衛戦になるだろう。敵が魔獣だけなら、得意分野なのだ、ソル一人でもなんとかなるかも知れない。だが、原罪の魔獣率いる群れ。確かに嫌な予感は拭えない。
「頼んだぞ、ソル、シラルーナ。」
南は任せるしか無いだろう。問題は色欲の悪魔・アスモデウス単独でない時。もし西からも同時に来るならば……
「やれやれ、隠居はまだかのぅ。」
新しい日が昇り、新しい朝が来る。それは確かな前進を見せる王都を照らす。捌の月の、始まりの事だった。