第1話
「はぁ……行くか。」
朝早く、ソルは魔方陣をいくつか持って、小屋を出た。触媒のツンと来る臭いが薄れ、外の新鮮な空気を吸うが、気分までは晴れない。
先日、遂にアーツの検証が終わった。後は他人でも巧くいくか、確認するだけだ。説明もめんどくさいので、魔術の基本性能は紙に書いておいた。改めてソルは目を通す。内容は以下の通りだ。
◯アーツ
・摩擦が限りなく零に近い(魔力同士が引き合うので、術者はその限りではない)
・質量が周囲と同じになる(空気、水、地中など。作られたとき、その表面に最も多く直に触れている物に影響される)
・魔力供給が途絶えた途端に霧散する
・鋼鉄程の硬度で、ほとんどの場合は破損や変形はしない。
・淡く発光している。また効果付与ができる。
・弾性の変化。ただしあげていくと反比例し、硬度が下がる。
魔方陣に細工し、熱くなる、爆発する、伸びる等も可能。
ただし、弾性を変更したら効果付与は出来ない。
・一つの魔方陣で一つだけ作れる。魔力の消費は体積と質量に比例。
これだけ纏めておいたが、果たして使う人間が居るかは謎だ。特に供給が途絶えると霧散するのが痛い。魔術の展開は時間が必要なので、魔術師はどうしても咄嗟の動作に弱い。
ソルの【具現結晶】の様に、離れても自動で形を維持する事さえ出来ればとも思うが、それをしたら一気に難易度が上がった。今の加工技術で魔方陣が作れないほど、繊細になったのだ。
「よし、現実逃避終了。あ~、苦手なんだよなぁ、アイツ。」
ソルの呟きは、誰に届くでもなく落ちていく。歩いて行く先は一つの大きな屋敷だ。
そこは三つの侯爵邸の一つ、セメリアス侯爵の屋敷。そこに居る筈のマギアレク・セメリアス。未だに爵位というイメージに合わず、ソルは違和感を拭えないでいる。
屋敷に近づけば、武器や食料の貯蔵庫を確認する。必要になるからだ。
「多分、そろそろか……」
「うらぁ!」
ソルがグローブに仕込まれた魔方陣で「飛翔」を展開する。それによって浮かされた鉄剣が、火の玉を薙いで払う。
「久しぶりだな、ソル!」
「会いたく無かったけどな、俺は。」
嬉しそうに魔方陣を展開する少年に、ソルは辺りの武器を次々と借りて浮かべる。どうせ弟子の不始末だから、マギアレクの物は借りていい、という考えだ。
炎を纏った少年に、ソルは剣や槍を飛ばす。急所は外しているが、治療が容易な場所なだけに、結構えげつない量だ。
「はっ! 当たらねぇ! 師匠の一番弟子が、聞いて呆れるぜ!」
「俺はんな事、言ってないっての。」
この前はこれで終わったのに……とぼやくソルの前に、全て避けるか弾くかした少年が仁王立ちする。
「今日こそ決着の時! 一番の魔術師はこの俺だ!」
「じいちゃんに勝ってから言えよ、カーク。」
「そういう事じゃねぇっ!」
真っ正面から突っ込んでくる少年、カークにソルは剣を振る。牽制のつもりだったが、武術に慣れていない彼は、大きく退いた。その隙を逃す様なら、ソルはケントロン王国でマモンに殺されているだろう。ソルが詰めよって首に鉄剣を当てた。
「くそっ、またダメかよ!」
「しつこいぞ、毎回毎回。俺はお前と勝負しに来てねぇから。」
「俺なんて眼中に無いってか、この野郎!」
実際に眼中に無い、というか入れないようにしている。元気なのは結構、だが他所でやってくれ、というのがソルの心情だ。
物音がしたからか、訪問を察した人物が玄関から出てくる。カークが飛び出した辺りで、既に気づいてはいそうなものだが、終わるまで待っていたらしい。
「待っていましたよ、ソルさん。お祖父様は奥で籠っています。」
「おはようございます、ミダロスさん。カークを止めてくれてもいいんですよ?」
「いい練習になるでしょう?」
ソルよりも二つだけ年上の彼は、そう言って少し笑う。マギアレクの知識と魔術を順調に受け継いでいる、後継者である。長い髪を後ろで縛り、王族とも思えるような容姿とは裏腹に、少し砕けた冗談を飛ばす。マギアレク程に自由人では無いが、規律や礼儀は最低限しか気にしない人物だ。貴族としてはどうかと思う。
「兄さん、もう諦めなよ……」
「嫌だね、俺よりもこんな、ぽっとでの奴が上な筈あるか!」
マギアレクがこの国に来たのは、およそ四年前。五年前に塔を出た後の事だ。その頃からいるカークは、その才能も相まって相応なプライドがあったのだろう。
それを王と話はするわ、師匠と世間の注目を集めるわ、勝負には勝つわ。ソルが散々にへし折ったのである。マギアレクは互いに訓練になると言うが、面白いから放置している様にソルは感じた。
「カーク、エアル、二人は先に戻っているんだ。」
「はい。」
「へーい。」
二人が屋敷に戻るのを確認して、ミダロスはソルを案内する。年こそソルが下だが、マギアレクの最初の弟子だと知る彼は、ソルに対して丁寧だ。当初は困惑もしたが、彼の自然体が丁寧なのも手伝って、ソルも今では慣れた物だ。
「籠ってるって、今度は何を見つけたんですか?」
「なんでも、魔方陣を立体化させるだとか……思い付いたと思えば籠りました。」
「そりゃ、エルガオン侯爵が大変そうですね……」
「任せるでしょうね、お祖父様は。」
ポイエン・エルガオン。技、知恵、武のうち、技を冠する三大侯爵の一人だ。商売の元締めもやっているが、その鑑定眼と知見は商才を上回る。
本人も薬品の調合量を指で記憶している程の技術者だが、今回は彼女の周り、染め物や鍛冶の分野の人達を動かす事になるだろう。
「侯爵って言っても、他の貴族もいない、派閥も無い。単なる隊長みたいなものですからね。仕事ばかり増えるだけです。」
「まぁ、年貢だのなんだの言えるような土地では、ないですもんね。」
「そのうち変わりますよ。年々、収穫量も増えていますから。」
統計等はまとめているようだ。点在する村も、常駐している兵士から報告が飛ぶ仕組みらしい。
誤魔化しても良いことはないので、その辺りは信頼できる。ちょくちょく王自らが来るし、常駐の兵士もストラティがみっちり躾……訓練した者達だ。彼は規律にとことん厳しい。
「と、この部屋です。」
「あぁ、ありがとうございました。じいちゃんは引っ張り出した方が?」
「そうですね、もう朝食も出来ていますし。」
まだ遠慮がちなミダロスに代わり、ソルがマギアレクを引き出すのも半年の間に定着した習慣だ。そろそろ面倒なので、引きこもり癖を治して欲しい、と自分の事を棚に上げて思っていたりするが。ミダロスが自室に引っ込む中、ソルはその部屋をノックもなしに押し開ける。ピッキングも慣れた鍵なら結晶も使わなくて出来てしまうようになった。書斎の様なその場所で、マギアレクが黙々と紙に向かって手を動かしていた。
「じいちゃん、久しぶり。」
「んぉっ!?」
どうやら本気で気づいていなかった様で、肩を跳ねさせたマギアレクが振り返った。
「おぉ、ソルか。三週間ぶりかの?」
「そんぐらいかな。ほい、これお土産。」
「なんじゃ?」
「アーツ。」
「ほぅ、これがか。シラルーナから聞いとるよ。」
丁寧に詰められた数々の過程の魔方陣を、マギアレクは簡単に目を通して机においた。一枚は手に持ったまま、あっという間に展開する。魔力をある程度動かせるまで修練したマギアレクは、魔術師としては周囲と比較できないだろう。
「ふむ、再現出来とるの。」
「密度は少し不安定だけどな。後、魔力と接触し続ける必要あり。吸収と回収以外も無理。」
「それは別途、付与でつければ良かろう。接触の必要は致命的ではあるが……ええ出来じゃろう。」
「それはそうと、朝食だってよ。ミダロスさんが困ってた。」
「あやつはまだ遠慮するんか。お主の時は三ヶ月位で怒鳴り込んで来んかったかの?」
「年齢の問題もあんじゃねぇ? あのときの俺、九才だぜ。」
マギアレクが結晶の杖を放り投げ、消えていく経過を見ながら話す。ソルが先に出れば、マギアレクも後に続いた。落ち着いた雰囲気の廊下は、良い匂いに満ちた通路となっている。どうやら、食事は既に出来上がっているらしい。
ソルはこの後、確実にカークが挑んでくるのを見越して、早めに帰りたかったのだが。ここまで匂いが届く量があるなら、ソルも朝食に招かれるだろう。ソルの顔をチラと見下ろし、マギアレクは口角を上げる。
「分かっとるようじゃの? この時間を選んだのは、失敗じゃったのう。」
「まだ起きてねぇと思ったんだよ。予想は外れたし、散々だな。」
「そこまで毛嫌いせんでもええじゃろ。」
「嫌いってか苦手なんだよ。うるせぇし、燃えてるし。俺の嫌なもんの詰め合わせじゃんかよ。」
ソルはぐいぐい来る人が苦手だ。ベルゴも同じ理由で冷たい対応になる……彼の場合は不信感もあるが。そして火には良い思い出も無い。嫌なやつでは無い、しかし苦手な物は苦手なのだ。こればっかりはどうしようもない。
「儂はええんか。」
「じいちゃんは、しつこくはねぇし。たまにうるさいけど。」
「一言余計じゃろ、それ。」
慣れた相手なら、多少は近い距離感でも問題ない。ソルとマギアレクが小突きあいながら、食堂に席を移した。
入ってみれば、既に多くの人は食べ終わった様で、空席が目立つ。そこに残っていたのは二人。シラルーナとエアルという少年だ。二人がソル達に気づく前に、後ろから声がかかる。
「あぁ、お祖父様。おはようございます。」
「ミダロスか、おはよう。」
共に入ってくる三人に、二人もすぐに気づいた。シラルーナの顔が分かりやすく明るくなり、エアルは頭を下げた。
「兄さんがすいません、ソルさん。」
「いや、謝られる程でも無いよ。」
「本人がおらんと大人しいのぉ。」
「エアルに当たっても、しょうがないだろ。」
カークの兄弟にしては、エアルは随分と落ち着いた少年だ。爽やかだが、見方によっては少し弱々しい印象さえ受ける。山で動物でも束ねていそう、とソルが評したカークとは正反対だ。
そんなエアルは、今まで書庫に籠っていたらしい。先程は外に出ていたので、良い機会だと広げた本を片付けてきたのだろう。現在、マギアレク・セメリアスの仕事は主に教育。魔術師として、学者として、多くの弟子をとっている。エアルもその一人であり、何年も学んでいるのだ。
「食べ終えたら、久しぶりに付き合え。ちと動きたい気分じゃ。」
「えぇ。俺はまだ「闇の崩壊」の実用化、進んでないんだけど。」
「別に、研究は逃げんじゃろうが。」
結局ソルが折れて、朝食に入る。僅か半年の間にしっかりと馴染めているのは、マギアレクの立場ゆえというのもある。しかし。それよりも、この場所も悪くないとソルが思えているのは大きいだろう。未だ卵であるテオリューシア王国は、既に多くの人に安心を与える場所に成長していた。