第3話
驚いたソルが、仰け反って結晶に尻餅をつく。そんなソルを見下ろしている……筈のティポタスは二人の周りを回り始める。顔が無いので分からないが。
『やっと来た、やっと来たのかよおおぉぉぉ! 遅い遅い遅おおぉぉぉい!』
「な、何事? てか誰?」
『聞いてなかったのか? 俺様がティポタス様だあぁぁ!』
思考がついていけないソルを他所に、ベルゴは今は煩いなぁ……と辟易している。
「毎日、下手したら毎秒、感覚が狂ってるんだよ。」
『聞こえてるよおおぉぉぉ?』
「は、はは……」
どうやらエミオールは居ない様だが、これだけ不安定な奴と何年もいるとは。ソルはその精神に驚いた。
『やれよやれよやれよおおぉぉぉ! ……ふぅ、落ち着いた。』
「……あ~、何を?」
『えっ? あぁ、あれ。俺様だとパンッ! か、ヴォン! だし。』
「ミンチか、無くなるって事かな……」
「素材が欲しいから、君に殺れって事でしょうね……」
あれ、と示したのはその巨大な怪物だ。明らかにレヴィアタンの介入を疑う程の大きさ。確か、西の海域に居座っていた筈だ。
デカくはない(ただし人間大の)牙に、鱗と鰭。極彩色の体を持つその蛇は、先程から痙攣を繰り返すだけだ。
「もしかして、あれって?」
『俺様の【捕らえる力】だぜ。中々のモンだろ?』
「マジか……」
力場の魔法は、細かい調整が出来てやっと使い物になる。ソルが三つの小さな点で動かしているのは、広い面積や大きな出力で使うと、加速度的に消費魔力が増えるからだ。雑に使えば数秒と持たずに意識を失うだけだ。
あの大きな生物の力がどれ程か、想像に固くない。それを止めるのは、全身を覆う魔法。どれ程続けたのか知らないが、信じられない魔力量だ。余裕があるようにも見える、具体的にはソルの数百人分だろうか? 下手をすれば数千に届くのでは、と考えたソルに悪寒が走った。
『さぁさぁ殺っちゃって! 多少傷がいっても、軍と戦った後っぽくて良いよぉ?』
「求心力って奴ですか。」
この悪魔がやらかした事の何割が、エミオールの派閥の功績になっているのか。というか、なんでこの魚? を捕まえたんだろうか。
なんだか頭の痛い事になっている。ソルは考えるのを止めた。別に敵では無いのだし。
「【具現結晶・狙撃】、吸収。」
怪物に突き立った結晶は、魔力と熱を吸い上げる。
「ついでに回収しとくか。」
『……ん? まぁいいか。』
動かない敵のなんと楽な事か。結晶は広げず、エネルギーはソルの魔力として蓄積しておく。怪物が気絶するまで、およそ数刻。
ティポタスは、結局その間に魔獣を動かしてしまう事さえ無かった。
「それで死んだの?」
「いや、まだ気絶しただけだ。まぁ、このまま魔力を消耗すれば、思考力の全てが失われるけどな。」
『つまり、消滅?』
「それは悪魔。生き物の場合は、呼吸とか、鼓動とか、その辺りを動かす無意識まで、肉体に届かなくなる。」
「つまり、死ぬと。」
「そこまでやるのは、本来なら魔力抵抗とか生きる意識の魔力が描いてる術式とか、色々考えるんだけど……消しました?」
『消した。だってスムーズな方が良いダロ? 俺様ってば、気がきくねぇ。』
ティポタスの魔法には、魔力抵抗が働かなかったのだろうか。いや、それなら【捕らえる力】を体内に発生させれば……無を司る魔法、どれほどのコストでどこまでが無になるのか、いまいち把握できない。
ともあれ、これで終わりだ。時間はかかったが魔力を補充できた事を考えれば、割にあった仕事だ。【具現結晶】に貯めておけば、いざというときに使えるかも知れない。
『ついでだ、いくつか欲しければ取ってきな。魔術師ってなぁ、色々と要り用なんだろ?』
「良いんです?」
『どーせ全部使えねぇって。持ってけ持ってけ、バレねぇから。』
少し使う予定もある。性能は調べる必要もあるが、貰えるならありがたい。早速、死にたての柔らかい肉体に刃を立てていく。
「あの~、俺も良いっすか?」
『お前さん、何かしたっけ?』
「ひどっ!? ここから王都まで結構あんのに……」
『甘えんな、惰犬。』
「犬っ!? てかなんか違う気がする!」
騒ぐ二人……人? を他所に、ソルは解体を進めた。重要なのは無心になることだ、後ろを気にしてはいけない。
『煩いなぁ、消すぞ。』
「怖っ……黙ります。」
『そうそう、そうしてた方が良いよ?あと城に潜るのも止めな。』
「だって盲目なら、チャンスじゃん?」
『何がだよ、ったく。俺様がいるときは、視覚の代わりはあるからな。』
やっぱりだ、聞かない方が良い。これ以上、面倒事を聞いてしまう前に、ソルは今後の予定と目の前の解体に集中した。
翌朝、日の昇る前。日課の素振りを終える前から、巨大生物の解体と支給に呼び出された侯爵とその部隊が居たらしいが、それは別の話。
夏。漆の月ともなれば、暑さが堂々と胸を張る。余談だがカークの年も、十日足らずで十七になる月でもある。半年でソルと同じ年。カークがライバル視する理由の一つだ。
それはともかく夏。それは半年に一度、エルガオン商会が戻る日でもある。交代で残ったり戻ったりなので、彼等からすれば一年ぶりのテオリューシア王国だ。成長中の国は大きく違っている。
それと同時に魔獣の活性化の時期でもある。このあたりの魔獣は、夏に活性化する種が多いのだ。特に西の海洋生物。その所為で海に近づく西には中々発展できない。海産資源はテオリューシア王国が独占できる立地、是非とも欲しいのだが。
「……あっ、寝てた。」
『しっかりしろよ……』
「あぁ、ティポタス。お帰り。早速で悪いけど、書類の確認がしたいな。緊急の以外は読み上げてもらってないんだ。」
『ハイよぉ、俺様に感謝しなぁ。』
「いつもしてるよ。」
今年は西からの進行が激しい。冬は雪が多くなる為、やはり西に行くのは厳しそうである。そろそろ開墾ではなく、広がった領地の発展を考えても良いかも知れない。
紺碧の瞳に光の戻ったエミオールが、資料を捲る。今から何に着手できるか、自国の余裕と世界の動きを比べていく。
「ん~、ケントロン王国も動きは無いかぁ。」
獣人との連合について、何か声明をだすと思ったがしないらしい。狂信者を警戒しているのかもしれない、悪魔には狡猾な者も多い。
情報が渡れば嫌がらせを受ける、下手すれば獣人の国は滅びるかもしれない。故に徹底して隠しているのだろう。ソルから情報が来たのは幸いだった。
「そういえば、彼等はどうしてるの?」
『緑髪の奴は彷徨いたり結晶にちょっかいかけてるな。白いのは爺さん所、結晶のはこき使ってるダロ?』
「たまに頼むくらいじゃないか。」
『月に一度は、大型率いる群れや、特異種が出る時点でさ。』
「あれはケントロン位の国力がないと。うちの軍って三千にいかないよ? 各地の集めても。」
ケントロン王国は、王都在住の騎士団だけでテオリューシアにケンカを売れるだろう。魔術師が育ってくれば、また別だろうが。
『なんか頼むのか?』
「この前、君が呼び出したろ? そうそう頼めないよ。」
『ありゃ取引だって。アイツもそれで納得、先週はエルガオンとこによ、なんか持ち込んでたぞ。』
「ふーん?」
エミオールが流し読みした資料を、読み直すかと捲る。そのときに、ドアを叩く音がした。
「許可する。」
「のう、陛下。独り言を止めんかの?」
入ってきた老人の挨拶に、エミオールは照れたように笑った。
紫の立派なローブを羽織る、マギアレク・セメリアスは歳相応の落ち着きと威厳を見せていた。
「また喋ってたかい?」
「気を抜くと出るのう。その亡霊は瞳か?」
『出ようか?』
エミオールは声には出さずに拒否した。マギアレクから視力を離せば、説明が理解できない事が多いからだ。
「ソルが持ってきた魔方陣じゃ。保管に値するかと思うてな。」
「これは……固定?」
「悪魔に聞いたかの? 間違ってはおらん。しかし、それは位置を含めて、状態も固定する。」
「つまり?」
「落ちん、壊れん、熱くならん、溶けん、錆びん……まだ並べるかの?」
「いや、良いよ。付与の最終的な形かな?」
「いや、実は欠点がある。動けん、動かせん。」
「……まぁ、保管はするよ。使いどころは多そうだ。」
いつ戦時になるか分からない。守りとしては秀逸なのは違いない。ちなみにソルの【具現結晶・固定】である。かなり複雑な分、オリジナルに近いのだ。
「魔術名は?」
「使うときに考えればええ。それまで無名で通しとけ、どうせ、そうそう使わん。」
「まぁ、個人単位の運用でないと、魔力が足りないよね。個人だと使いどころに困るし。」
暫くはお蔵入りだろう。彼はそれを気にする男ではない。
エミオールはそう考えて、その魔方陣の図案を置いた。後でまとめて保管資料に持っていく。
「それだけかな?」
「まさか。ちと話があっての。」
「七日程出ていたのと……」
「関係ある。そう急くな、エミィ。」
マギアレクが机に転がしたのは、何かの角だろう。エミオールが聞く前に、答えは出た。
黒い霧が、マギアレクに向かって伸びたからだ。すぐに最高品質の触媒で防いだそれを、エミオールは見たことがある。
「嫉妬の魔法? なんで角から。」
「隻眼の黒狼が討伐した、嫉妬の魔獣の角じゃ。彷徨いておってな、先日折ってきた。」
「復活!?」
「む、誤解させたか? 別個体じゃろう。儂一人で相手取れる程、進化が進んでおらんかったからの。」
「既に作ってたのか……つまり、レヴィアタンが動く。」
一度目は遊びでも、二度目は準備だろう。そして戦力を作る目的は一つしかない。戦うからだ。
もっとも近いテオリューシア王国が、最初の標的になるのは間違いない。国の発展どころか、このままでは滅亡まで考えられる。
『消すか?』
(君のは無差別だから、広範囲の防衛には向かないだろう?)
「どう出る? お若い陛下よ。手駒は減ったんじゃ、猶予はあるぞい?」
「……悪魔は魔術師に任せられるかい? 何もすぐでは無いだろう。恐らく、早くても一年。」
「ふ~む……数十人、仕上がるかどうか、かのぅ。」
不安げな若い王に、マギアレクはニヤリと笑った。
「そのうちの一人は儂じゃ。原罪だかなんだか知らんが、悪魔相手に生き延びたのは伊達でもないぞ?」
「そして、頼りになる御弟子が三人、かい?」
「上手く行けば五人、かのぅ。」
けして落ち込まず、無責任なほどに前を見続ける。これもきっと、率いる者の役目だろう。あとは、それを虚勢にしない努力だ。
土地の資源、人材、軍部の備蓄。地形、季節、敵の勢力。知ることも考える事も多い。手元の資料を捲りながら、思考に没頭し始めた王に、老人は慈しむ顔を向けていた。