第七話
薄暗い室内で二つの声が会話をするのが聞こえ、足を止める。
我らが表の王、サタンからの命を受けてアスモデウスを訪ねたのだがどうやら取り込み中の様だ。しかし、片方の声が無機質な少女の声なのに気付き、足音を少し大きめにたてながら部屋に入る。
「おや、アラストール殿。どうされましたかな?」
「お久し振りでございます。アラストール様。」
部屋に入ってきた男、アラストールは椅子に腰かける少女をちらりと見てアスモデウスに向き直る。
「我らが王から経過を見てこいと言われてな。使い走りだ。」
「成る程。私の言霊に囚われぬのはもはや貴方だけでしょうから、仕方ないですね。」
「怠惰の奴ならば来れるはずだがな。」
悪態をつきながら少女、No.零を見やる。元々感情の希薄な彼女は見ただけでは経過など分からなかったが。
「はぁ、これは拒絶の感情なのか? あいつの事を俺は覚えてないんだが。」
「どちらもでしょう。人間も目が死んでいましたからね。私も拒絶は会話はおろか、存在も知りませんでした。」
「それで経過は?」
アスモデウスの色欲の力は、かけた本人以外が気づくのは至難の技だ。圧倒的なカリスマとでも言おうか、言葉にそれを乗せることで相手の深層意識に入り込むのだ。いや、埋め込むの方が正しいか。
如何にアラストールでも見て把握するのは不可能に近い。焼けば分かるかも知れないがそれでは意味が無い。
「順調ですよ。取り敢えず、私の命令には従順です。」
「戦力には?」
「なり得ませんねぇ。例の集団が厄介ですか?」
「俺が直々に出向いてやってもいいが、何処に現れるか分かったもんじゃない。人間に悪魔が殺されるなど前代未聞だ。」
「あの剣、何故悪魔が斬れるのでしょうね。」
悪魔は魔力、すなわち意識の塊。そこに確かに存在するが、例え霧散させられても暫くすれば復活するはずだった。しかし、マナまでもが混じり、実体の無いはずの核が切り裂かれた悪魔が蘇る事は無かったのだ。核を消失させる術。悪魔の特権が敵の人間に使われたのである。
「魔法を掻い潜り、斬りつけてくる人間の動きの方が驚きだ。」
「まぁ、奴等は放っておきましょう。どうせ人間の領地全ては守れない。」
「ちっ、不快だな。」
アラストールの髪が僅かに勢いを増して揺れる。感情の高ぶりが分かりやすい緒方だ、とアスモデウスは考えた。
「まぁいい。とにかくそれは良くなっている、そうだな?」
「ええ、そろそろ耐久実験に移ってもいい。完全な魂を手にいれ、存在の維持を肉体に任せ、存分に力が奮える悪魔がどうなるか...あぁ! 実に楽しみだ!」
アラストールが部屋の隅に置かれたモノに目を向ける。暗がりのなか、金属の冷たい輝きが返ってきた。
「程々にな。」
ピクリとも反応を返さないNo.零には目もくれずにアラストールは魔王の元へと戻った。
「ふむ、これは使おうか。」
「なぁじいちゃん。なにこれ? 何かを分離? 散らす? のは分かるんだけど……」
ソルがかなり複雑な魔方陣を見て呻く。ここ最近は組み合わせの法則が分かったからか、全く新しい魔方陣の製作に取り掛かっていたのだ。
「最近、悪魔を斬り殺す剣が出来たらしいからのう。」
「まじで!? どうやって?」
「大方、触媒を使用して核となる部分を吸いだしたんじゃろ。本来動くことの無い故に知覚すらされん人間の魔力を動かせるんじゃ。高品質な物を使えば出来んことはない」
「じいちゃん以外にも触媒素材を見つけた奴がいたのか……」
ソルが頷いているとシラルーナが研究室に顔を出した。元々表皮まで触媒となる白い忌み子だからか、半獣人の割には魔力が出にくい事も無いようで、今では集中出来る状況ならば体外に魔力を出すことも出来る様になっていた。
「うっ。」
「あー、臭うか。そういや換気してない。」
すぐに鼻を押さえたシラルーナを見て、ソルが窓を開ける。研究室の中にこもっていた薬草や血肉を煮詰めた臭いが出ていく。慣れきっているマギアレクとソルでさえ臭ったのだから、犬の半獣人であるシラルーナはよほど臭かっただろう。
「お二人とも良く平気ですね?」
「暫くこもってたら鼻がバカになっちゃってさ。んで、じいちゃん。これは?」
「いや、せめて下に降りてから説明じゃろう。」
振り返ったソルはシラルーナに睨まれているのを知って、謝った。
食事ということだったので、先に食べようということになった。シラルーナもどうせなら暖かい物を食べてほしいし、後の二人にも異論などない。
食べ終えた三人は広間に移動し、先程の複雑怪奇な魔方陣を囲んだ。
「これは……なんですか?」
「何かを散らすんだよな?」
「それだけではない。分解や、捜索や……とにかくいろいろ入っておる。その効果は……濃密度の魔力やマナを探して分解、散らす効果じゃ。」
「……なんで探すの?」
ソルが首をかしげていたがマギアレクは構わずに続ける。
「つまり、一番近い悪魔の核を探し、たどり着き散らす。そういう魔方陣じゃ。魔力の消費が大きいのが欠点かのう。」
「つまり対悪魔用の必殺魔術ってこと!? 凄くねぇかそれ!」
「なんでそんなものを?」
シラルーナにも悪魔を斬り殺す剣の事を伝え、只の対抗意識だと教える。そんなもので必殺魔術を作られる悪魔は不憫だが、ソル曰く「屑の体現」なのでいいらしい。
「名前はどうすんだ?」
「ふむ...闇の崩壊かのう。」
「闇?」
「知らんか?ある唄では悪魔を闇と呼ぶんじゃ。」
そう言ったマギアレクは唄の一節を読み上げる。
「かーつて現世のそのはしにー
ひーかりのさす地がありましたー。」
シラルーナは首をかしげていたが、ソルは顔をしかめた。
「あー、あの唄か。魔界でたまに聞こえてくるんだよな。」
「誰が歌っとるのか知らんがの。」
「どんな唄なんですか?」
「多分、悪魔の誕生と目的の唄。」
「そんな唄があったんですね……」
「儂が売ったから、一部の吟遊詩人は知っとるぞ。」
「んな事をしてたのかよ……」
ソルが呆れた視線を注ぐが、マギアレクは素知らぬ顔で流す。
「それじゃ、儂はそろそろ世間に魔術を広めて来ることにしようかの。」
「……へっ?」
「お主らももう教わる事も無いじゃろう? 後は自分で学べば良い。塔と金は置いておくでな。好きに使え。」
「いやいや、急だな? なんで今なんだ?」
「この魔術が欲しくて、こんなとこに引き込もっとったんじゃ。もうええじゃろう。それに約束もあるでな。」
「あの、ですがマギアレク様がいないと困るのですが……」
「ここに住まんだけでちょくちょく戻る。資料や素材もここにあるしの。」
「なんだ、遠出と変わんねぇじゃん。」
オークションに出たり、人の町に買い出しに行ったり、悪魔を観察してくるとどこかに行ったり。割と遠出の多いマギアレクである。
しかし、実際に拠点を移すと言うことは、そのうちそちらに完璧に移ると言うことだ。それはソル達が自活しなければいけないと言うことである。世間に馴染むことの難しい事情を持つ二人には少し難儀な課題だ。
「まぁ、出るにしても随分と先じゃろうけどな。宿の宛も無いしのう。」
「んじゃ、その間はこれについて教えてよ。」
「良いぞ? まずこの曲線は追跡と捜索を合わせた時に書かなくてはいけない物で、その中心はこう求める。」
「んじゃ、その法則で行くとこの円もか?」
「いや、これは分解の一部じゃ。」
話し込み始めた二人の言うことも、
どのみち上の資料に纏めてあるのだろう。今はついていけないので、魔力の制御を練習しつつもう少し初心者向けの資料を読みに行くシラルーナだった。
「しつけぇな!くたばれ、【具現結晶・狙撃】!」
「シャー!シュルルゥ...。」
硬い鱗に守られた脳天を鋭い結晶に貫かれ、真っ黒な大蛇が地面を波打つ。頭を地面に縫い付けられた姿は、死を悟らせるものだった。
「ふぅー、これで何体めだったっけ? なんか今月はおかしい魔獣が多いな。」
多くの人ならば泣いて逃げ足すような化け物をおかしいの一言で片付けた少年、ソルが呟いた。この辺りでは最近見かけるこの魔獣。魔界の奥地にいたはずである。
マギアレクが闇の崩壊を完成させてから四年。十六歳となったソルが塔で暮らしているが、三年前に出ていったマギアレクは一向に帰らない。大方、向こうで何か熱中する物を見つけたのだろう。そうなれば、かの老人の頭のリソースは全てそれに向けられるはずだ。
「……もしかして魔界が広がったかな?」
悪魔の勢力が高まれば、悪感情に引き寄せられるマナの濃度も変化する。それによって魔界が広がる可能性はあった。魔界とは危険な濃度の地域というだけなのだから。
「取り敢えず、帰ってシーナに教えとこうかな。いきなり遭遇したら困るだろうし。」
大蛇の首をはねて「飛翔」で持ってかえる。死んだ生物は魔力に反発しないので直接魔術をかけられる分、楽でいい。最も、解体程の精密作業は流石に手作業だが。成長したソルでもそこまでは厳しい。
塔に帰ったソルが庭で蛇を解体していると、台所から届く匂いが鼻をくすぐった。見上げてみれば既に太陽は空に無く、木々の向こうに沈みかけていた。
「流石に血ぃ流すか……解体、離れてやりたいなぁ。」
もっと細かい制御こそ出力より欲しいかも知れない、とぼやきながら川に血を流しに行ったソルだった。
「ただいま、シーナ。また蛇が出たよ。」
「ソルさん、お帰りなさい。蛇ってお庭のですか?」
「そうそう。魔界、広がったんじゃないかなって思ってる。」
頭の上の耳を小さく動かしながらシラルーナが出迎える。慣れ親しんだ生活の中で、いつの間にか頭巾は被らなくなっていた。
シラルーナの問に頷いたソルが述べる推測は、実際には危険なものだ。マギアレクが悪魔について纏めた資料には、悪魔の最終目標は他生物の管理だと考えられるとある。魔界が広がったというのはその悪魔が勢力を伸ばしたからだと言えるのだから、他生物からしたらたまったものではない。
「……御師匠様、無事でしょうか。」
「じいちゃんは殺しても死なないと思う。」
マギアレクと過ごした一年と少しでその凄さは分かっているつもりだが、心配な物は心配だ。シラルーナは悪魔にも何度か会っているのだから。
ソルが随分な評価を下しているが、実際にマギアレクはしつこい部類に入るだろう。心配はいらないといえば、そうである。
「つーか、全然こっち来ないなじいちゃん。魔界にも寄らないってなにしてんだろ?」
「魔術を広めるのって思ったより大変なのかも。悪魔の力にそっくりだし、受け入れられないんじゃないでしょうか。」
「広まった後なら、俺たちが出ても旅の魔術師です、で説明出来そうなんだがな……どうなってるのか。」
マギアレクの成果が自分達の生活に直結するのも情けない話だと思うが、まず話を聞いてもらおうにも正体不明の人物では難しい。魔界が広がったのがもし事実なら人間や獣人の余裕は更に無くなっているだろう。
魔界が広がって喜ぶのは、悪魔を除いてマギアレク位だろう。研究対象として、だが。
「まぁ、明日は魔界の境界探してみるよ。ここだ、って分かるところじゃないけどさ。」
「気を付けて下さいね? ソルさん。」
二人になった塔は、少し落ち着いたものの、まだ暖かい場所として確かにそこにあった。