第五話
夕飯を食べ終えると、資料を整理してくると言い残しマギアレクは二階の書庫に引きこもった。教えていく際、必要なものを適当に積んだ山から引っ張りだすのだろう。
残った二人で後片付けを終えると、ソルは窓からまだ日があるのを確認した。
「んじゃ、俺は日がくれるまでその辺飛んで来る。まだこの辺にはいない魔獣もいるかもしんないからさ。」
「あの、私は何をすれば……」
いつもならご飯を探したり、寝床を探したりしているがそれは全てここにある。塔も見て回ったし、本を見に行こうにもマギアレクの邪魔になりたくない。それ以前に字が読めない。
村に行けたところで、眠らせて貰うか余った食事を分けて貰う時間しかなかった。すぐに出なければ悪魔が来るかも知れないと村中がピリピリするからだ。直接言われることもあった。
つまり、シラルーナにとって何もすることが思い当たらないというのは、初めての経験だったのである。
「何って言われても……う~ん。」
ソルも見回り、狩りと採集、雑用と練習以外に時間の潰し方など知らない。シラルーナに出来ることが今すぐには思い当たらなかった。
「……」
「……」
気まずい沈黙が流れる。こんな時にどうすればいいか等、ソルはマギアレクに教わらなかった。
「えっと……すいません。」
「いや、謝られても……ん~、じゃあ一緒に来る? どの辺で触媒とか薬草が採れるかなら教えられるよ?」
「へっ? 迷惑では……?」
「そうでもないよ。一緒に乗れば速さも変わんないし。あんまり疲れるもんでもないから。」
実際にそれをマギアレクが行えば相応の労力ではあるが、極端に特性の傾いたソルには本当に手間ではない。常人では考えられない量の魔力もある。
「じゃあ、お願いします。」
「落ちないようにね。」
ソルが扉を開け、外に出る。続くシラルーナだったが、顔を覆いしゃがみこんでしまった。
「おい!? 大丈夫か?」
「ごめんなさい、ちょっと眩しくて……」
「あー、そっか。強い光ダメなんだっけ。ちょっと待ってて。」
そう言ってソルは何かを思い出すように眉間にシワを寄せた。
その後、長く時間をかけて結晶の指輪を作った。今まで見たものよりは簡潔な模様が走る指輪をソルは差し出す。
「光の侵入を防ぐ魔術式が書いてあるんだ。ちょっと苦手だから弱いけど、真っ暗にしたい訳じゃないし、日常生活には丁度いいんじゃないかな。」
「でも、私は魔術なんて使えないです……」
「勝手に魔力吸い出してくれる様にしたから、身に付けてればいいよ。ただ、しばらくは大丈夫だろうけど、あんまり長く外してると消えるかも。」
ソルの具現結晶は本来、何日も残す事を目的としない。たとえ他人の魔力で維持できても、その供給が長く途絶えれば霧散してしまうだろう。しかし、基本的に着けて生活するであろう今回は、あまり懸念せずともいいものではある。
「まぁ、魔力を吸いだすと言っても微々たる物だけどね。着けてないときより少し回復しにくいかな、位だと思うよ。」
「魔力って私にもあるんですか? というか回復するんです?」
「あるみたいだよ? 俺でも、なんとなくは分かるからさ。それに回復もすると思うよ。眠い時も寝て起きたら治ってるでしょ?」
「そ、そんな感じなんですか? もっと複雑なんじゃ……」
「それはじいちゃんが教えてくれるさ。俺も詳しく覚えてないから。」
今一掴めない説明だったが、聞いても答えは帰って来ないだろう。故にシラルーナはそれ以上は質問せずに、左手の中指に指輪を嵌めてみた。
思えば、食事以外で誰かに物を貰うのはこれが初めてかも知れない。拾い物や作った物で生活していたシラルーナには新鮮な気分だった。
「どうだ?」
「……痛くないです。ちゃんと見えますっ! あっ!」
「どうした!?」
「お日様は眩しかったです……」
「そりゃあ、そうだろうよ……」
「あうぅ。」
再びしゃがみこんで目を押さえるシラルーナは、しばらく立ち上がらなかった。恥ずかしい失敗をすると顔を隠すのが癖なのかも知れない。
少しして立ち直ったシラルーナと共に大きめの結晶に乗って、「飛翔」を使う。まだ重い物の操作は覚束ないソルなので、木より少し高いくらいの低空飛行である。落ちたとき、軽傷ですむように……勿論、無駄に怯えさせないようにそんな事はシラルーナには伝えていないが。
「あっちの方が水が湧いてて、こんな触媒の材料になる苔が採れる。で、あれが川。洗濯とか水浴びはあの少し開けた所が楽かな。台所の水瓶の水もあそこから取ってる。」
「あの大きな木はなんですか?」
「魔炭の木だって。燃やしたら魔力が発生する魔獣の一つだよ。木だけど。魔方陣に使うと勝手に効果発動してくれるよ。使い捨てになっちゃうけどね。」
「そうなんですか。ソル様はいろんな事を知っているのですね。」
「……様はやめない?」
「えっと? 何かダメでしたか?」
「ダメっていうか、なんか違和感がさ。ソルでいいよ。」
「じゃあそう呼びます、ソル……様。」
「分かった、せめてさんにして。」
「が、頑張ります。」
ソルが説明して回りながら周囲を警戒していたが、どうやら目立つような強さの魔獣はもういないようである。潜伏するような魔獣は、聞いたことも無いため問題ないだろう。
塔に帰ったソルが結晶を霧散させる。
「それじゃ、おやすみ。」
「はい。おやすみなさい。」
その晩、シラルーナの部屋からは「ソル様……さん。ソルさ……ん。」と練習する声が聞こえた。
「おはよー、じいちゃん。」
「おぉ、ソルか。遅いぞ。」
「おはようございます、ソルさん。」
一階にソルが降りると既に二人が台所にて食事をしていた。扉を開けたことで美味しそうな匂いに刺激され、眠そうだったソルも目が覚めた。
「って、俺のは?」
「旨かったぞ?」
「……シラルーナ?」
「ちゃんととってありますよ? マギアレク様が全部食べそうだったので……」
二日目にしてマギアレクの扱いを心得ているシラルーナに頼もしさを感じたソルだった。マギアレクは無反応だったが。
食べ終えたマギアレクは席を立ち、机と椅子を用意してある広間へと入りながら言った。
「さて、ソル、シラルーナ。取り敢えず、我が弟子になるのなら魔術の一つは使えねばな。儂の一番の発明じゃて。」
「魔術はマギアレク様がつくったのですか!?」
「そうじゃよ? だって儂に魔法使えんしのう。使いたいから似たものを作ったんじゃよ。」
「……マギアレク様は想像以上に凄い人だったんですね。」
感心したシラルーナが尊敬の目をマギアレクに向ける。調子に乗ったマギアレクは気分を良くして続ける。
「そうじゃろう? 儂は天才じゃしのう。悪魔を観察、研究して仮説を一つ一つ試せば、魔法の真似事なんざ簡単にできちまうんじゃよ。」
「くそ、腹立つから文句いってやりたいけど否定できる話がねぇ……」
弟子からどうかという見方をされているマギアレクだが天才なことに変わりはない。この発明が広まれば、人類の文明は一気に魔術文明へと発展するだろう。それだけ便利で汎用性が高い。
「まず、魔法についてシラルーナはどれ程知っておる?」
「えっ? えっと、悪魔の使う人智を越えた奇跡……ですよね?」
「そうじゃな。ではソル、悪魔とは?」
「え~、俺? んーと、クズ?」
「クズなの!?」
「いや、主観入りすぎじゃろ。」
マギアレクが分からなくもないと言うように苦笑を漏らして言う。そりゃあソルは悪魔にいい感情は無いだろうが。半身も余り接点は無かっただろう。
「そうではなく正体の事じゃ。どういった生物か、と言えばいいかのう?」
「えっ、とね。覚えてるよ? あー、そうだ! 確か魔力の塊だっけ?」
「その通りじゃな。ただし悪感情の、がつくがの。」
「悪感情の魔力……ですか?」
今一理解できていないシラルーナが疑問を尋ねる。
「うむ。それにはまず魔力を知らねばなるまいな。これが魔力じゃ。」
そう言ったマギアレクは掌に金色の炎のような物をだす。それはゆらゆらと揺れ、力強く輝いている。
「魔力とは魂の一部じゃ。儂の仮説では思考を担当しておる部分じゃと言える。
そして、魂とは生き物の根幹じゃ。その者の意識や命その物じゃな。脳で考え、心臓でエネルギーを運ぶ、その肉体のサイクルをプログラムしてある思念体。そんな物……じゃと思う。」
「自信無さげだな、いつも。」
「常識的な基礎理論が間違っていた事などいくらでもあるわい。それを根底において考えるのはいいが、絶対正しいと固執するのは間違いじゃろう。」
「んー、やっぱり良くわからん。」
首を捻るソルを無視してマギアレクはシラルーナに振りかえる。
「つまり、悪感情に染まった魔力の塊が悪魔じゃ。例えば、怒りや復讐心、孤独や虚無感じゃな。まぁ、これは捉え方しだいで無数にあるから覚えんでもいいじゃろ。」
「……つまり、嫌な気持ちが集まって悪魔になるの?」
「そんなところじゃな。悪感情があればどうしても漏れ出るものじゃ。気づいてないだけで生きているものは皆、魔力が漏れている。」
「それじゃ、悪魔は無限にいるんじゃ……」
「感情が実体を持つほどになるのは世界中から集まっても何十年とかかるじゃろう。故にそれほど多くはない……はずじゃな。」
「一度なっちまえば自分の魂が出来上がるから消える事は無いけどな。一つの魂として確立されたら、減っていった魔力も休めば回復するからさ。」
訳知り顔で頷くソルは、分かっている部分だけ口を出すことにしたようだ。後でシラルーナと一緒に基礎を再教育しようと誓うマギアレクだった。