第百話
結晶を飛ばす。剣が打つ。目の前にいる。剣が迫る。剣で防げど、その一撃は重すぎる。
ソルが地面に転がるのに、僅か数秒と必要なかった。咄嗟に結晶で自身を包み、身を守る。硬質な音が響き渡り、剣はソルの結晶をゆっくりと断っていく。触媒素材だ。
(嘘だろ、おい!?)
金属にも勝るとも劣らぬ結晶とはいえ、その構成は魔力。触媒はそれを易く裂いていく。
ソルは結晶を拡散させ、その勢いとともに距離を取った。咄嗟の拡散では威力が出ず、一つとしてエミオールを傷つけた物はない。
「厄介な力だね……アスモデウスの物では無いよね?」
「……っ!?」
言い換えそうとしたソルは、自分の声がでないことに気づく。慌てていた為に気づかなかったが、【煌めく超新星】の影響で固定が変に働いたのかもしれない。
黙ったままのソルに、返答する意志が無いと考えたか。エミオールはその剣を再び構える。仕方なく、ソルも再び剣を創り構える。
「これだけ近くに、原罪の進行があるとはね。僕としては、お引き取り願いたいのだけど、どうかな?」
「……」
喋れないソルに、返答の手段は無い。頭を働かせるよりも、今は自衛が先である。魔力を迸らせたソルが、戦陣を展開すると同時に、エミオールは一歩を踏み出した。
その一歩は、二人の間合いを急激に詰める。二度目の現象に、ソルは結晶を突き上げて対応する。空は相手も飛んでいた。戦陣を広げにくい空では、ソルの領域から外れそうだ。
よって、ソルは地上で応戦する事にした。結晶を次々と隆起させ、吸収と拡散を使い徐々に追い詰める戦法だ。
「……なるほど、魔力で織り成す結晶か。このままだと不利かもね。」
紺碧の双眸を紅く染め上げ、エミオールは剣を振るう。空間にほんの僅かな波が広がった様な錯覚の後、戦陣は跡形もなく消え去った。
結晶の後ろで魔法を展開していたソルが、エミオールの前に曝される。
「っ!」
「そこか!」
煌びやかな剣がソルに迫り、その胸の軽鎧を突く。細身な体からは考えられない、強い一撃が鎧より先にソルの姿勢を崩す。
結果、ソルは吹き飛んだ。「飛翔」で上に逃げるが、エミオールは既に上で待機してきた。頭の上から振り下ろされる剣は、反射的に避けたソルの角を打つ。
凄まじい勢いで地面に飛ぶ。土を、岩を、大地を砕いたソルは、結晶さえ全て壊れ、加護でかろうじて動ける体を保つ。遅れて、断たれた赤いバンダナが地面へと落ちる。
「埋まっても死ぬほど柔でもないだろう? ……いや、本体でないなら、そのくらいなのかな?」
エミオールが地面に降り立てば、砕けた地盤から結晶が飛ぶ。
飛来したそれを翳した手で受け止め、エミオールが呟く。
「頑丈だね、欲しいくらいだ。」
放り捨てた結晶は、落ち始める前に消失する。上空に飛び出したソルが、大量の結晶を創りだす。それを、自身を中心に回し、エミオールを牽制した。
「……攻撃はしないんだね。」
罠を警戒するエミオールが攻めあぐねる。その間にソルは狂った【具現結晶・固定】を治そうと急ぐ。
しかし、その時間は致命的だった。目を紅く染めたエミオールが、巨大な魔法陣を展開する。
「【無限虚空】!」
ソルの周囲の結晶だけでなく、武装の遊星や軽鎧、加護までも無くなる。と、同時にソルに乱れて残った固定も消えた。
空中にいるソルに踏み込むエミオールに、ソルは【具現結晶・加護】をかけなおす。振られる剣を、自分を下に撃ち出して避けた。
「判断が早いね、でも最適じゃない!」
ソルの下、砕けた地面。その破片がいくつも、上に向け飛び出す。ソルは腕を前にして受けるが、加護の上からだとしても、何度もぶつかれば痛みもする。
ついに内側で出血が始まり、コートの下で腕に痣が広がる。右腕は結晶に侵食されているため無事だったが。
「くっ、がぁ!」
より強い力場で岩くれを凪ぎ払い、ソルは魔法を展開する。とにかく隙が無さすぎて、対話が出来ない。
相手が再びその気になるか、自分で安全を確保しなければ。一つ確かなのは、ソルに勝利する術が見当たらない事だ。
「【捕らえる力】。」
「【具現結晶・牢獄】!」
純粋な力場がソルを四方八方から押さえつけ、エミオールを細かい結晶が全方位から押さえつける。互いに潰し合う中で、ソルの結晶は魔力を吸収する。
「しょうがないか、【無限虚空】。」
一つしか魔法を展開出来ないのが契約者だ。力場を操るのは悪魔が宿っているからだろうが、自分を押さえる結晶を消す為に、ソルを解放せざるを得ない。
互いに自由になった瞬間、先に動いたのは魔法を使ったエミオールではなくソルだ。山に向けて全力で飛ぶ。遮蔽物があるなら、結晶で包めば探知が出来るソルが逃げやすい……筈だ。
「……今、そっちに行くのは困るかな。うちの商人には手出しさせないよ。」
「前提が狂ってるってのっ……!」
この速度で聞こえる筈もないが、呟かずにはいられないソル。簡単に距離を詰めてくるエミオールに、ソルは右に左に動きながら山へ飛び込んだ。
岩、木々、海から離れたここではかなり鬱蒼としている。それらに隠れながら、ソルは魔力を高ぶらせていく。
「【具現結晶・戦陣】!」
「またこれかい? 何度も展開出来るとはね。」
今度は積極的に攻める。魔法を展開させないこと。それが唯一、安全である方法だ。
集中的な猛攻は、エミオールに魔法を展開させる余裕を与えない。徐々に戦陣が魔力を吸収し、いずれは魔法を使えない所までいく筈だ……だった。
数刻、集中力が持つのが奇跡的なほど、連続的な魔法の展開で均衡を保っていた。それを、エミオールの呟きが裂く。
「空虚に近ければ近いほど、無になる力は増していくんだよ。【無限虚空】!」
早かった。魔力が動いたと感じたときには、すでに魔法陣が輝き、魔法が発動していた。
ソルのすぐ横だった。後数歩ずれていれば、直撃。振り向けば遥か遠くに大きな山脈が見える。
つまり、今まで居た山が、無い。ソルは洞穴を穿ったが、そんなのは比べ物にならない。山脈が丸ごと、ポッカリと消えた。
「山が……消えやがった……」
「喋れるんだね。」
唖然とするソルの首に、剣が突きつけられる。加護がなければ血が滲んでいただろう。
反射的にソルが、創った剣を振り向き様に薙ぐ。剣を弾き飛ばしすぐに返すが、その斬撃はエミオールに届く前に剣が消えてかなわない。
その右手を掴んだエミオールは、怪訝な顔で中指を探る。そしておもむろにソルのグローブを取った。
「……ティポタス、《顕現》。」
『はいはーい、俺様の参上だ。』
身構えるソルの前で、エミオールはティポタスに問いかけた。
「彼は本当に例の魔力を?」
『持ってるさ……あれ? アスモデウスで無いね?』
無貌の顔が近づき、無意識に一歩退いたソルに、彼の悪魔は首を傾げた。それにエミオールは深い溜め息をつく。
「やっぱりか。狂信者なら、あの指輪を潰すことはしないだろうしね。」
『惜しい、もうあっち。』
ソルの右手を見ようとしたのか、首を巡らせたエミオールだが、ソルは彼の剣を拾いに行っていた為にかなりずれていた。
剣をエミオールに差し出すソルは、前を向き続けるエミオールに問いかけた。
「目が見えてないのか?」
「わっ!? ……いきなり話しかけないでくれないかな?」
完全に気が緩んでいたのか、左から声をかけたソルに驚いて向き直る。
差し出した剣を右手に持っていけば、気づいたエミオールは受け取って鞘に納めた。
「さっきまで見えてたろ?」
『普段は俺が瞳にいるからな。俺がコイツから離れてなきゃ、視覚を模倣できるのさ。』
「だから今の僕は何も見えないよ。明るい暗い程度なら、なんとなく分かるけどね。」
さて、と前置きして、エミオールは姿勢を正す。その姿は気圧される程に堂々としていた。
「君が孤独のモナクスタロだね? 話を聞かせて貰えるかな。」
西にきた目的と、アスモデウスの傀儡と会ってからを話終えると、エミオールは一つ頷いた。
「そういう事だったか……傀儡とはいえ、原罪の前で生きている者がいるとはね。」
そして、すぐに頭を下げる。急に笑い出すティポタスを他所に、エミオールはソルに詫びた。
「すまなかった。此方の勘違いで、多大な迷惑をかけた。」
「別に疲れただけだから良いけどさ……それよりも例の魔力って何か、教えてくれないか?」
「それは……ティポタス。」
エミオールが呼べば、辺りを漂っていた悪魔が戻ってきた。話は聞いていたのか、すぐに口を(?)開く。
『原罪なら皆混ざってる奴さ。アンタも知っているだろ?』
「知ってたら聞かないと思わないか?」
『……それもそうか。名持ちの割には、情弱なのだな。』
事実なので黙っておく。それよりもソルは先を促した。
『まぁ、俺様程になればその理由も知っている。あれは元ルシファーの物さ、全ての悪魔の始祖の魔力だ。直接繋がりのある原罪は、それが濃いんだ。』
「それが俺にあるのか?」
『薄いけどな。傀儡というにはちょうどよかった塩梅に。他の悪魔よりは、よっぽど濃いんだけどな。』
なんとなく顔の輪郭が笑ったように見える。顔も無いのに、表情豊かな奴だと思った。
『心当たりはあるかね?』
「いや、まったく。」
『だよなぁ。まず感じるのが難しいからな、あの野郎のは。』
「そうなのか?」
『俺様以外、気づいた輩は聞かねぇな?』
先程から、なんとなく態度や口調が一定で無い。分かりづらい奴だとも思った。
「まぁ、立ち話をする場所でもないだろう。ストラティがいる村に戻ろう。」
「そういえば、なんで王様が村に居たんだ?」
「うん? 僕の国が人手不足だからだね。色々、自分でやらなくちゃいけない。ティポタスのおかげで、僕が行えば早いから。」
戻んのか、と言いながらティポタスがエミオールに重なる。少しして、エミオールの焦点がソルに合った。
「それじゃ、行こうか。君のお連れも待ってるから。」
「なんか複雑だな、さっきまで死ぬかと思ったんだけど。」
「……その件に関しては、本当にごめん。まさか始祖の繋がりがあるとは思わなくて。」
色々と知れることはありそうだ。ソルは一気に疲れを感じながら、前を飛ぶエミオールについていった。