第百四話
朝早く、まだ暗い廊下を一人の少年……いや青年が走る。赤いバンダナからは、僅かに結晶の角が覗く。新しく新調した、袖の長い薄紫のローブは、高価な物に見劣りしない。
「わっ!?」
「あっ、すいません!」
こんな薄暗い朝靄のなかでも、仕事をする人はいるようだ。ぶつかりそうになったことを謝罪して、彼は走り続けた。そのまま窓から飛び出した青年を、昇った朝日が受け止める。急に訪れた眩しさに、目を細めながら彼は飛ぶ。
「あちゃ~、間に合うか?」
少し離れた場所、柵で囲まれた花畑。そこに飛び込んだ青年に、同時に瓶が飛ぶ。掴んだそれに、咲いている花から蜜を取っていった。
何個か取れた時、朝日を浴びた花は急速に萎んでいく。
「あっ……少し少ないなぁ。」
「およ? ソル君、おはよう。どったの?」
「んあっ? ベルゴか。おはよう。」
「あぁ、それの蜜か。少ないところを見るに、寝坊したな? ぷふー!」
「わざとらしくて、一周回ってうざい。」
「戻っても、うざいだよね、それ。」
瓶の蓋を閉めて、ソルが立ち上がる。ソル達がこの国に来て半年が過ぎた。湿気の多く雨模様の続く季節がすぎ、今日は久しぶりに晴れそうである。これからは雨を待つ季節だ。
「お前がここまでくるなんて珍しいな。なんかあったか?」
「ほら、一応さ、俺って情報屋だしね。お仕事してたのですよ。」
「面白いことでも?」
「無いから話題になる事しない?」
「サボんな、あと俺はただの一般魔術師だ。」
「えぇ~?」
ソルは王都の端に家を造った。一人でという訳では、勿論ないが。それでも、かなりの出力と精度の「飛翔」を使えるソルは、実際ほとんどの作業を肩代わり出来た。それでも最初の建材加工は、一切関われなかったが仕方ない。技術者が優れており、混ざればかえって邪魔になる。
そんなこんな、今のソルは【具現結晶】の魔術化と、「闇の崩壊」の研究を続けている。合間に、テオリューシア王国の手伝いだ。そう、王国の、である。
「今の一般魔術師って、訓練生がほとんどでないか。出来たばかりとはいえさ、国から依頼が来てる時点で、ねぇ?」
「シーナもだろ。あとじいちゃん。」
「シラちゃんのはお手伝いだし。それに侯爵様と比べるのが、ねぇ?」
「あ~、うるさい。人を話題にしようとすんな!」
ソルとしては煩わしいのは嫌いだ。精々十人が限度、それ以上は精神に来る。これも孤独だからなのか、元々が人見知りなのか。それは検証しようもないので放置だ。
「あっ、そだ。それとアルキゴス興が呼んでたよん?」
「そっちを先に言えよ……」
「てへっ♪」
「寝てろ。」
いい年した男のする仕草ではない。結晶を顔に投げつけておいて、ソルは飛ぶ。王都に朝の光が段々と広がっていった。
「全体、構え!」
「はっ!」
「突撃! ……三人、次に混ざれ。構え!」
隊列を乱さずに走る。戦場では思うより難しいもので、訓練だけでも完璧は求められる。飛び出たり遅れた兵は休むことなく、次の隊列に加わり走る。
なん組かの部隊が、ひたすらに武器を構えて走る訓練場。そこが朝、訓練を始める前のストラティ・アルキゴス侯爵の居る場所である。
「……むっ? 来たか。総員、解散! 各自で組み手!」
「「「はっ!」」」
空を見上げたストラティが、切り上げて室内に行く。正面の門まで移動すれば、ソルが着地して歩いてきた。
「アルキゴス興、おはようございます。今回は?」
「そう急くな、ソル殿……と言いたいが、少し急の依頼だな。貴殿なら朝食を作るよりは、手間でも無いだろうが。」
ソルの料理の腕を知り、ストラティはそう言う。別に下手では無い、手際が悪いのと味気ないのを除けば。
「少し離れた場所に、大型の魔獣だ。ここより南の村、種は猿だな。」
「特異種ですか?」
「いや、だが群れだ。我々では村が壊滅した後になりそうなのでな、移動の早い貴殿に頼みたい。死骸の回収、及び後始末はやっておく。」
「分かりました。」
飛んだソルの頭には、既に朝食は何にするか、という事が浮かんでいた。
空から飛んで来て、辺りを結晶の大地へと変貌させる。圧倒的な強さと、透明な美しさを持つ彼の魔術師を、人々は「飛来する結晶」と呼んだ。
「ソルさん、おはようございます。」
「ん、おはよう。もう来てたのか。」
ソルの家は、一つの建物の隣に造られている。植物や動物の素材を見渡せば、全て触媒であるその建物。元はこの国の侯爵の一人の家だった小屋である。
そんな場所へ、朝から出ていたとベルゴから聞いたシラルーナが、簡単につまめる朝食を作って訪れていた。
「その蜜ですか?」
「あぁ、これなら、いい反応を示してくれると良いんだけどな。」
描いてある下書きはかなり簡素なものだ。魔力が触媒の力だけでも巧く流れるように、かつ手軽に使える様に。ありとあらゆる機能を、削っては繋げ直した魔方陣だ。既に【具現結晶】の魔法陣とは大きく違っていた、しかし魔力に形を与えるという、基本は忠実に再現した。
「まぁ、とりあえずは試してみるしか無いだろ。この前は重さがなぁ……」
「軽すぎたんでしたっけ?」
「ゼロになった、んだと思う。浮いてく椅子とか、笑い話にもならないだろ。」
せめて周囲と同じだな、と続けるソル。一部の書き直した跡がそれらしい。その為に触媒を変えたのだ。シラルーナも、今日は触媒液を取りに来ていた。そろそろ魔導書を書き直す頃だからだ。ページとして綴じる関係上、長く持つ触媒より強力かつ安定した物が求められる為、半年が限界なのは変わらない。
「魔獣、増えましたね。今朝もですか?」
「あぁ、南から。山脈の所為かな、獣人達が西まで勢力が伸びてないからな。魔界からフリーで上ってくるんだろ、厄介な事だ。」
「暑くなってきたからですかね?」
「そろそろ陸の月だしな、段々と海からも来てるらしい。アルキゴス興から聞いたか?」
全部で十二の月のうち、既に半分が過ぎた。ソルも今年に入ってすぐに十七歳になっている。シラルーナも春には十五才になった。
久しぶりに大勢に祝われたのを、かなり困惑したのは覚えている。シラルーナはすぐに喜んだが、ソルは最後まで驚きに塗りつぶされていた。
「御師匠様が、そろそろ顔を出せって言ってましたよ。」
「えぇ……まぁそのうちな。」
少し嫌そうな顔をして、ソルは返事を濁す。別にマギアレクを嫌った訳でもないが、それは置いておく。そんな会話の合間に、さっと書き上げた魔方陣に、魔力を流していく。保存加工はしないなら完成まで早い物だ。
「どれ……」
「わぁ……やっぱり、いつ見ても綺麗ですね。」
「そうか? よっ、と。うん、とりあえず浮きはしないな。」
いつも創るからか、片刃の剣を創ったソルはそれを軽く振る。しかし、その剣を放ったならば、落ちもせずに漂い、やがて霧散した。
「こうなると戻せないな……魔力消費が少なくても使えるのが目標なのに、まるごと消費したらなぁ。」
「離れたら消えちゃうのは、【具現結晶】と違うんですね。」
「流石に削ぎすぎたか……まぁ何回かテストして、問題なければこれでいいかな。離さなきゃいいんだ。」
魔法の魔術化。確定で無いにしろ、それの目処がたった瞬間だ。
「名前、名前はどうするんですか?」
「えっ? ん~……アーツ、かな。」
「ソルさんの初めての魔術ですね!」
「そうなるな。俺は多分使わないけど……」
確実に【具現結晶】の方が使える。とはいえ、実際に弄り回して、己の固有魔法への理論的理解が深まったのは大きい。
ソルの性格なので完成までこじつけたが、利用は他人に任せるだろう。対外的に魔人ではなく、アーツ使いの魔術師として通せるのはかなり有用なのだが、それは外交上の話。ソルには実感できる機会はない。したくも無い。政治は嫌な事が多すぎる。
「テストも終わったら、御師匠様にも見せに来ませんか?」
「それは「闇の崩壊」の実用化が出来てからでも……」
「ソ~ル~さ~ん?」
「分かった分かった。行くよ。」
少し慎重に進めよう、と心の中で決めながらソルは魔方陣を片付けた。データもかなり集まっているし、別に急ぐ必要はない。
最初、旅に出たのは住むところを追われて、だった。今、定住できる場所はある。一つの旅が終わった。しかし、全ての旅は終わっていない。ソルの中では、今も炎が消えていない。まだ時折、夢に見ることさえある。
その炎を消す為に、力の無い人間の幼子であった自分に、過去に決別を告げる為に。その手段と力をソルは得る。
「きっとですよ?」
「あぁ、終わったらな。」
現実に引き戻す声に、ソルは軽く返す。先の事は先だ、囚われるのは良くないだろう。とりあえず、ソルは朝食に取りかかった。
「かーつて現世のそのはしにー
ひーかりのさす地がありましたー。」
「ある時闇持つ人間がー
その地を暗くそーめましたー。」
「やーみは集いて型つくりー
翼を開いて飛びましたー。」
「世界を手中に納めようー
全てを嘆くその前にー。」
白い衣服は長く風に揺られ、その唄を支えた。美しい虹色の粒子が、その綺麗な声に追従する。稀に赤が多く混ざり、その度に男は足を止めた。
「あぁ、分かっている。分かっているとも。けど譲れないし譲らないよ。僕はね、君とは違うから。」
彼はゆったりと歩き続け、そのリュートを鳴らす。心を落ち着かせる優しい音色が、虹色の粒子に調和を戻す。
「虚空も混沌も、反する二つはどちらもハオスと呼ばれるなんて、不思議な物だけど。君はそのどちらも冠する事は出来なかったろう? 知らざる者の定めだよ。」
ゆらりゆらりと歩を進め、遂にはその歩みは魔界を越えた。明確に変わるわけではない。しかし、確かに一線を越えたのだ。
左に海を眺めながら、彼は北へ北へと歩く。延々と、時が来るまでに。しかし、早すぎない様に。
「君はまた変わったらしい。それでも混ざらず一つの、いや独つの輝きなのかな? 早く答えを聞きたい、君の出す答えを。」
どんな結末でも、それは彼の何れかが認める結果だろう。彼は独りに非ず、常に代弁者であり、当事者であり、傍観者なのだ。
明るい空は澄みわたり、海は青い。木々の緑に身を委ねながら、彼の瞳は景色に重なる物を見る。
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