第28話『手の中にない温度』
夕方と夜の境目は、いつも輪郭が曖昧だ。
街灯が点き始めるにはまだ早く、
それでも空の色は、昼のものではなくなっている。
隼人は、花と並んで歩いていた。
並んでいる、という事実だけが確かで、
その距離が近いのか遠いのかは、自分でもよく分からない。
足音が重なる。
アスファルトを踏む感覚が、
少しだけ遅れて身体に伝わる。
体温が、どこか他人事のようだった。
歩くたびに、ポケットの中で鍵が触れ合う。
合鍵だ。
それは、少し前に花から預かったものだった。
金属の音に混じって、
もう一つ、軽い揺れが遅れて伝わる。
鍵につけたキーホルダー。
それは隼人が、自分で選んで付けたものだった。
理由ははっきりしていない。
ただ、鍵をそのまま持つのが、
どこか落ち着かなかった。
指先で、そっと触れる。
金属とは違う、軽い感触。
青い、小さな花の形。
飾りとしては控えめで、
目立つほどの大きさでもない。
夕方の光を受けると、
色だけが静かに残る。
歩調に合わせて、
キーホルダーが小さく揺れる。
隣を歩いていた花が、それに気づいた。
「それ、可愛いね」
声は軽く、
深い意味は含まれていない。
「青い花なんだ。
……あの花みたい」
花はそう言って、
すぐに前を向いた。
どの花のことか、説明はしない。
でも隼人には分かった。
あの空き地の入口に咲いていた、一輪。
一瞬、言葉が浮かびかけて、
すぐに消える。
説明でも、否定でもない。
何かを言えば、
この距離が変わってしまう気がした。
「……そうだね」
それだけを返す。
鍵が揺れる。
青い花が、淡く光を返す。
鍵についたその花は、勿忘草だった。
意味も理由も、
ここでは語られない。
それはただ、
花の形をした小さなキーホルダーとして、
合鍵に下がっている。
花はすぐに別の話題を思い出したようで、
歩きながら、何気ないことを話し始める。
声の調子は変わらない。
世界は、何も変わっていない。
それでも、隼人の体温だけが、
そこにありながら、
少しずつ遠ざかっていく。
肩が触れそうな距離。
同じ速さ。
同じ帰り道。
それでも、
触れていないものが確かにあった。
合鍵はポケットの中で静かに揺れ、
青い花は、音も立てずにそこにある。
世界から離れていく体温を、
誰も、まだ知らない。




