第1話 早起きは三文の損?
1.
4月11日。
カーテンの隙間から差す光が眩しくて目が覚めた。
小鳥のさえずりが聞こえる。そしてふわふわ心地の布団は暖かい。さらに居間の方からは、フライパンで目玉焼きを焼いてる音と匂いがする。
どうやら、今日も平穏無事に地球は回っているようだ。
(…起きるのはまだ早いか)
この世界の住人はみな不思議だ。
辛い、悲しい、寂しい、つまらない、死にたい、死にたくない。
そんなマイナス思想で溢れかえっているのに、誰も疑問さえ持たず、ただただ毎日を生きている。
それもそうだ。
この世界の基盤は、いつだってひと握りの天才が創り上げてきた。
俺らみたいな凡人がいくら流れに逆らおうとも、井の中の蛙が大海を泳げるわけがない。
「自由な思想で絵を描こう」と決めたところで、キャンバスの上という限られたスペースに、あらかじめ用意された絵の具でしか描く術を知らないのだから。
(…昨日、遅くまで漫画読んでたから眠いなぁ)
俺は、考え事をしながらいつの間にか二度寝していた。
…。
「起きないと遅刻するよ~!」
母親の声でハッと目が覚めた。
記念すべき本日二度目の目覚めである。
なんて悠長なことを言っている場合ではない。
いつもより10分くらい寝過ごしているような感覚。
そしてその嫌な予感はいつも当たるのだ。
「やっべ! 学校に遅れちまう!」
飛び起きた俺は、乱れた布団を直すこともなく洗面所に駆け込む。
頑張れば40秒で支度する自信がある。だが、もしこれで学校に遅刻したら「春眠暁を覚えずということを体現しました」とでも言っておこう。
(まぁ…、朝弱いのはいつものことだが)
制服に着替えた俺は、ドタバタと姿見の前で立ち止まる。
急いでるとはいえ、髪型とネクタイの形は妥協しない。
「よし…。じゃあ行ってきま~す!」
俺は目玉焼きを頬張りながら自転車に跨る。
いつもと何ら変わらない町並みを横目に、全速力で自転車を漕いだ。
そんな俺、九条朝は、どこにでもいる普通の男子高校生である。
至って平和な日常に、青天の霹靂が訪れることなど、この時はまだ知る由もなかった。
2.
俺は今全速力で自転車を漕いでいる。
なぜかって?
それは、寝坊のせいで遅刻しそうだからという至極単純な理由だ。
しかし不思議なことに、こんな日に限って信号のタイミングも悪い。
うん、これはきっと、バターを塗った食パンを床に落としてしまったとき、バターを塗った面が下になる確率が高いのと同じ現象かも知れないな。
(…このペース配分だと遅刻確定かなぁ)
県立 名久 高校は街の中にある。
俺のように自転車で通う奴もいれば、バスで通う奴もいる。
もしくは、家が近くて歩いてくる奴も見かける。
そう、まさに前方を歩いている女の子みたいに…。
歩いて…。
…歩いて、いるだと…!?
(おいおい。歩いてたらまじで遅刻するぞ…。)
近づくに連れ、その女の子はクラスメイトであることが判明した。
高校に入学してからまだ一週間ほどしか経っていないが、クラスメイトの顔と名前は大体一致してるつもりだ。
「おい。石原…。だっけ。」
俺は、自転車を減速しながら声を掛けた。
「うん?」
そいつは寝ぼけたような返事をしながら振り返る。
そいつの名前は石原雪。
栗色の髪と大きな瞳が特徴的だ。
性格は明るく、交友関係も広い(と思われる)。
「うん?じゃねーよ、このままだと遅刻すっぞ」
「うそ~? そんなことないよ?」
石原は腕時計を俺に見せてきた。
可愛らしい白色のファッションウォッチだった。
「ほらほら! まだ8時15分だから、まだ15分もあるよ~?」
どうだと言わんばかりの得意顔に、俺は切り返した。
「…。今、8時27分だよ。その時計、止まってんじゃん」
「え、うそ!! …ほんとだ~!! 超やばいじゃん!」
ふと、石原に呆れてた俺は危機感を思い出した。
「ってか、急がねぇと…! まじでやべぇし!」
「え、ちょっと…! 置いてかないでよ~!」
結局その日、俺は石原とともに遅刻してしまった。
「お前ら…。入学して一週間目で遅刻とはなぁ~。」
春眠暁を…と言おうかとも思ったが、さすがに怒られそうなのでやめておいた。
しかし、きっと既に担任の頭の中では「俺=不真面目」というレッテルが貼られてしまったことだろう。
俺は席に着くなり、石原に向かって(お前のせいで…)と軽く睨んだ。
すると、俺の視線に気付いた石原は、なぜか笑顔で手をひらひら振ってきた。
その瞬間、俺の頭の中では「石原=天然」という方程式が出来上がったのだった。
3.
「九条くん」
「ん、何。」
「今日の朝、何があったんだい」
休み時間になったと同時に喋りかけてきたこいつは、矢吹桂という。
中学のときからの友達だ。
「何って…。寝坊して…、遅刻したんだよ」
俺は石原との出来事と思い出しながら言った。
すると、矢吹は目をキラッとさせながら返してきた。
「だって、石原さんと一緒に教室入って来たじゃん。これは大事件ですよ」
「…はぁー。」
俺は面倒くさそうに深くため息をついた。
「…別に何もないから。」
「ややっ、何か隠してるとみた!」
「何もねーよ。」
相変わらず面倒くさい野郎だ。
とはいえ、何かとこいつとは一緒にいることが多い。
いわゆる腐れ縁ってやつかも知れんな。
「ところで矢吹聞いたか?次の時間席替えらしいぜ。」
「えっ、そーなの? …石原さんと隣になると良いねぇ。」
「…だから違うって」
「どうかねぇ~?」
その後、しばらく矢吹と話していると、いつの間に休み時間は終わっていた。
「起立、礼~」
「じゃあ、席替えするぞー。」
席替えは、くじ引きで行われた。
そして席替えの結果、俺は真ん中の列、一番後ろの席になった。
矢吹はというと、最右列の前から二番目で、俺の席とは少し遠い。
そして、俺のすぐ前の席には…。
「やっほ~。よろしくね!」
…天然石原雪がいた。
どうやら石原にとっては笑顔が平常運転らしい。
しばらくは、この笑顔に巻き込まれることになりそうだ。
右折左折する際はちゃんと巻き込み確認はしてほしいものだが。
「まぁ…、それも面白いか」
「え。何が何が?」
「や、何でもない。こちらこそヨロシクオネガイシマス」
「何でカタコトなの?」
「…気にするな」
そんな俺の高校生活は、順調にスタートした…かのように見えた。