第24話『飾られていた時間』
「……あ」
駅へ向かう途中、花が急に足を止めた。
「どうした?」
「ごめん。
忘れ物してしまった」
一瞬、困ったように眉を下げる。
「家、すぐ近くだから……取りに戻ってもいい?」
隼人はうなずいた。
「うん」
二人は来た道を引き返し、住宅街へ入る。
夕方の空気が、少しだけひんやりしていた。
並んで歩いているだけなのに、隼人はなぜか落ち着かなかった。
理由は分からない。
ただ、胸の奥がざわつく。
「……緊張してる?」
花が横を見て言う。
「顔、固い」
「そんなことない」
そう答えながら、自分でも曖昧だと思った。
少し歩いたところで、花が前を向いたまま口を開く。
「そういえばね」
何でもない話をするような調子で。
「両親、もういないの」
一瞬、言葉が途切れた。
「……そうなんだ」
それ以上、何も言えなかった。
胸の奥が、静かに沈む。
その空気を察したのか、花はすぐに声を明るくする。
「だから、何も気にしないで入っていいから」
軽く笑う。
「変に遠慮される方が、落ち着かないし」
少し間を置いて、付け足す。
「……なんなら、今日は家で遊ぼうか」
「いいの?」
「うん」
それだけ言って、花は歩く速度を少しだけ早めた。
ほどなくして、花の家に着く。
「ここ」
鍵を開ける手つきが、少し慌ただしい。
「どうぞ」
中に入った瞬間、花ははっとして足を止めた。
テーブルの上に置かれていた、薬の箱と錠剤のシート。
「……あ」
一瞬だけ固まり、すぐにそれらを掴む。
「ごめん!」
引き出しを開け、まとめて押し込む。
「ただの、頭痛薬だから。
たまに飲むだけのやつ」
早口で言い切ると、引き出しを閉めた。
「今、お茶いれるね」
それだけ言って、花はキッチンへ向かう。
ひとり残されたリビングは、静かだった。
整っている部屋。
けれど、どこか“整えられている”。
隼人の視線は、棚の上に並んだ写真立てへ向いた。
まず目に入ったのは、一枚の古い写真。
若い男女と、その間で笑っている幼い花。
肩を寄せ合った、ごく普通の家族写真。
――なのに。
両親の顔を見た瞬間、胸の奥が微かにざわめいた。
見覚えがあるわけではない。
それでも、何かを思い出しかけた感覚だけが、確かにあった。
名前のない違和感。
触れれば、掘り起こしてしまいそうな予感。
……やめた方がいい。
理由は分からない。
それでも、そう思った。
隼人は視線を下げる。
幼い花の写真へ。
そこには、今よりずっと小さく、無邪気に笑う花が写っていた。
何も疑わず、何も怖れていない表情。
――可愛い。
そのすぐ近く。
少し前に出るようにして、二枚の写真が置かれていた。
ひとつは、自分が写っている写真。
不意を突かれたような表情で、視線が少し逸れている。
もうひとつは、遊園地。
観覧車を背に、並んで写る二人。
家族写真よりも、わずかに目立つ位置。
自然と視線が引き寄せられる配置だった。
埃ひとつなく、特別に扱われているのが分かる。
「――っ」
背後で、慌てた気配。
「ち、違うの!」
花が写真立ての前に立つ。
「その……えっと……」
言葉を探すように、視線が泳ぐ。
「深い意味とかじゃなくて……
ただ……置いてただけで……」
一瞬、間が空く。
「……家、一人で寂しいからさ」
小さく、付け足す。
「ちょっと飾ったら……なんか、いい感じだったの」
耳まで赤くなって、目を逸らす。
「……見られるとは、思ってなかったから」
少し迷ってから、隼人が言った。
「……僕も、飾ろうかな」
一瞬の間。
それから、花の顔がぱっと明るくなる。
「うん!!」
「私ね!
いっぱい撮ったんだよ!」
そう言って、奥の部屋へ小走りで向かう。
「ちょっと待ってて!」
戻ってきた花の腕には、写真の束。
「ほら、これとか!
これも!」
テーブルいっぱいに広げられる写真。
遊園地で撮ったもの。
スタッフに頼んで撮ってもらった、少し距離の近い二人。
花が笑っている写真。
隼人は、その中から二枚を選ぶ。
ひとつは、二人で並んで写っている写真。
もうひとつは、遊園地で撮った、不意の花の写真だった。
「……これがいい」
花が覗き込む。
「え?」
そして首を傾げる。
「なんで、こんな変な写真?」
何かを見つめて、ふっと表情が緩んだ瞬間。
カメラを意識していない、自然な横顔。
隼人は、少しだけ視線を逸らす。
「……自然な花が、可愛いなって」
一瞬の沈黙。
花は顔を真っ赤にして、くるりと後ろを向いた。
「……お茶、おかわり飲むよねっ」
早口で言って、キッチンへ向かう。
後ろ姿の肩が、わずかに震えている。
嬉しさを、隠しきれないまま。
隼人は、手にした写真をそっと胸元に引き寄せた。
過去と、今。
そして、これから。
思い出さないことも、選択だ。
今はまだ、それでいい。




