第26話『鍵と体温』
放課後の帰り道、二人は並んでソフトクリームを食べていた。
制服姿の生徒たちが行き交い、遠くから部活の掛け声が聞こえてくる。
「おいしいね」
花がそう言って、少し嬉しそうに目を細める。
白いソフトクリームの先が、ゆっくりと溶けていくのを見ながら、隼人も小さく頷いた。
そのときだった。
「……っ、くしゅん!」
不意に花がくしゃみをして、その勢いのまま顔を前に突っ込む。
一瞬の静止のあと、花はきょとんとした表情で顔を上げた。
鼻先と頬に、白いクリームがべったりと付いている。
それを見た隼人は、堪えきれず吹き出した。
「……っ」
花も自分の状況に気づき、次の瞬間には笑い出していた。
二人は道の端で立ち止まり、しばらく声を抑えながら肩を揺らして笑い続ける。
「もう……ひどいよ」
そう言いながらも、花の声は楽しそうだった。
隼人はポケットからハンカチを取り出し、そっと花の顔に手を伸ばす。
「じっとして」
優しく拭われる感触に、花は大人しく目を閉じた。
冷たいクリームと、指先のぬくもり。
(……幸せだなぁ)
胸の奥で、静かにそう思う。
こんな時間が、ずっと続いてくれればいいのに。
——それ以上は、望まなかった。
ソフトクリームを食べ終え、二人はまた歩き出す。
少し進んだところで、花の足取りがふと止まった。
「……っ」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
息が浅くなり、視界が一瞬揺れた。
「花?」
すぐに気づいた隼人が、近くのベンチに花を座らせる。
背中に回された手が、ゆっくりと、落ち着かせるようにさすってくれた。
何度か呼吸を繰り返し、花は無理に笑う。
「うん……全然、大丈夫だから」
そう言い切ろうとする声は、わずかに震えていた。
隼人は何も言わず、その様子を見つめてから口を開く。
「……今日は、もう帰ろうか」
花は一瞬だけ迷うように視線を落とし、それから小さく頷いた。
「うん……そうしよ」
立ち上がった花は、平気なふりをして歩き出す。
けれど、その足元は少し不安定で、肩も僅かに震えている。
隼人は何も言わず、その横を歩いた。
家に着くと、花は鍵を開けたまま立ち止まった。
振り返って何か言おうとして、結局、言葉を飲み込む。
「……じゃあ、今日は」
その声は、どこか心許なかった。
隼人は、その様子を見てから、静かに言った。
「……上がってもいい?」
花は一瞬、目を見開き、それから小さく頷く。
「……うん」
部屋に入ると、静かな空気と、花の匂いが広がる。
花を布団に寝かせ、隼人は掛け布団を整えた。
「ありがとう……」
花はそう言って、少し困ったように笑う。
「ちょっと……風邪かな」
明らかな嘘だったが、隼人は何も言わなかった。
「無理しないで」
そう言って立ち上がろうとした、そのとき。
「……お願い」
花が、弱々しく手を伸ばす。
「今日は……ちょっと、怖いの……もう少しだけ、そばに居て」
一瞬の沈黙のあと、隼人はその手を取った。
「……いいよ」
ベッドの横に座り、手を離さないまま見守る。
やがて、花の呼吸は穏やかになり、静かな寝息に変わった。
しばらくして、隼人が立ち上がろうとすると、花が小さく声を出す。
「……帰るとき、鍵……閉めてってちょうだい」
そう言って、花は机の方へ視線を向けた。
「……引き出し、開けて」
言われた通りに引き出しを開けた瞬間、隼人は息をのむ。
中には、写真がぎっしりと詰まっていた。
二人で並んで写っているもの。
メリーゴーランドの前で、少し照れたように笑う二人。
昼ご飯を何にするか迷って、真剣な顔をしている隼人。
写真の端には、ペンで小さなハートが描かれているものもある。
一枚一枚に、短い言葉が添えられていた。
『楽しかった日』
『このとき、すごく笑った』
『真剣に悩んでるところ、かわいい』
中には、写真の一部を切り抜いて、大切そうに取ってあるものもある。
何度も見返され、触れられてきた跡。
鍵は、その写真の間に、そっと紛れるように置かれていた。
思わず顔を上げると、壁にも写真が貼られているのが目に入る。
ベンチに腰かけ、何もせずに空を見上げている隼人。
自販機の前で、どれにするか真剣に迷っている横顔。
少し前を歩き、立ち止まって待っている背中。
どれも、撮られていることを知らない瞬間ばかりだった。
隣に並んで笑う写真も混じっているが、
大半は、花の視線の先にいた隼人だった。
「……それ」
花が小さく言う。
「これは……持ってて」
弱々しく笑って、鍵を指さす。
隼人は、何も言えなかった。
ただ静かに、その鍵を手に取る。
玄関で静かに鍵を閉め、外に出る。
その鍵を、隼人は強く、強く握りしめたまま家路についた。
胸に残るのは、花の体温と、受け取ってしまった大切さだった。
花の体温が残る掌で、鍵の冷たさを感じながら、
願いのようなものが、胸の奥に沈んでいく。
花は、生きてほしい。
それだけだった。




