第九十五話
二人の兵士の対応が変わったが、誤魔化すのをやめて正直に言ったとて、余計に怪しい集団である。
不味いとは思いつつも、今までと同じ答えを返すしか無かった。
「これは……あまり人と話すのが得意ではないので……」
「手、随分と白いね?」
「……そうですか? ありが」
「取れ。」
二人のうち一人が、シラルーナのフードに手を伸ばす。相手の身分が低いならば、多少手荒にしても許される。シラルーナがフードを押さえた時には、頭は隠せてもその顔は隠せなかった。透き通る白い肌と髪、赤い瞳がフードの下から表れる。
「あっ。」
「白い忌み子、ね。眩しいからってのもあった訳だ。」
不自然にならないように、日の光に眩むフリをするシラルーナ。同時に顔も隠せる。
「狂信者が嗅ぎ付けたら困るんだがな……最近ここいらじゃ変な事件も多いしね。」
「悪魔を相手にはしたくないのよ、分かるでしょ? お嬢さ」
「それは酷いなぁ?」
すっかり追い返すムードだった二人は、あまり馬車を気にしていなかったのだろう。若干不機嫌なベルゴが、上から頭をひっ捕まえるまで気づかなかったのだから。
別に力が強かったり体が大きかったりする訳でも無いが、音も気配も無く頭を鷲掴みにされては、流石の兵士も驚く。それでも、すぐに手を払うくらいには平静だった。
「市民の安全を考える事の、何が酷い行為かね?」
「変な事件が狂信者や悪魔のモノなら、もう手遅れだし? 白い忌み子が、単純に嫌いなだけでしょ? それにこんな夕暮れに平野に引き返せってのもあんまりだ。」
「見ず知らずの君の都合と、市民数千の安全。我等に大切なのは仕事と家族と友人だ。ピリピリしている中で、僅かな不穏分子も招きたくは無い。すまないが、引き返さないか?」
正面から睨みあった二人だが、やがてベルゴが折れた。
「やっ、もっともだ。でも俺達は明日の朝には西に行く。一晩、ひっそりと居るだけで暴動になるかな?」
「一晩か……しかしだね。」
「あの、手……薬草の匂いですよね?」
悩み始めた兵士の横で、シラルーナは後ろに立つ兵士を見る。
「ご家族、病気なのですか?」
「……そうです。」
若い兵士はそれだけ答えた後、黙る。つい答えてしまったが、その顔には失敗した、と表れていた。
「自分で取りに行くくらいには、余裕が無いと……ふむふむ。」
「それが関係ありますか?」
喧嘩でも売っている様なベルゴの態度に、若い兵士が噛みつく。もう一人に諌められたが、その目はベルゴを離さない。
「すいません。でも、それなら少しばかり人助けを、ね? 俺、宝石商ですから。」
「それが病気とどういう」
兵士の言葉を遮り、ベルゴは彼に大ぶりのエメラルドを手渡す。目を見開く二人に畳み掛けるように、彼は言い放った。
「はいこれ、役立てて下さい。その代わりに一晩だけ泊めて、後は西に行かせてくれますか?」
夜の街。最後の一団が入り、国境の街は門を閉じる。これからの時間帯、ここは強固な砦としての顔を見せる。
「もー、ソル君てば俺に丸投げしないでよねぇ。あの二人、賄賂で動くタイプでもないじゃーん。」
「シーナが気付いてたろ、あの手。ケントロン王国じゃ、医薬品はかなり売りにでてんだから、買わないのはおかしいだろ。あの薬草の効能、結構バカに出来ない部類だし。」
街中をゆったりと馬車で歩きながら、宿を探す三人。道すがらに食料は購入出来ていた。
「ちなみに、どんなの?」
「脇腹に穴が空いても助かる程、血液を作るのと雑菌を殺す。」
「君はどんな経験してるの……?」
「シーナだぞ?」
「嘘ぉっ!?」
勢い良く振り返るベルゴに、シラルーナは手を振って否定する。
「あれはソルさんが止血してくれたのと、御師匠様の魔術もあってですね。」
「いや、まず穴が開くってなにさ……」
「あっ、あの宿ですよね? ほら聞いた宿と名前一緒ですよ!」
引き気味のベルゴの声に被せて、シラルーナが指差すのは少しボロい宿。確かに目立たないだろうが、事件云々を聞かされた後に泊まる宿だろうか?
「ほぇ~、崩れそう。」
「ド失礼だな。まぁ分かるけどさ。」
「まぁ事件だのなんだのは西に集中してるみたいだし、街中は大丈夫でしょ。」
「東にもあんだから、ここは真っ只中だ。多分、狂信者の類いだろ。」
「不安でしか無い~。」
とはいえ、本当に狂信者なら彼達もあまり目立っては不味いだろう。ただでさえ、王都で大粛正が行われたばかりだ。人攫いはリスクが高い。
今は白い忌み子も魔人の必須条件では無く、憑代も露骨に欲していると魔人化の実験に誘われる。成功例があるとは言え、あまり嬉しくは無いのが、悪魔達の心情だ。アルスィアからその辺りを聞いたソルは、そこまで心配はしていなかった。自分自身も、アスモデウス以外に執着された覚えも無い。
「とりあえず、部屋空いてるか聞いてこようか。俺だけだと不味いし、全員で行こう。」
確かに今のソルは、紫のコートにフードを深く被っている。おまけに右手だけグローブ、そして肩当てや脛の鎧。
しかし、ベルゴは全員で行く、という部分で首を傾げた。
「なんで?」
「もしもの話をすると。俺以外、契約者相手に出来るか?」
「なるほど、君だけの行動がダメで、君抜きの行動もダメと。いやぁ、愛されてるぅ~。」
「お前が単独で行くか? 部屋取ってこいよ。」
「皆で行こう? 仲良くね?」
とはいえ、流石にレギンスは外で待機だ。何処かに行くことも無ければ、持ち主が近いと分かる、あからさまな位置の馬車を襲う盗人もいないだろう。
「ヤッホー、夜分にすんません!」
「……何部屋?」
「わぉ、超クールだね。何部屋ぁ?」
「三あれば、値段にもよるけど。一部屋は?」
ソルが尋ねれば、壮年の男性は五つ指を立てて答える。
「それ、少し高過ぎじゃないか?」
「一つ桁を下げろ。」
「三部屋で。」
すぐに硬貨を渡したソルに、男性は鍵を三つ渡してくる。こんなボロでも鍵がある辺り、やはり街なのだと変な感心をする。
レギンスと馬車を裏の空き地に連れ、二階の部屋に上る三人。
「って、これは鍵の意味……」
「まぁ、在室の目印にはなる……かぁ?」
ほとんど外れかけた扉、サイズが細く明らかに開閉自由な扉、その他諸々。
鍵の意味が無い、あげく部屋の家具も少ない。法外に格安なのも納得だ。
「これ、室内とはいうけどさ。土の上と変わらねぇな……」
「まぁ、寒くは無いよね。すきま風は隣の建物が防いでくれてるし。この部屋じゃなくて……」
「一晩だけですし、しょうがないですよ。せめて水でもいいから、体拭ければ良いけど……」
少しはゆっくりと出来ると期待した分、落胆は大きいが宿は宿である。人目があり、ある程度は安全なのは事実だ。街中の路上と、同じレベルだとしても。
三人はそれぞれの部屋で、ベッドに身を沈めて休んだ。馬車の中や地面よりはマシだった、とだけ追記しておく。
朝、三人は起きるが早いか宿を出て、西の門に向かう。並ぶのを避ける為だったが、西の門には驚く程に人がいない。
「あれ、いないもんだな。」
「だから、言ったじゃない……ふあぁーあ。好き好んで西に行くのは少ないって。それも南下してから。」
「まぁ、この街にも用は無いし、早く出て悪いことは無いか。」
「そうだけどさぁ……俺は惰眠を貪る為に生きていたい……」
「ダメ人間め。」
門のそばまで来たところで、ソルは影に溶けて隠れる。ベルゴが御者席に、通行許可証と騎士団長の勲章を準備する。
「うん、緑髪の青年、ね。フードの少女は?」
「あり? 俺ってば有名人かな?」
「恩師に頼まれてね、早めに出ていくなら手を貸してやれとさ。一応、荷台は改めさせてよ。人拐いや盗賊って疑うのが仕事なんだ。」
「違うって証拠、ちゃんと見つけてねぇ?」
手薄な荷物は、主に食料品だ。それ以外には僅かな紙に、布等。魔獣の素材は既に切れ、魔炭の木や薬草が少し転がっている程。
シラルーナと、彼女の抱えている魔導書は、荷物のように寝ているが荷物では無い。
「なんというか……まじで大丈夫かね? 死ぬなよ?」
「大丈夫じゃないかな? ほら、資金はあるからさ。」
あまりにも隠す場所が無い、少ない荷物のしたから、大きめの袋を取り出す。そこには大粒の宝石がボロボロと出てくる。
「おぉ!? こりゃまた……なるほど、宝石商で納得せざるを得ないわな。」
「通って良いかな?」
「許可証ね、はいは……い!? 勲章まで? あんた何者……」
「あぁ、道中もこれ見せびらかせてたら、早かったかな?」
「狙われて死ぬぞ……へぇへぇ、なんも聞かないよ。早く行きやれ、緑のあんちゃん。」
門を開けて馬車を通す兵士に、手を振りながらベルゴは馬車を進めた。少し不機嫌そうな鼻息を鳴らし、レギンスが歩を進める。
過ぎた門はすぐに閉じられた。西は危険が多いため、できる限り閉めておくのだろう。
「ふぅ、後は少し離れれば、魔術に魔法で楽し放題?」
「そうでもないだろ。」
「わぉ、ソル君ったら急に喋んないでよ、驚くからさぁ。」
リアクションは小さくするものの、明らかに大袈裟に驚くベルゴに、若干苛立ちながらソルは後ろを見る。
段々と遠くなる砦が、ケントロン王国の端。マモン、アルスィア、拒絶の魔人、偽善の悪魔。良いと言いきれない縁が多かった国だ。
「すぐに楽したがる同行者が増えたしな……」
「でも結構やるっしょ? 俺。」
「金食い虫でさえ無ければな。」
「……ん? 今、遠回しに褒められた?」
困惑したベルゴに、前向き過ぎなんだよ、と呟いて魔術をとく。一息入れて空を見上げれば、澄んだ青。憎らしいくらいの晴れ間が照らす西の大地は、その景色が急速に荒廃へと変わって行く。
「魔獣と悪魔の入り乱れる土地、か。アナトレーよりも酷いのかな。」
「そりゃ、比べ物にならないでしょ。東は魔獣も悪魔も細く北上するしか無いし。」
「獣人が広がって生活してるしな……はぁ、荒れそうだ。」
分かりきっていた事だが、自分の目と肌で体感すれば、理解は実感になる。
知らず知らずのうちに、ソルは握り込んでいた拳をとく。その手を寝ているシラルーナの頭に乗せれば、耳がそれに反応するのがフード越しにも伝わった。
少なくとも、魔界で独りってのよりはマシだな。ソルはこの西の大地において、少女の夢見た無敗の英雄でいる事を、決意した。