ツンデレ令嬢の言葉は真に受けられることもあるようで
新桑崎琴乃はお嬢様だ。令嬢だ。こう言い切ってしまうと元も子もないが、事実なのだから仕方がない。琴乃の父親、静は都内有数のお嬢様学校の理事長を務める。その静の内助の功をも受け持つ、琴乃の母親、静乃は東京五輪開催のご意見番ともいえる役割を担っている。
お嬢様、令嬢。一言でそう言い表せても、その暮らしぶりの華やかさが、どのようなものであるか想像するのは難しい。そこで彼女の早朝のスケジュールを見てみよう。
琴乃は、朝方の六時に執事、雅ヶ谷永樹に起こされる。もちろん、琴乃は、「どうしてわたくしの睡眠を妨げるのが許されて!?」と、永樹に険のある言葉を投げかけるのを忘れないが。
この執事の永樹、その容貌の美しさは、ずば抜けており、鋭く切れ長の瞳、薄く引きしまった口元、そして何よりもその綺麗に通った鼻筋が、彼の品性の良さを表している。永樹の容姿から察するに、新桑崎家の執事に彼が選ばれたのは、琴乃の審美眼、美意識に彼がかなったからではないかと思えるくらいだ。
起床後、琴乃はすぐにシャワーを浴びる。その浴室は金とダイヤで細工されており、彼女の恵まれた境遇が窺える。彼女は一糸まとわぬ姿で浴室から出ると、永樹に服を着せてもらう。当然、永樹は琴乃の裸身を見ることは許されていない。永樹は顔を伏せながら、彼女が服に手足を通すよう整えるだけだ。
彼女は専属の理髪師と仕立て屋に、服と髪を整えてもらう。琴乃の髪の毛はふんわりとカールし、薄らとした二重瞼、朱色に染まる肉付きのいい唇も鮮烈だ。
加えて琴乃は、スラリとした長い手足、引き締まったウエスト、そして綺麗な爪先の、その観姿をインスタグラムにupするのを忘れない。琴乃のインスタグラムに一万を超える「イイね!」が押されるのは、彼女の日課でもある。
朝食中には、膨大な量のコメントが永樹によって読み上げられ、彼女は気に入ったコメントにだけ、口頭で返信をする。当たり前のように、返信作業をするのは永樹だ。そうして彼女はご満悦におなりになり、朝食をお摂りになる。
朝食は低カロリーを心がけた、新桑崎家専属の超一流イタリア料理シェフの手によって作られ、彼女のスタイルも味覚も満足させられること請け合いだ。朝食を済ませた琴乃はいざ登校となるのだが、彼女は当然自家用ヘリでの移動となる。
「いい景色。下界はこうして上から眺めるのが一番よね」
こうして琴乃の、朝の優雅なスケジュールが終わり、資産一億を超える家庭の子しか入学の許されない、お嬢様学校での学園生活が始まるのである。
「また陰鬱な日が始まるわ」
そう憎まれ口を叩く琴乃の通う学校は、お嬢様学校なのだが、彼女は抜きんでてお嬢様であるために、クラスメート達のことを「下等な生き物」と呼んでいる。それにも関わらず、琴乃はそのカリスマ性、オーラからクラスメート達から「琴乃お嬢様」と呼ばれ、慕われているのである。
学校が終わり、例によってヘリでの下校が済んだのち、琴乃は永樹に学校生活の不満をぶちまけるのを忘れない。
「どうしてこう人間界には低能が多いの!?」
「下衆共と学び舎を共にする必要があって!?」
「私の品性を日々貶める学園生活に意味などあるの!?」
「もう耐えきれない! 死にたいわ!」
等々。その他諸々。下々の人々には聞くに堪えない傲慢で、侮蔑的な言葉を並べ立てて、琴乃は、彼女の思う、一般ピープルと自分の線引きをしようとする。永樹が間違って「それはお嬢様」などと窘めようものなら、琴乃は枕を投げつけて、永樹を罵しるのがお決まりだ。
「あなたにどんな権限があると思って!? 永樹! あなたは父様に雇われた孤児。ワタクシに意見しようなどおこがましいにもほどがあるわ!」
そう罵られても、永樹は美しい顔の表情一つ崩さず、こう失礼を詫びるのだった。
「これは琴乃お嬢様、大変差し出がましいマネでした」
そんな我が儘、唯我独尊の琴乃だが、彼女は彼女とて一人の少女でもある。父者の静、母者の静乃が用事で夜、家を空けざるを得ないと知ると、泣きわめいて悲しむのだった。
「パパ様ヒドイ! ママ様ヒドイ! お二人のお手を煩わせるくらいなら、東京オリンピックなんて地の底に沈んでしまえばいいのに!」
そう泣き叫ぶ琴乃の心を鎮めるのは、もちろんのこと永樹の役目だ。永樹は琴乃に自室へと呼び寄せられて、小説を読むようせがまれる。
役者を志したこともある永樹は、それはもう陰影の深い声で、物語を読み連ねていく。やがて永樹の余りの演技力、朗読力に魅了された琴乃は、感極まって官能の淵へと陥り、こう永樹を誘惑する。艶めかしい足を少しだけ露わにして。
「永樹。あなたは本当に薄汚い下衆だけど、品のいい、価値のある下衆だわ。あなたなら私の柔肌に触れることも許されてよ」
永樹はこの朗読タイムで毎度のように執り行われる、誘惑の儀式の前にも、琴乃の膝元にかしずいて、祈りのポーズを取るだけだ。
「そのようなマネ。この永樹には許されておりません」
すると琴乃はこれも決まりきった儀式のように、永樹を罵るのだった。
「このゴミクズ! 下等! ボロの孤児!」
「すみませぬ。お嬢様」
「あなたみたいなクズ執事が私に、仕えてるなんて、本当に『死にたくなるわ』!」
そこまで一連の、定番のやり取りが終わったあとで、「誠に失礼しました。お嬢様」と永樹は口にして、琴乃の部屋から退くことが許されるのである。
そんな生活が続いたある夜。琴乃の両親は、またも東京五輪の会合に招かれて、琴乃は一人留守をすることになった。
当然のように琴乃の部屋へ呼び出される永樹。彼が今日、琴乃様に読んで差しあげるのは、一つの気品ある官能小説だ。永樹は相も変わらず役者顔負けの演技力で朗読していく。
そしてその本がある部位、男性が女性を愛する余り、ナイフを取り出したシーンになると、琴乃は指先を口元にあてて、打ち震える。「いい感じね」と一言言葉を添えて。
永樹の声は昂揚し、いよいよ小説の主人公の男性が女性を手に掛けようとした時、いつもなら、琴乃が足先をチラリと永樹に覗かせるような瞬間。永樹は何を思ったのかナイフを懐から取り出し、不敵に笑う。
「私、雅ヶ谷永樹が、琴乃お嬢様、あなたの数々の侮蔑に耐えてきたのは、あなたをお慕い申している。いや、あなたへの愛があったからこそ。だが! それももう限界だ」
琴乃はことの深刻さに今ひとつ気づいていない。琴乃は永樹の吐くセリフが、いつもの「遊び」の延長線上にあると思っているようだ。琴乃は口にする。
「そう。いいわよ。永樹。たまには下衆。豚でさえも主人に牙を剥くことだって許されるのだから」
だが琴乃は、永樹の猟奇性に溢れた瞳、いつもとは違う雰囲気をさすがに察したのか、少し表情が変わる。
「え、永樹!?」
そう問い正しても最早、あとの祭り。永樹はナイフを軽く舌舐めずりすると冷たく、凍った瞳で琴乃を見下ろす。
「こんな関係、もう終わりにしましょう」
琴乃は永輝の真意、狙いに気付いたのか、椅子から転げ落ちるように、立ち上がり、逃げ出そうとする。だがその行く手、逃げ道を塞ぐのは、永樹には余りにも容易い。
永樹は、部屋の片隅でうずくまって、震え出す琴乃に向かってこう言ってのけるのだった。ナイフを琴乃の頭上に振りかざし。
「だって、いつもお嬢様、仰ってるじゃないですか。こんな生活が続くなら『死にたくなるわ』と」
そうして新桑崎邸に琴乃の悲鳴が響き渡るのだった。まっこともって「ツンデレ令嬢の言葉は真に受けられることもあるようで」である。