第九十四話
「ふあぁ~ぁあ。朝か……おやすみ。」
「寝んなアホ。」
ベルゴに小さな結晶が投げつけられ、彼は起き上がった。燻る焚き火は魔方陣を描いており、ソルは広げた荷物を馬車に積んでいた。
「手伝ってくれないか? 一晩乾かしてたんだよ。」
「それより、ここどこ?」
「どっかの林。念の為に結晶で囲んだから、出るなら言えよ。」
本当にドーム状に辺りを結晶が覆っている。その大きさは少し大きな部屋位だが、馬車と馬に荷物を広げた範囲は中々に広い。
ちなみに空気穴だろうか、ベルゴの上に開いている。幸い雨は降らなかった。
一晩中、この大きさの魔法を維持し続けた所為か、ソルの顔は若干青かった。
「シーナ、朝だぞ。」
「……ん~。」
「起きてくれ~、俺は眠いんだ。」
「ぅん? ソルさん……?」
「そーそー、俺。」
荷物を片付けながら、シラルーナをつつき続ける事、数分。少しボーとしているが、シラルーナも手伝いだす。
「いや、お前も手伝えよ。」
「俺は今日中に、ケントロン王国の国境を越える任があるから、英気を養っとく。」
「許可証持ってて英気を養う要素が何処にあんだか……しかも、いざとなりゃ宝石渡して通れるだろうが。」
「それでもサボりたい!」
「知るかアホ。」
本日二度めの結晶が、ベルゴの頭を命中した。今度はかなり痛い。
「次は刺さるぞ。」
「やー、働くの大好きなんだよ、俺。」
高速で頷きながら、テキパキと荷物を片付ける。最初から任せれば良かったと思う速度で片付けると、ベルゴは御者席に座る。
二人は後ろだ。ソルは早速、瞼が落ちた。シラルーナは荷の点検や整理をしながら座る場所を作った。
「あっ、ソル君。方角どっち?」
「あ? あ~……確かあっち。」
「あっちね、りょーかいりょーかい。」
長く伸びた手綱を引き、ベルゴはレギンスを歩かせる。木漏れ日が照らす林の中を馬車はゆっくりと進んだ。
「シラちゃん、体調大丈夫かい?」
「はい、私は大丈夫です。むしろ、ベルゴさんの方が濡れていませんでしたか?」
「俺は頑丈なのが取り柄だかんね~。ちょっとやそっとじゃ平気よ、平気。」
片腕を上げて力こぶを作って見せるベルゴだが、その腕は細い。ただ、元気なのは伝わった為、シラルーナは何も言わなかった。
「そーいえばさ~ぁ? ソル君ってどんな奴なの? 面白そうだし、ネタになるから着いてきたんだけど、良く知らんのよね。」
「ソルさんは……多分、あんまり考えない人、でしょうか。」
「なにそれ。」
あんまりと言えばあんまりな評価に、ベルゴがつい吹き出す。シラルーナはそれを慌てて否定しながら続けた。
「あの、そういう意味では無くてですね? 確かに色々考えてるんですけど……なんというか、自分にどう見えたかが全部な人なんです。世間とか、地位とかを考えてないっていうか……」
「自分勝手って事?」
「人に左右されないというか……自分で色んな見方はするけど、人の見方を聞かないというか……」
「あぁ、自分で確かめないとすまない奴なのか。学者肌だねぇ。」
「そういう所は、御師匠様そっくりですよ。ソルさんは嫌がりますけど。」
馬車の縁に背を預け、腕を組んで寝ているソルにシラルーナは視線を向ける。もう少し眠りやすい体制になれば良いのに、と思った。
そんな二人を振り返ったベルゴは、何か言いかけて口を閉じた。多分、今からかうとソルに怒られると悟ったからだ。代わりに前に向き直って尋ねる。
「その御師匠様ってのも、学者さん?」
「さぁ……魔術を研究して作った人らしいです。ソルさんのお爺ちゃん代わりの人ですよ。」
「意外に大物……? どうやって悪魔の研究なんて、しようと思ったんだろうねぇ……?」
「気になったから、だとか。」
「絶対それだけじゃないでしょ。」
変な人達なんだなぁ、と呟くベルゴも、堅気の商売では無いが。情報売りで老いることが出来た者等、そうそう居ない。
話題も無くなり、進む馬車の中でベルゴが船をこぎ始めた頃、ようやく街が見えてきた。視認できる距離に三つ、いや目が良ければ五つは見える砦は、国境の証だ。
「ベルゴさん、街に着きますよ。」
「んぁ? あぁ、やっとか……ってもうこんな時間?」
夕暮れの街は外から帰る者も多く、待たされる事が多いのだ。国境の街ともなれば、それはより顕著だろう。
「うへぇ、入るならともかく、国を出るのが朝になりそう……俺はいつ寝れば……」
「さっきまで寝てたろ。どうせ宿で一泊するよ、無法地帯じゃいつ休めるか分からないしな。」
「あら、ソル君起きてたの。てかお金あるの?」
「非常用に取ってる。どうせこの先じゃ使いそうもないから、ここで使っちまおう。」
ソルが脛に当てている鎧の裏から、いくつか袋を取り出す。そんなものを仕込んでおいて、ケントロン王国での動きをよくした物だと、ベルゴは変な感心をする。
「一、二……うん、一泊して携帯食を買うぐらいはあるか。出来れば、雨の中で使う物とか探したかったけど……しょうがないか。」
「濡れてしまった物も、買い換えたかったんですけど……直せるでしょうか?」
「まぁ無いよりマシだな。財布事情は誰かさんの所為だけど。」
「俺の腹筋に見とれてんの?」
「服、剥いでやろうか?」
寒いから遠慮しとく~、と前に向き直るベルゴ。柔軟な物でなければ【具現結晶】で対応すれば良いか、とソルは隠れる準備をする。
半分獣人のシラルーナも通れる様に、比較的に獣人に理解のある南よりに進んでいる。しかし、角を持って左右の瞳の色が違うソルは、明らかな悪魔関係。まず、騒ぎになる。
「ケントロン王国が、ここまで悪魔排除だとは思わなかった。アナトレー連合国は割りと緩かったのに。」
「あそこは小国の集まりでしょ? 基本は、来るもの拒まずの精神じゃない、余裕が無いからさ。こっちはむしろ、人で溢れかえってるし? わざわざ、新しく取り入れる必要ないでしょ。戦力も実戦経験者は、四十は越えてないと居ないから、問題が起きてからじゃ遅いしね。ほら、広いし。」
「対応できるのが少ないのか……確かに、騎士団以外マトモな戦力を見なかったな。王都だけしか軍と呼べるのがいないなら、この警戒も納得……か?」
馬車に採った木で柱を立てて、そこに布を被せて固定する。こうすれば、影が出来る。
並び始める頃に、ソルは「影潜り」で影にとけた。
「うへぇ、近寄ってみたら、改めて想像通りの列だよね。寝てて良い?」
「代わりますか? 列に並ぶ間なら、私の年齢でもそうおかしくはないかと。」
「ん~、まぁ奴れ……従者としてなら普通かな?」
半分とはいえ獣人。体力があり後ろ楯の無い彼等は、拐えば奴隷として高く売れる。シラルーナの場合は生け贄としてだったが、拐われた事は同じだ。
流石に正面から言うのは、ベルゴとしても避けた。少し遅かった為か、見えないソルの視線を感じる気もする。精神衛生上、気にしない事にする。
「……? ベルゴさん、どうしました?」
「何がかな?」
「いえ、汗が……」
「なんでもないよ~、眠いだけ。」
結局サボりたい気持ちが勝り、ソルの側である馬車に引っ込むベルゴ。代わりにシラルーナが、御者席で手綱を握る。もっとも、レギンスは前に着いて勝手に歩くので、本当に握るだけだが。
「……ベルゴ。」
「はい、何でしょうか?」
「……分かってんならいい。」
「怖ぇ~。過保護兄弟子、怖ぇ~。」
「声にでてんだよ。」
案の定蹴られたベルゴが、声を殺して悶絶する。勿論、ソルは硬いブーツを履いたままだったからだ。
シラルーナが不思議そうに後ろを見るが、ベルゴはなんでもないと手を振った。そして寝た。図太さはかなりの物だ。
「本当に寝やがったぞコイツ……今日中に出国しないとは言ったけどさ……」
「街に入るだけなら、私でも出来ますから……多分慣れないことが続いて、疲れたのかもしれませんし。」
「情報屋がそんなかなぁ? まぁ、シーナが良いなら良いけど。いざとなったらコイツの宝石、賄賂に出していいからな。」
「それは最後の手段ですよ? それよりソルさん、そろそろ近づいて来ました。」
「分かった、黙っとく。」
ソルの「影潜り」は【路潜む影】とは違い、その姿しか隠せない。音や熱なんかは丸分かりだ。人間の五感ではそれで十分だが、黙る必要はある。
深くフードを被り直したシラルーナ。ソルが少し飛び出た尻尾をつつくと、それも慌ててローブの中にしまう。
長い列を早々に捌く為か、二人の門番であろう兵士が歩いてくる。事前に簡単な調査だけ済ますのだろう。ソル達の馬車の後ろがいない事を確認して、仕事の終わりにほっとしている。
「うん? お嬢ちゃんだけ?」
「いえ、ご主人様が馬車で寝ています。お疲れの様でして、申し訳ございませんが、休ませて上げてください。」
どうやら主従設定を生かす様で、ソルは顔をしかめた。誰かの下で働く事そのものが、悪魔の捕虜だった記憶の所為か、あまり好きでは無いからだ。単純に、ベルゴが主人なのが嫌なのもあるが。
そんな事は露とも知らず、兵士達は馬車を軽く除き込む。ソルの姿は影と同化して確認できない。イビキをかくノッポだけである。
「ん~と、彼かな?」
「はい、そうです。」
「なんというか……何してる人かな?」
「今は西に新しい国があるとかで、チャンスを掴みに行くんだそうです。急な雨に降られて荷物がダメになりましたけど……」
答えになっていない、聞いた話だけを返すような返事。実年齢より小柄な見た目もあり、兵士達は彼女に詳しく聞いても無駄と考えた。
むしろ、こんな奴に良く従者がいたもんだと驚いたかもしれない。働き手になりにくい女の子だが、捕まえやすく売りにも出される為か、多い。大方、安く手にいれた奴隷だと考えるだろう。
ここまで考えたソルは、早々にベルゴを起こすことにした。軽く足で小突き続ける。
「ふーん……所でお嬢ちゃん、なんでそんなにフードを深く被るのかな?」
今までと変わらない柔らかい口調だが、唐突に変わった雰囲気に、シラルーナは少し身を硬くする。
こちらを見る兵士の目は、剣呑な光を帯びていた。