第九十九話
ゆっくりと進む馬車に、二人の男が寝ている。少し乱暴に扱ったからか、まだ目を覚まさない。
御者席にベルゴが座り、ソルとシラルーナは、ストラティについて歩く。
北上してから、今は西へ。地理的な南北で言えば、ケントロンの王都よりは南、アナトレー連合国のエーリシの街よりは少し北だろうか。
魔界からはかなり離れており、北の山脈が近く見える。とはいえ、麓さえ見えはしないが。
「なぁ、我等が王国ってのは?」
「テオリューシア王国、誰もが怯えることの無い国だ。」
「理想か?」
「目標、といって欲しいな。」
ストラティは前を向いたままで答える。横を歩くシラルーナが、ソルに続いて尋ねた。
「あの、なんで西なんでしょうか?」
「西にしか土地が無かったからだ、獣混ざりの子供。それに、この地にも多くの人と、それに近しい者がいる。その全てを救うという、夢物語に生涯をかける者もいる、という事だ。」
ストラティが僅かに後ろを向きながら答える。シラルーナへの呼び方に侮蔑の意味もあったが、本人は聞き慣れた呼称を選んだだけのようだ。
抗議の代わりに、シラルーナは名乗ることにした。その意味を受け取ったのか、彼は頷くとソルの方を向く。
「シラルーナ、か。そちらの結晶の魔人は?」
「なんで魔人なんて知ってんだ?」
「魔法を使い、目の紅くなる人間は魔人という。この辺りでは、悪魔の情報は豊富だからな。いつでも高く売れる。」
「物騒な訳か。俺はソルだ。」
「これでも冬は穏やかな方だ。」
道中に馬車を重くした素材を見て、ソルは穏やか? と首を傾げる。珍しく使い勝手の良いものだけを集めたつもりだが、それでもかなりの量だ。
視界の隅で、ベルゴが自慢げなのは謎だったが。取り敢えず録な事でも無いだろうと、ソルは無視を決める。
「案内ってことは、魔術師はそこの……」
「テオリューシア王国に集まっているんですか?」
国の名前を思い出せず、シラルーナを見たソルの代わりに、彼女がストラティに聞く。
彼は前に向き直りながら、その問いに答える。
「そうだな。おそらく、貴殿らの用がある人物もいるだろう。クソジジイだろう?」
「間違ってないな、多分それだ。」
「いえ、あの……おじいさんではあります。」
二人の返答に頷くと、ストラティはベルゴに振り向く。
「それで? お前は何故来た?」
「俺だけお前呼びかぁ……まぁいいけどねん。俺はソル君が何かしでかすと思って、ついてきただけだよん。」
「こんな地にそれだけで……吟遊詩人か?」
「変人を全部それにすると、失礼だと思うぞ。」
「ソル君、それ俺に失礼。」
怪しむ目でベルゴを見ていたが、ストラティは結局何も言わなかった。背丈はあれど細いベルゴならば、一人で出来ることに限りはあると考えたからだ。
少し気まずい沈黙が続く。まだ後ろには山もしっかりと見える。時間もそう立っていないから、当たり前ではあるが。進展の遅さに少しうんざりだ。
「……いや、遅すぎないか?」
「何がだ?」
「まっすぐに進んでるわりに、距離がさ。まるで幻でも見てるみたい……」
「ソルさん、右です!」
ソルが反応するより早く、ストラティが風切り音の元を掴む。ソルの首を狙われたそれは、毒の塗られた矢だ。
辺りが歪み、霧の様にかききえる。景色は変わらずとも、何かが解かれたのは間違いない。
「見破るとは、流石ですね。孤独のモナクスタロ。周囲に惑わされなどしない、貴方の性質は私には厄介です。」
「……玩具か。」
「協力者ですよ。」
見回すソルに、現れた狂信者が語る。
その目が死んでいるのは、既に死体なのか自我が無いのか。ソルには関係ない事だ。
「闇は隠して欺けど、光は魅せて惑わせる。貴方はどちらも見向きもしない。寂しい限りです。」
「お前はその場に居もしない癖にか? アスモデウス。」
ソルが武装と加護で臨戦態勢を取れば、他の面々も構える。たった一人の狂信者だが、ソルが呼んだそれが真なのでは、油断ならない。
「ソルさん。」
「馬車に乗ってろ。国まで走れ。」
「近くに拠点となる村を作ってある。一日とたたずに援軍に来よう。耐えられるか?」
「本体じゃないし出来るさ。シーナとオマケ、頼むぞ。」
オマケと呼ばれたベルゴが、二人の横に馬車を持ってきている。すぐに乗り込んだ二人を確認して、ベルゴはすぐにレギンスを走らせる。シラルーナの魔術もあり、馬車は飛ぶように駆けた。
「待ってくれるんだな。」
「私が用があるのは貴方ですから。傀儡越しでも、私に見えない物はそうそうありません。」
「やっぱり玩具じゃないか。」
右目から迸る魔力。満ちたそれはマナで繋がれ、結晶の戦陣を創りだす。
狂信者がその背後に多数の光を瞬かせる。星空の様に広がったそれが、ソルに向けて撃ち出される。隠れる必要が無くなったからか、魔法を豪勢に使うようだ。
ソルの【具現結晶・武装】の遊星が、それらを反射して辺りに散らす。その中を突っ込んだソルが、剣を横凪ぎに振るった。
「それではありません。その魔法はいいですが。」
素手で剣を掴み、ソルの動きを止めた狂信者。血が流れ落ち、剣を伝ってソルの手を濡らす。虚な眼で覗かれ、気圧されたソルは剣を手放した。
距離を取ったソルに、狂信者は満足そうに頷く。表情も目も死んでいる為、その動作には違和感しか残らない。
「よろしい。私が見たいのは、そのような残念な武術ではなく、貴方の魔法……それも付与です。残念ながら記憶は残っていないようですが……貴方が彼を選んだ理由の解明、協力してくれますね?」
「モナクスタロにだけ言ったんなら、少し悩んだろうな。けど俺は孤独の魔人だ、お前には嫌悪しか無い。」
「残念です。強引に見せてもらいましょう。」
狂信者の背後から、山羊の魔獣が溢れ出す。大きさは馬ほどだろうか、しかしその数は数百を越える。
狂信者の肉体も蹂躙されるだろうが、それは彼の悪魔にはどうでもいい事のようだ。
「さて、『襲いなさい』。」
「数ばっかり揃えやがって!」
戦陣の中を、結晶が廻る。剣となり、槍となり、槌となり。ありとあらゆる排除の形を取って、生き物という生き物を屠るだけの生物に向かう。
その中でも、星は降る。ソルは魔獣の血肉を散らしながら、自分がその仲間にならないように遊星を操りつつ、飛び回って回避する。
「いいですよ! もっと、より『狂いなさい』!」
狂信者が叫べば、魔獣達は僅かな理性さえ無くして荒れる。魔力の波にのって届く言霊が、ソルの思考さえ揺さぶる。
結晶の狙いが雑になり、魔力ばかりを消耗していく。強引に排除しようと思えば、大きな結晶を、強い力場を必要とするからだ。
「変わらず鬱陶しいな、【色欲】は!」
「貴方には変わらず届きませんね、私の声は。」
ソルの【反射する遊星】に向けて、狂信者が短弓を構える。矢を放ち、ソルの遊星を正確に砕く。反射を付与したとはいえ、結晶が簡単に砕ける物では無い。光の斥力と丁寧に狙った腕前があってこそだ。【色欲】で惑わされていなければ、いい暮らしが出来る才能である。狂信者の中に、何人このような人物が混ざっているのか。
「これで通りますか? 【流星群】。」
「ぐっ、【具現結晶・防壁】!」
幾条もの星が流れ落ち、結晶の壁を叩く。数秒後、砕け散った結晶は辺りに散らばり、霧散した。
その間に避けたソルを、魔獣達が襲う。中断していた結晶の乱舞を再開し、ソルは再び魔獣を蹂躙する。
出来るなら付与は使いたく無い。アスモデウスの狙いがなんであれ、回収と放出はまだ見せていない。少なくともこの二つは、使わずに切り抜けたいところだ。
「いい加減に『落ちなさい』。」
「うぉ!?」
落ちる、とまではいかずとも、バランスを崩したソルは失速する。
魔力はまだ持ち、魔獣も順調に減ってきている。戦陣にエネルギーも貯まって来た。しかし、ソルが倒れてはそれらは無意味だ。
「さて、使ってくれますか?」
「断る! 全周、【具現結晶・貫通】!」
飛べぬなら籠城とばかりに、戦陣の魔力を利用して結晶を突き出す。ソルの周囲に砦のように生えたそれは、近い魔獣を貫き壁となる。
遠距離は狂信者の攻撃のみ。それは【反射する遊星】と結晶の剣で防ぐ。放置すれば魔力が尽きた者から気絶、狂った魔獣は絶対に退かない。
「留まりますか? ならば……おや?」
絶え間ない攻撃を止め、大魔法の展開にかかった狂信者。その隙を結晶で把握していたソルが逃すことはない。人間の肉体ならば、【具現結晶】は安く貫く。
「なるほど……速いですねぇ。ここまでとは油断しました。魔界の地でさえ無いというのに。」
血を吐き、明らかに脱力していても、変わらぬ調子で傀儡は喋る。まるで刺された事に意味など無いほどに。
……その意味に気づいたとき、ソルは咄嗟に自らを固定した。
「見せてくださいね、【煌めく超新星】。」
力尽きた狂信者を中心に、辺りを光が包み、分かれ、上へと貫く。それは上空で巨大な星となり……
「……【無限虚空】。」
戦陣も、光も、全てが消えた。何事も無かったように、何もかもが無に還った。
「魔獣が集まってるね。ティポタス、《顕現》。」
『はいはいはーい! 喚ばれて無に帰す、俺様がティポタス様だぁ!』
宙に浮く人間から、一体の悪魔が表れる。無貌の亡霊。一言で表せばそうなる。
まるで何かの残滓の様に。輪郭だけを象った物に、時間の流れを感じる丈の長い衣服のような物。一応は人の形だが、それだけだ。
白と黒の混じる色、移るグラデーションが透明なその姿はあまりにも主張が薄く、しかし決して無視できない存在感がある。
『全部かい?』
「そうだね、彼以外は。」
『うーん? 孤独のモナなんとかっしょ? 居ないね、よしドーン!』
背筋に這う寒気に従い、ソルは全力でその場から離れた。【具現結晶・狙撃】もかくやの速度で撃ち出した己は、【具現結晶・固定】で無事だ。
その直後、背後から一切の音が消えた。次に猛烈な風。振り返れば、冗談のように平らな平地に、空気が吹き込んで渦を巻いていた。
『あっ、一人逃がしちった。』
「構わないよ。それがアスモデウスの傀儡かな?」
『多分ね。例の魔力だ。』
荘厳な礼服に身を包んだ人物が、一歩を踏み出す気軽さで高空から地上に降りた。華奢な体に悪魔が戻り、淡い金の髪を流した人物がソルに向き直る。
儀式に用いるような剣を抜き放ち、ソルに向ける。そのまま口を開き、その人物は宣言した。
「テオリューシア王国初代国王、エミオール・テオリューシアがお相手致す。」