第7話『来ちゃった』
あの路地に着いた時、
僕は少しだけ、安心してしまった。
一輪の花の前に、
――花が、いたからだ。
「……来てたんだ」
声をかけると、花はゆっくりと顔を上げた。
「うん。来ちゃった」
いつも通りの、少し軽い口調。
いつも通りの、花。
けれど。
どこか、違う。
顔色が、少し白きもする。
笑顔が、ほんのわずかに硬い。
「昨日、来なかったからさ」
何気なく言ったつもりだった。
責めるつもりも、深い意味もなかった。
けれど、その言葉に――
花は、一瞬だけ、固まった。
ほんの一瞬。
見逃してしまいそうなほど、短い時間。
「……ごめん」
そう言って、花は笑った。
「ちょっと、用事があってね」
用事
それ以上、聞いてはいけない気がした。
「そっか」
それだけ返すと、
花は少し安心したように、息を吐いた。
「……隼人ってさ」
花が、急に話題を変える。
「もし、ある日突然、誰かがいなくなったらさ」
胸の奥が、微かにざわつく。
「どうする?」
どうする、とは何だろう。
探すのか。
待つのか。
諦めるのか。
考えようとして、言葉に詰まる。
「……分からない」
正直に答えた。
花は、それを聞いて、
少し困ったように笑った。
「だよね」
風が吹いて、花の髪が揺れる。
その動きが、どこか頼りなく見えて
でも初めて見た時の様にたまらなく綺麗で
僕は無意識に、視線を逸らした。
「でもさ」
花は続ける。
「知らないままの方が、楽なこともあるよね」
知らないまま
その言葉が、
胸の奥に、静かに沈んだ。
「知らなければ、苦しまなくていいし」
「知らなければ、怖くならなくていいし」
「知らなければ...失う事もない...」
花は、淡々と話している。
まるで、誰かに言い聞かせるみたいに。
「……花は?」
気づけば、そう聞いていた。
「花は、どうなの?」
花は、一瞬だけ目を伏せた。
「私は……」
言葉を探すように、少し間を置いてから。
「私は、今があればいいかな」
それは、前向きな言葉のはずなのに。
どうしてか、胸が苦しくなった。
「今日があれば、十分」
その言い方が、
まるで――
明日が、保証されていないみたいで。
「花」
名前を呼ぶと、
花は、少しだけ驚いたように顔を上げた。
「何?」
「……無理、大丈夫?」
一瞬、沈黙が落ちる。
花は、ぱちりと瞬きをして、
それから、いつもより大きく笑った。
「何それ。心配してくれてるの?」
「……まあ」
誤魔化すように答えると、
花は、くすっと笑った。
「大丈夫だよ」
その言葉は、
どこか、必死だった。
「私は、ちゃんとここにいるでしょ?」
そう言って、
花は、両手を広げてみせた。
確かに、いる。
目の前に、ちゃんと。
なのに。
「……そっか」
それ以上、何も言えなかった。
言ってはいけない気がした。
聞いてはいけない気がした。
夕日が、二人の影を長く伸ばす。
一輪の花の前で、
僕らは並んで立っていた。
花は、ふっと息を吐いて、
小さな声で言った。
「ねぇ、隼人」
「なに?」
「明日も……来てくれる?」
昨日と、同じ言葉。
でも、重さが違う。
理由は分からない。
それでも――
「うん」
今度は、はっきり頷いた。
花は、
少しだけ安心したように笑った。
その笑顔の裏にあるものを、
僕はまだ、
知らない。
知らないままで、
いられると思っていた。




