第九十三話
夜の闇に、火の粉が散る。焚き火をつついて形を整え、終わればソルは枝を放り棄てた。
「これで魔獣は来ない筈だ。火、消すなよ。」
「普通、野宿は火を消さない方が、危ないんだけどねぇ。魔術師って常識無いなぁ。」
「通じないだけで、無くはないだろ。」
ソルが言い返しながら、少し火から離れる。丸太に座り、残りの魔炭の木を探す。
「少なくなってきたな……西には自生してるといいけど。」
「してるんじゃないですか? マナや魔力の濃度が低くても、生えていましたし。」
「まぁ、空気中に魔力が満ちてるのなんて魔界だけだし……西側が砂漠って話も聞かないしな。」
「西には海があるよー。その木って潮風は大丈夫なの?」
ベルゴが尋ねればソルは首を傾げる。
「潮風?」
「うん、海の風。少し塩が混ざってるんだよねぇ。」
「塩……そっか、海には塩があるんだったか。」
「あぁ、そういえば、二人は内陸出身だね。東の方は海がないもんね。俺は何度も行ってるよ、羨ましい?」
「特には。」
「これぞまさしく塩対応!」
「……」
面倒くさくなってきたベルゴは無視し、ソルは地図を広げる。昼間とは違う点が多い夜だから、ある程度の場所が分かりそうだったからだ。
例えば星空、それに飛んでも人や魔獣にバレにくい。方角を星で確認すると、ソルは空に飛んで辺りを見回してみる。この暗闇では遠くの山さえ危ういが、人がいれば明かりはある。
「……うん? 火が出てる。家が燃えてるよな、あの大きさは。」
夕飯が遅ければ、今の時間で火が出る恐れはある。少なくとも、人がおらずに立つ物では無い。
火がある所は、悪魔か人間がいるしかない。逆に、他の生物や自然現象で発火するのを、ソルは見たことは無い。火山という物が噴火する事を、本で読んだ程度だ。
「ソルさん、何か見つかりましたか?」
「燃えてる。多分、民家だな。」
「大丈夫でしょうか……」
「さぁ。でも、人がいるのは確かだから……多分、今はここかここ辺りかな。」
ソルは地図をベルゴに見せながら、場所を指し示した。そこを村と過程した場合だが、燃えるような家を魔獣の出る地に建てる以上、ある程度の集団かつ裕福では無いだろう。
「ふーん、じゃあ明日くらいには、砦に行けるかな?」
「多分な。少し強行軍になるけど……ん?」
「冷たいっ。」
「わぉ、雨だねぇ。」
「てことは雨乞いとかだったか? あれ。」
「悪魔に頼んでたりして。」
「あの距離に悪魔とか、冗談でも止めてくれ。」
雨乞いで確実に雨が降る保証は無いが、雨乞いには大きな火を使うことが多い。上昇気流や雲の原理からくるが、それは今は関係ない。
ソルは顔をしかめながら、馬車に結晶で支柱を作る。蝋を塗った布を被せれば、簡易的ではあるが雨宿りが出来る。
「用意良いねぇ。」
「西は雨も多いらしいからな。シーナが作ってたんだよ。」
「私は塗っただけですけどね。」
いくら魔術を使えても、シラルーナには下準備も設備も無くして、馬車を一つ囲う布は作れない。
三人で馬車に入り、ソルがランタンに火を灯す。焚き火が消えて暗くなった辺りが、その光に照らされる。
「結構、本格的に降り始めたね。」
「準備する間にも濡れたな……寒い。」
コートを脱げば、半袖なソル。段々日の沈みも早くなった季節には、会わない格好だ。
しかし、真に悲惨なのは二人だ。シラルーナは厚手なローブとはいえ、水を吸っているため重く冷たい。ベルゴにいたっては、ろくな防寒着さえ来ていない。
上着という訳でもないので、脱ぐに脱げないのだ。
「魔術師の妙技は、今こそじゃない?」
「俺は、炎の系統はからっきしだ。こんな雨の中、細かい調整は無理だ。」
「風では、少し寒いですけど……やりますか?」
ガタガタ震えながらだが、少しずつ水気を飛ばしてシラルーナが言う。
余計冷えそうだったため、ベルゴは遠慮しておいた。
「ランタンの熱、少し吸収した結晶でいいなら、ここにあるぞ。」
「「ください!」」
「ちっこいぞ?」
吸収をやめた結晶は、炎の熱により若干暖かい。二人はそれを手で包んだり、顔に当てて暖を取る。
「ソル君、良く平気だねぇ。」
「自分になら付与出来るからな、寒さ対策を少し。濡れてないから少し寒い程度でな。」
「い、いつのまに……それ俺には?」
「自分にならって言ったろ?」
「うぅ、私も中に来ておけば良かった。」
「俺のコートって、鎧の役目もあるからな?」
シラルーナのローブは、旅装束かつ普段着の側面が強い。ソルのコートとは用途が違う。
「そういえば、馬は良いの?」
「アイツは勝手に木の下にでも行ってるさ。濡れたくらいで体調崩さねぇよ、魔界さえ往復する奴だ。」
「君のおじいちゃん、本当に人間?」
「多分な。」
オークションの度に魔界を走ったレギンスが、ただの馬とは言いづらい。どしゃ降り程度なら、問題ないようだ……今から思えば、魔獣なのでは? とさえ思える。魔界の空気を耐えるのだから。
風で湿気を外に出しながら、三人が眠る準備を始めた時だった。唐突にシラルーナが、フードをとって耳を出す。
「……足音?」
「えっ? 聞こえるか?」
「さぁ? 俺にはさっぱりだよん。」
三人が僅かに警戒した時、唐突に馬車の中に雨がなだれ込む。
「うおっ!?」
「「風纏い」!」
ソルが正面から水を受け、シラルーナは全員に高圧の風を纏わせる。それは水を弾くが、代わりに馬車は水浸しだ。
堪らず三人が外に飛び出せば、そこには外套の男が一人。ソルには見覚えのある仮面を身につけている。
「……発見。少し離れているが、支障無し。」
「狂信者!? なんだってこんな所に!」
ソルが【具現結晶・武装】によって臨戦態勢に入れば、狂信者はナイフを片手に迫る。
慣れない小物の刃に、ソルは戸惑いながらも剣を合わせる。雨で滑る地面を物ともせずに、狂信者は一気に畳み掛けた。
「「爆風」!」
巻きおこった突風は、ソルと狂信者の狭間。吹き飛ばされた両者だが、ソルが「飛翔」で持ち直す方が早かった。
着地した狂信者が再び走り出す頃には、ソルの両側に結晶が二つ、穂先を向けて浮いている。
「【具現結晶・狙撃】。」
「っ!」
地面を穿つ結晶。身を投げ出して回避した狂信者は、泥の中を転がり立ち上がる。すぐに走り出した先は、風を起こしたシラルーナだ。
本を広げ、戦況を観察していたシラルーナは、此方に走る狂信者に冷静に魔術を放つ。高圧の空気が素早く飛び、狂信者を押し倒す。
「……見事。」
一声称賛したかと思えば、狂信者は後ろに倒れる勢いをそのままに、後ろへと一回転する。迫っていたソルの結晶をナイフで弾き、二人ともから距離を取る。
「誤解の様だ、武器を下ろせ。」
「断る、お前達みたいな訳の分からん奴らに従う気は無い。」
「訳の分からん……? ふむ、誤解でも無いか。ならば消えて貰う。」
男が手を掲げれば、夜空を覆う雲は更に分厚くなり、滝とも思える豪雨になる。
「のわっ!? 前が見えねぇ!」
「ソルさん、ベルゴさん! 居ますか!」
「何々、何だよもう!」
水が地面と己を叩く音、白い霧の様な雨、水に濡れた土の匂い、冷たい水滴。
およそ辺りなど把握できない、暴力的な雨だ。かろうじて聞こえる声を頼りに、三人が合流したのは、奇跡的にも馬車の側だった。
三人が慌てて入り込むと、バシャリと音がする。
「げっ、水が溜まってる。」
「荷物が全滅だね、これ。」
「乾かせば使えますかね……?」
馬車の中にも横殴りの雨が降り込み、最早乾かすといった行為は意味をなさないだろう。
少しして、外から水を掻き分ける音が聞こえた。馬車の縁から、レギンスが顔を出す。
「おっ、無事だったか。よしよし。」
「あっあ~……ソル君、それどころでも無いみたいよ?」
「ん? おい、水が……!」
レギンスの足は全て水面の下。この平地で、地面が水に沈み始めているのだ。勿論、馬車も既に底板まで浸水し、段々と足元から水が染み出してきた。
「ソルさん、どうします?」
「ここまでの量とは思わなかったな……まだ降ってるし。」
「離脱しようにも、これじゃ走れないねぇ。」
「仕方ない。目立つかもしれないけど、飛ぶぞ。捕まってろよ!」
ソルがその両目を紅く染め、右目からは魔力さえも吹き出す。馬車とその荷台に【具現結晶・固定】をかける。
辺りは滝さえぬるい大豪雨。そこから離脱する出力は……
「【精神の力】!!」
「うおわあぁぁぁぁーーー!!」
捕まり損ねたベルゴが絶叫し、咄嗟に端に捕まる。レギンスは結晶に包まれ、馬車と一緒に飛ばされる。
まるでバットに打たれた様に飛んでいく馬車は、固定されていなければバラバラではすまないだろう。魔力を消費しやすい力場を低魔力で運用するため、働く力が面ではなく点だからだ。
「ぶはっ! 抜けた!」
「舌噛んだよ……」
「あの……ソルさん、この馬車って……」
「ん? あぁ、落ちるよ?」
「えっ?」
一瞬の浮遊感。そこからは落下。シラルーナは目を開ける事さえしない。
「着地も俺か……「飛翔」!」
緩やかに減速していく馬車は、地面に派手に落ちると数回バウンドして止まる。【具現結晶・固定】のおかげで壊れはしなかったが、着地の衝撃は直接響いた。
「し、死ぬかと思った……」
「ソルさん、せめて一言……」
「悪かったよ。」
痛む腰を擦りながら、ソルに抗議する二人の視線を避けて、ソルは飛んできた方向に目を向けた。
そこは外から見れば、巨大な水の柱のようだった。一ヶ所にあれだけの雨が降るのは、境もはっきりしており、異常でしか無い。
「魔法……に近いけど少し違ったな。悪魔憑きかな?」
「悪魔って、契約者から離れるんですか?」
「基本的に気紛れだからな、契約って。代償で欲しいものを得たり、単純な遊びだったり……狂信者なら礼ってのもあるかも。」
なんにせよ、僻地とはいえ、まだここは魔獣さえ見たこと無い人もいるケントロン王国内部だ。そんな所に契約者がでばってくるということは、それだけ活動範囲が近づいたと言うこと。
「魔界、絶対広がってんな。西も無事だと良いけど。」
「とりあえず休もう。俺はもう動く気が無い。」
至極真面目な顔で言い放ち、本当にその場で突っ伏した濡れ鼠のベルゴ。ソルはレギンスを馬車に繋ぐと、彼を馬車に放り込んだ。
「レギンス、アイツと少し離れたいから、もう少し頼むな。」
唸って返事をして、レギンスは歩き出す。簡単に身を隠せそうな場所を探して、三人と一匹の馬車は動き出した。