孤独になっていたわね
“そのポンコツに、感情を表す機能なんて、ないんだよ”
クテンはその言葉の意味が理解できなくて、その後に続いた念押しのような「ないんだよ」の言葉も頭に留めることができなかった。
「……どう、どういう、こと、ですか」
喘ぐようにそう零して、クテンは屋敷を出てからずっと見れなかった石英を探す。
“確かにこの鉄に流れるものは何もありません。ですがどうか、この心は確かなものであると、クテン様にだけは信じていただきたいのです”
石英は、変わらずにクテンだけを映し続けていた。
「お嬢ちゃん、もう理解できてるんだろう?そいつは、身体の構造も言語能力も只管人間に近く、そして生きるために必要な仕事全てを満足にできるアンドロイドとして力を入れて造った。そしてその結果、お嬢ちゃんも問題として見ている感情が、心が、宿っちまったんだ」
申し訳なさそうなその言葉が呆然としたクテンの頭に響いて、複雑な光を反射する石英と共にクテンの硬直をゆっくりと溶かしていく。
これまでに受けたトテンの言葉が蘇ってきて、クテンの心を揺さぶった
「……トテンは、人間と、同じ心を、持っている?」
「そうだ。気持ち悪いだろう?今まで機能だと思って我慢してきたんだろうが、機能じゃないんだ。止められるものじゃない」
途切れ途切れに問うて、返ってきた答えに眩暈がした。
「実は、少し能力は劣るが十分使えるアンドロイドを用意しておいた。そのポンコツの代わりに持って行ってくれ。本当にすまないな。あの時そいつも一緒に連れていかなければ、そんな不快な思いはさせずに済んだのに……な。大丈夫だ、お嬢ちゃん。未知のものに対して嫌悪を抱くのはおかしくないんだよ。どうか落ち込まないでくれ」
そんな、男の必死の慰めがクテンの心に染み込んで、クテンは漸く、その心を乱す混乱から立ち直ることができた。
「……ところで、聞いていいかしら」
ゆえにふぅ、と息を吐いて、クテンは畏まった態度を脱ぎ捨てる。
強い琥珀が男を映して、男が予想外のそれに面食らうのも気にせず問う。
「トテンがポンコツというのは、感情を持っているから?」
「あ、ああ。感情を表現するアンドロイドなんて、恐らくこの世にそいつだけだ。人は普通、未知のものを気味悪がって触れたくもないと思うものだからな。人の役に立てないアンドロイドなんて、まさにポンコツだろう?」
「処分って、どうするの?」
「ん、処分というか、普通のアンドロイドじゃないからな、そいつは。だから能力は高いし、どこかで勝手に生活してくれればいいと思って、王に許可を求めたんだ。なんせ俺の作ったアンドロイドが何体いてどこで働いているのか、きちんと王に報告する義務があったからな。勝手に生活させるわけにもいかないし、というか俺じゃ良い環境を見つけられないだろうし、許可を貰ったらその後の事も相談しようと思って」
「機械師を辞めてどうするつもりだったの?」
「助手……さっきの女な。あいつと市井で暮らしていこうかと」
「貴方はトテンを気味悪がっていないようだけど、貴方が彼を雇えば良かったんじゃないかしら」
「俺にはあいつが……助手がいるからな」
きまりが悪そうに顔を顰めた男に、クテンは漸く満足したのか一度深呼吸をした。
「それと」
「まだあるのか?」
もう終わったものと思って気を抜いた男が素の声でそう返して、それに反応を返すことなく、クテンは男に満面の笑顔を見せた。
「何か勘違いをしていたようだけど、あたしはトテンを貴方に渡すためにここへ来たわけじゃないわ。機能がないのならそれでも良いの。だから、とりあえず、」
冷めたお茶の入った湯呑みを手に取って、理解の追いついていない様子で固まる男に言い捨てた。
「――不愉快だから、トテンをポンコツと連呼するのはやめていただける?」
持ち上げた湯呑みに口をつけて、一気に飲み干した。
そうしてクテンが湯呑みを置くのと、男が天井を仰ぐのは同時だった。
「……あ、ああ……すまない……?い、いや、つまり、どういうこと、だ?」
「そういうこと、よ」
にっこりと笑うクテンを見て、困惑したように眉を寄せる姿に溜飲が下りた。
そう、回りくどい男の話を理解して、聞きたいことも聞けたクテンがまず抱いたのは、溜まりに溜まった苛々だったのだ。
トテンをポンコツポンコツ、役に立たないだのとトテンを下に見るようなことばかり。
腹が立って仕方がなかった。
「あたしはトテンを気持ち悪いなんて思ってない。まあ、なんというか、誤解があった、って感じかしら。そういうことだから、もう会うことはないわ!これで失礼す」
「待ってくれ!」
もう用はないとばかりに立ち上がったクテンに片手を突き出した男は、クテンが「何か?」と首を傾げてみせると一つため息を吐いた。
「わかった、お嬢ちゃんはそこの、えー、トテン、とこれからも暮らしていく、ってことでいいんだよな?」
「ええ」
空いた片手で顔を覆う男の質問にクテンは間を置かず頷いて、必死に状況を理解しようとしている男を見つめた。
「なら、とりあえず、トテンと二人で話がしたい。少しここで待っててくれないか?」
「……話?」
突然の申し出に琥珀が瞬いて、後ろにいるトテンを映す。
そしてまた男を映して、少し黙った。
稍あって考えるためにか自然と落としていた視線をもう一度男に向けると、クテンはどこか皮肉げに答えた。
「ちゃんと返してくれるなら、どうぞ」
「勿論、返すさ。感謝する」
そう言って笑った男が視線でトテンを促すと、それを受けたトテンは男から石英を逸らし、自身を映す琥珀を認めて軽く頭を下げた。
クテンはそれに頷くことで返すと、それは確認したトテンは漸く歩き出したのだった。
それから奥の扉を開けてどこかへと消えた二人を見送り、クテンはまた長椅子に腰掛けた。
溜め込んでいたものまで吐き出すように、肺の中が空になるほど長い息を吐く。
誰もいないというのに、まるで自身の顔を隠すように両手で覆うと、クテンは「ああ、」と小さく漏らし、そして、そこで、扉が音を立てた。
「――!」
クテンは反射的に顔を上げると、入り口の扉を振り返る。
少しばつが悪い思いをしていたが、クテンは頭を振って切り替えると来客への対応を考えた。
一応部屋の主はいないが、クテンはこの場に残っている。
蓋し留守を任されたような立場にいるのではないかと考えて、クテンは僅かに躊躇いつつも長椅子から腰を上げ、扉を開いた。
「お、いた」
「!?」
そうして現れたのは、こんなところにいるはずのない、この国の最高権力者その人だった。
唖然としたクテンに軽く笑いかけ、扉の隙間から中を覗いて誰もいないことを確認すると、王は真面目な顔で話し始めた。
「機械師はアンドロイドと一緒か?まぁ、誰もいないならそれでもいい。私はクテンに用があってきたんだ」
「……あたしに?」
「ああ。緊急で今日の夜、貴女に仕事が入った。着替えは用意してあるから、これからいつもの部屋に行ってくれないか?」
それは本当に突然で、けれど断れるものでもない。
もしもここにクテンがいなくても、早馬がクテンの屋敷にその知らせを持ってくるだけだったのだから、選択肢なんてないようなものだった。
ゆえにクテンはそんなこと気にしてなどいないし、王の「すまないな」の言葉も軽く受け入れる。
だから問題なのは、この場に王がいること、なのだ。
「それは、勿論。けれどそれよりも、何故貴方がここにいるの?使いを出せばよかったのに」
訝しげな琥珀に見られ、王は快活に笑った。
「気にするな、気分転換だ」
「きっ……」
クテンは思わず絶句して、その後すぐに脱力した。
ゆっくりと片手を額に当ててわざとらしく首を横に振ってみせると、王は「それじゃあ頼むな」と楽しそうにその場を去って行く。
はー、と相変わらずの王に息を吐きながら肩を竦めて、クテンは扉を閉めると長椅子に近づいた。
と、そこで奥の扉が開いて、二人が戻ってくる。
「ん?お嬢ちゃん、座って待っててよかったんだぞ?」
「あ、いや、ちょっと来客が……」
そこで少し言い淀んだクテンに促すように「ん?」と問うて、男は早々にクテンの定位置に戻ったトテンを呆れたような視線で見た。
「仕事の連絡に来てくれたのよ。王が、自ら、ね」
「は?……あー、まぁ、いつものことだしな」
一瞬間の抜けた顔でクテンを見、それから仕方がないなと言いたげに肩を竦めて笑うと、男は放置していた自分のお茶を飲んだ。
「どうせ護衛はいるでしょうし、問題はないでしょうね。ということで、仕事服に着替えに行かないといけないので、これで失礼致しますわ」
「ああ、元気でな。たまに遊びに来てくれてもいいぞ」
クテンはその言葉に軽く笑って、結局クテンがここに来た理由を知りたくないはずがないだろうに、一切聞き出そうとしなかった男に感謝を込めて会釈した。
「トテン」
「はい」
「貴方、心があるのね」
「はい」
「……今までの言葉は、全て、貴方の心からの言葉かしら」
「はい。わたしは凡そ二年前に意思を得てよりこの方、心を偽ったことなどございませんゆえ」
誰もいない廊下を歩きながらそんな問答を繰り返し、クテンは不意に足を止めた。
振り返るクテンを見続ける石英を認め、クテンは揺れる琥珀を逸らす。
思い返してみればトテンの声も態度も、僅かに光の反射具合が変わる石英も、驚くと人間みたいに固まる反応も、クテンが勘違いして十分おかしくないほど人間臭かったのだ。
それが本物だったのだと知り、あの瞬間クテンは確かに衝撃を受けた。
しかしそれは機械師の男が杞憂したような理由では断じてなく、ただ。
「トテン、貴方あたしと出会わなければ孤独になっていたわね」
「……恐らく、貴女と出会わなければ孤独に気づくこともなかったかと」
思い出してからかうように言えば、トテンは複雑に反射させた石英を戻ってきた琥珀に映す。
クテンは言葉の意味を正しく受け取り、少し照れたのを隠すような納得顔で「そう」と頷くと、何か言いたげなトテンに気づかないまま移動を再開したのだった。
――ただ、あたしに優しい嘘を吐いたのかと思って、すぐには信じられなかっただけで。