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主よ、絶対の主よ

 馬車が止まり、屋敷(いえ)に着いたことを知ると、クテンは微睡みから覚めたような心地で瞼を開けた。

 そういえば、もう随分と触れていないなと、クテンは馬車の外から手を差し伸べるトテンをぼーっと見る。

 そのまま動き出そうとしないクテンに不思議そうな、促すような声が名前を呼んで、クテンは漸く腰を上げた。


「……クテン、さま?」


 戸惑うような声を無視し、クテンは馬車から降りてすぐにトテンの白手袋を外した。

 そうして久々に見たような気がする縞の手をそっと両手で握ると、クテンは眉を寄せてため息を吐く。


「トテン」

「は、い?」


 クテンのため息をどう受け取ったのか、僅かに狼狽したようなトテンを見つめて、琥珀が笑う。


「あたし、先に部屋に行ってるわね。馬車をお願い」

「……はい」


 両手に包まれた縞の手がぴくりと動き、驚いたような雰囲気を纏ってクテンのアンドロイドは頷いた。

 それを見届けて両手を離すと、クテンは踵を返して玄関へと向かう。

 トテンはその後ろ姿を見ると、握られていたほうの手に石英を向けて、何かを思うように拳を作った。

 そしてまた開くと、トテンは軽く首を振って気を取り直し、馬車の片付けを始めるのだった。



*



 部屋の窓を開け放ち、クテンはその傍に置いてある椅子に腰掛け、机に片肘をついた。

 そうして見上げた星空に、クテンは囁くような声で特別な三文字を口にして、ゆっくりと瞼を閉じると、今度ははっきりとした声で呟こうとして。


「クテン様。本日もお疲れ様です」


 扉の叩く音、その後に聞こえた労りの言葉。

 クテンは勢いよく扉を見て、その向こうにいるだろう存在に気まずげに琥珀を逸らすと、冷静な声で「入っていいわよ」と返事をした。

 開いた扉から鈍い青緑が姿を現して会釈する光景が、どうしようもなく懐かしい。


「お疲れ様」


 作業服ではなくクテンと似たような寝間着を身に纏って、トテンがクテンの向かいにある椅子に座る。

 どうやら数ヶ月の期間を置いても、トテンはこの習慣を忘れていなかったらしい。

 クテンは静かに微笑んで、少し動きの固いトテンに「話をしましょう」と声をかけた。

 それに「はい」と頷いて、トテンは石英を琥珀に合わせる。

 しかしクテンは意図せず瞼を伏せて琥珀を隠すと、流れるように窓の外を見て視界からトテンを外した。


「もう随分と、こうして夜を過ごしていなかったわね。その間、貴方はどうしていたの?」

「……そうですね。凡そ三ヶ月ほど、わたしは自室で過ごしていました」


 三ヶ月。そんなに経っていないようにも、随分と経っているようにも思える。


『明日からの夜は、一人にさせて』


 その一言に僅かな間を置いて、けれどいつものように返事をしたトテンが、少しだけ憎く思えた。

 どれだけ人間のような素振りを見せられようと、月日が経つごとにクテンが些細な動きからトテンの感情を読み取れるようになろうとも、それは機能でしかないのだと。

 トテンは、ただのアンドロイドでしかないのだと。


「……どう思ったかしら。突然、だったでしょう?」


 正直な貴方の心を聞かせて。


 クテンは小さな声でそう続けて、黙った。

 きっと正しく聞き取っただろうトテンも黙り込み、クテンは沈黙の中を只管に空を眺めて過ごす。


「遂に来たか、と」


 そうして聞こえてきた声は、不思議な抑揚をつけていた。

 クテンは机を見ているらしいトテンに琥珀を戻して、その言葉の続きを待つ。


「クテン様がわたしの何を見初めたのか。少なくともこの心は知らないだろうと、思っていました。だからわたしも、貴女はすぐに気味悪がるか、怖がるかして、あの機械師の元へ行くのではないかと」


 言葉を探しながら話しているのか、ゆっくりと紡がれるそれらは、クテンの耳に沁みるように入っていった。


「けれど、貴女はそんな様子を見せずに、恐らく普通の人間と同じような扱いをし続けた。わたしも少し、期待したんです。もしかしてわたしは、貴女の傍で人間として生きていくことができるのではないかと」


 だから、と続いた言葉は、心做しか寂しそうだった。

 窓の外から気まぐれな風が紛れ込み、下ろした薄墨の髪を揺らす。


「遂に来たかと、思いました。貴女は他のアンドロイドのことを知らなかった。けれどあの日、貴女は城で、初めてわたし以外のアンドロイドを見た」


 クテンは僅かに俯いて、瞼を伏せた。

 脳裏に蘇る温度のないアンドロイドの姿。

 何度もトテンには心があるのではないかと思いながら、信じきれなかった頃。

 言葉を持たないくらいしか、トテンと他のアンドロイドに違いはないと思っていた。


「貴女が動揺したのを感じて、わたしはなんとなく予感していたのでしょう。そしてその通り、貴女はわたしの扱いに悩み始めた」


 クテンがトテンの感情を察せるように、トテンもクテンの心を理解できるということを、クテンはその言葉で初めて思い当たった。

 トテンには心があり、考えることもできるのだから、それは当然と言っていいだろう。

 しかしクテンはそもそもトテンに心があるのかどうかで悩んでいたのだから、そんなこと考えもしていなかったのだ。


「クテン様はその日から、わたしに心なんてあるはずがないと、わたしの言葉に意味はないのだと、そう言わんばかりにわたしの言葉を遮り、ご自分が一方的に話すだけになりましたね」


 クテンは奥歯を噛み締めて、自身が行ってきたことを近くで見続けたトテンの言葉を聞き続ける。


「その間も毒に倒れる貴女を運びながら、わたしは貴女に信じてもらえない心が潰れそうなほど苦しかった。この心を貴女に信じてもらえれば、また前のような生活に戻れると、そう考える以前に、まず貴女が毒に負けてしまえば意味がない」


 今日の始まりに聞いた言葉が、蘇って。

 クテンはお腹の前で組んだ両手に力を込めた。


「その次の日、目を覚ました貴女にどれだけ安堵したでしょう。けれどその後、遂にわたしの心について言及した貴女の言葉は、まるでもうわたしはいらないと言うようで、わたしは、どうすれば貴女のお傍に置いてもらえるのか、どれだけ考えても思いつかなくて、」


 トテンは白手袋をはめていない縞の手を持ち上げると、複雑な光を反射する石英をそれに向ける。


「わたしに心があってもいらないのか、寧ろ心がないほうがいいのか……冷静でいられなかったのです。心のままに貴女に言い募って、貴女から嫌そうな顔を向けられたとき、もう、貴女の傍にはいられないのかと思いました」


 ふと瞼を開けて、クテンは眉を寄せた。

 嫌そうな顔、という部分が理解できなかったからだ。

 鏡でもなければ顔など見えないが、その時に嫌そうな顔をするようなことを考えた覚えはなく、クテンは密かに首を傾げた。


「だから、どうか、クテンさま」


 縞の手が机の下に隠れ、石英がクテンに向けられる。

 クテンは空気が変わったことを察して、机を見ていた琥珀に石英を映した。


「貴女の素直な心を、聞かせてください」


 息を、呑んだ。

 真剣な石英がクテンを見据えて、捉えた琥珀を離さない。

 クテンは両手に痛いほど力を入れると、息を吐くのと同時に力を抜いた。

 トテンの知りたいところを考えて、理解して、伝わりやすいようにと言葉を探す。

 トテンの心は聞いた、なら、次は自分の番だと、クテンは眉を下げて困ったように微笑んだ。


「トテン」

「はい」

「あたしは、貴方の機能を止めてもらったら、あたしの心が落ち着くまで、機能を止めた貴方と共に過ごそうと思っていたわ。そうして落ち着いたら、また心があるように見える貴方と暮らそうと思っていた」


 クテンは少し躊躇って、けれど世界で一番特別なアンドロイドの願いを叶えるために、素直な心を紡いでいく。


「トテンを人間のように思っていたから、心のない貴方と共に過ごして、アンドロイドなのだと納得しようとしていたの。そうしたら、あたしはきっと、貴方の言動に割り切って対応できると思ったから」


 何か言いたげな雰囲気を漂わせながら、何も言わずに話を聞くトテンの石英に微笑んで、クテンは僅かに位置を変えた月を眺める。


「貴方に心がある。それは、敢えて見ないようにしていた、あたしの希望よ。本当は、あの機械師にそう言ってもらえるんじゃないかと、心のどこかで願っていた」


 あたしは、と前置いて、クテンは暫し黙ると、まるで乞うような琥珀を石英に見せた。


「――あたしは、貴方の心が欲しかった」


 聞き終わると同時に席を立ち、トテンがクテンの前に跪く。


「クテンさま、差し上げます。わたしの心など、とうに貴女のものです、この身も、心も、全て」


 だから、クテンさま。

 少し迷うように俯くと、トテンはそこにあった細い手を目の前に持ってきて、まるで脆い硝子細工を扱うように優しく口づける。


「貴女の心を、望む許可をください」


 そんな、どこか切ない声音で紡がれた願いに、クテンは思わず泣きそうな顔をして、そっと手を抜き取った。

 追うように動いた縞の手がその心を表すように握りしめられて、床に落ちる。


「……クテンさま?」


 しかし直後、クテンは両手で石英を飾る顔に触れると、泣きそうな、嬉しそうな顔をして、不思議そうに石英を琥珀に向けるトテンの額に口づけた。


「――いいわ、許可してあげる」


 照れ隠しにか、そのまま顔を見せずにトテンの首に腕を回して、クテンは硬い肩に顔を埋めた。

 返ってきた泣きそうな感謝の言葉が身体中に染み渡り、背中にトテンの腕が回されたことを知る。

 そうして二人は、窓の外に輝く月の下、満足するまで互いに互いを強く、優しく抱きしめていた。



*



「ねぇ、トテン?」

「はい」


 椅子に座り直し、穏やかな心地で空を眺めながら、クテンは思いついたことを口にした。


「もしもあの食事会で、本当に貴方があのご令嬢のアンドロイドになってしまったら、どうしてた?」


 それは、トテンに心があると理解した上で、疑問に思ったことだった。

 ただのアンドロイドならそのまま主を変えるだけだが、トテンには心がある。

 ゆえに、クテンはトテンがどう思うか、どうするのか、を問うたのだ。


「……わたしの主は、たった一人以外認めておりませんので」


 そして、暫く考えるように黙っていたトテンから返ってきた言葉は、そんなものだった。

 クテンは丸い琥珀にトテンを映して、真剣らしいその言葉を心の中で反芻した。


「クテン様の傍にいられないのなら、わたしは壊れてしまったほうがいい。機械師の元へ行って、本当の“処分”をしてもらったかもしれません」


 ふわふわとした、照れたような気持ちを持て余したクテンに物騒な言葉が届いたのは、そんな時だ。


「だ、ダメよ!」


 慌てたように声を上げて、琥珀が強く、鈍く光る石英を縛る。


「あたしの分まで長生きしてもらわないと。アンドロイドの寿命は凡そ六十年だと聞いたわ。ちゃんと最後まで生きなさい」


 クテンよりも随分と長い。

 その生を簡単に終わらせるなんて、と、クテンは憤るが、トテンも譲らなかった。


「クテン様。貴女の傍にいられないのなら、それはもう死んでいるも同じことです。貴女が命を落とすのと同時に、この生命活動を停止できるよう、機械師と話しました」


 クテンは寝耳に水の話にぴくりと身体を震わすと、機械師の男とトテンが奥の扉に消えた光景を思い出す。

 あの時か、と歯噛みし、どうして、と思いながらも、そんなことは許さないと言うように頭を振って、クテンはどうにか考えを変えさせようと言い募った。


「お願い、私が死ぬときは、貴方に看取ってもらいたいのよ」


 それが、心を持つアンドロイド(トテン)に酷な願いだと理解していても、それはクテンの短い生を最期に彩るものなのだと訴えて、そしてトテンは石英を逸らした。


「クテン様」


 その呼びかけにクテンは黙って続きを促すと、夜空に向けられた石英を追うように琥珀を揺らした。


「機械師が言っていました。わたしの行動が、既存のアンドロイドとは異なることに気づいた方々に、貴女が亡くなった後のわたしが望まれていると」


 ひゅっ、と息を呑んで、クテンは何も言えないままその続きを聞く。


「ゆえに、どうか。クテン様、貴女と心中すると決めたわたしをお許しください」


 それは、クテンの許しを望んでいるようで、望んでいないものだった。

 例えクテンが拒否しようとも、トテンはきっと、自身の生命活動の停止()を躊躇わないだろう。

 それがよく理解できて、クテンは歯を噛み締めると、震えた息をゆっくり吐いた。


「……ええ、許しましょう」


 クテンは想像して、気がついたのだ。

 トテンのいなくなった後の生活は、きっと生きているようで死んでいる。

 耐えられなくなったクテンが自殺する未来を、クテンは簡単に想像できるというのに、クテンがいなくなった後のトテンは、たった一人と決めた主がいなくなった悲しみに浸る間もなく、その身も心も研究され、最後には解体されたりするのかと。

 それはとても恐ろしく、クテンの手足から内側に冷えが広がっていくようだった。


 そして同時に、クテンはトテンと心中できる最期に喜ぶ自身の心も感じて、その浅ましさにトテンを止める権利などないように思えたのだ。

 実際に痛んでいるわけではないが、クテンはほっそりとした手で額を覆って、一つ息を吐いた。


「……ねぇ、トテン」

「はい」


 もう何も考えたくなかったし、話はもう終わったのだからと凡そ三ヶ月ぶりのそれを口にする。


「一緒に寝ましょうよ」

「……お望みとあらば」


 予想していたのか、期待していたのか、先より柔らかな声が優しく響いた。

 クテンは椅子から立ち上がり、ベッドの傍に薄墨の履物を揃えて置くと、布団を捲って中に入る。

 窓を閉める音が聞こえ、次いで聞き慣れた履物の音が近づいてくる。

 クテンは布団に埋めていた顔を上げ、同じように履物を揃えるトテンを見ると、囁くように名前を呼んだ。


「ねぇ……トテン」


 トテンは意を汲んだのか返事をせず、黙って布団の中に身を滑らせる。


「あたしと出会わなければ、孤独に気づくこともなかったって、言ったわよね」


 今日一日で心身共に疲れていたのか、布団の感触とトテンの存在に睡魔が襲ってくるのを感じながら、クテンはすぐ傍に在る鈍い青緑に手を伸ばした。


「あたしも、そう。トテンに出会わなければ、きっと孤独に気づくこともなく、いつ死ぬかもわからない生活を、無為に、過ごして……いたわ」


 硬い背中に力の抜けた腕を回し、余った片手をトテンの胸元に添える。


「だか、ら……あた……し……」


 “貴方が大切よ、トテン。”

 そうして遂に喋ることが億劫になったクテンは、心の中で続きを呟くことで満足し、そのまま口を閉じた。

 ゆらゆらと落ちていく意識が、最後に囁くような声を聞いて。


「主よ、絶対の主よ」


 切なさと、まだよく理解できない感情を滲ませ、クテンの背中に回された鈍い青緑の腕に力が入った。

 暫し黙り込み、トテンは薄墨の髪に口づけると、誤魔化すようにそこを撫でる。

 クテンはその感触に僅かに微笑むと、世界で一番大切な声を確かに聞き取った。


「……クテン様のいない世界に、わたしの居場所などないのです」


 切ない声が、小さく、二人の間で溶ける。


 ――あたしもよ。トテンの前以外に、あたしの居場所はないの。


 そうして同じようにトテンの背中に回す腕に力を入れようとして、クテンは穏やかな眠りに落ちていった。

 ご読了、感謝感謝でございます(-人-)

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