第35話『約束』
駅前は、夕方の光でやわらかく染まっていた。
商店街の端に、まだ白い紙で覆われた店がある。
大きな窓の内側には、準備途中の棚が見える。
「ここだよ」
花が立ち止まる。
教室で見たチラシの店だ。
「思ったより小さいね」
「落ち着いてていいんじゃない?」
花は笑う。
来週オープン。
そう書かれていた。
隼人は、何も言わずにその張り紙を見る。
――来週。
視えてしまった光を、思い出す。
淡く、細いそれ。
遠くはない。
けれど、まだ“今すぐ”ではない。
「オープンの日、来れる?」
花が何気なく言う。
隼人は一瞬、言葉を探す。
「……たぶん」
「たぶん?」
「混みそうだね」
「じゃあ並ぼうよ」
軽い調子。
未来を疑わない声音。
並ぶ時間さえ、当然あるものとして話す。
隼人は、花の横顔を見る。
風が吹き、髪が少し揺れる。
そこには、あの線は見えない。
視ようとしなければ、見えない。
だが、知っている。
一度視てしまった以上、
知らなかった頃には戻れない。
「寒くなる前に行けるといいね」
花が言う。
「冬って、急に来るから」
冬。
その言葉が胸に落ちる。
時間は、季節のように進む。
止められない。
終わりは、必ず来る。
隼人はこれまで、
終わりを“与える側”だった。
苦しみに沈んだ人の背後で揺れる光を見て、
静かに名前を書き、
願いを込め、
終わらせてきた。
それが役目だった。
それ以外を、考えたことはなかった。
だが。
花の背後に揺れるあの光は、
まだ笑っている存在のそれだった。
苦しんでいない。
助けを求めてもいない。
それでも、長くはない。
終わりは、ある。
もし、その時が来たら。
自分はどうする。
いつものように、終わらせるのか。
苦しまないように。
安らかに。
それが正しいのか。
花がショーウィンドウを覗き込む。
「ケーキ、あるかなぁ」
「来週でしょ」
「でも想像するのは自由でしょ?」
花は振り向く。
笑っている。
その笑顔に、終わりの影はない。
隼人の胸の奥で、何かが軋む。
終わらせる。
それは救いだった。
だが。
終わらせないという選択は、存在しないのか。
延ばすことは。
守ることは。
自分の力は、本当に“終わらせる”だけなのか。
初めて、思考がそこに触れる。
答えは出ない。
方法も分からない。
けれど。
考えてしまった。
それだけで、何かが変わる。
「ねえ」
花が隼人の袖を軽く引く。
「来週、ちゃんと来てよ?」
約束を疑わない目。
未来を前提にした声。
隼人は、ほんのわずかに目を伏せる。
「……うん」
約束をする。
来週。
その言葉が、静かに重い。
空は、ゆっくりと色を落としていく。
白い紙で覆われた店は、
まだ何も始まっていない。
始まる前の静けさ。
その前に立ちながら、隼人は思う。
終わらせる以外に、何かないのか。
初めて、その問いが胸の奥に残る。
消えないまま。




