第22話『触れた温もりが、すべてだった日』
休日の遊園地は、人で溢れていた。
賑やかな音楽と、甘い匂い。遠くから聞こえる歓声が、絶え間なく重なっている。
「すごいね……」
花が、少し目を輝かせて言った。
「人、多い」
「うん。でも……なんだか楽しい」
そう答えた自分の声が、思ったよりも柔らかくて、隼人はわずかに驚いた。
最初に並んだのは、絶叫マシンだった。
安全バーが下り、花が小さく笑う。
「大丈夫?」
「……多分」
本当は、少し怖い。
けれど動き出した瞬間、急激な落下に、思わず声が漏れた。
「わっ……!」
自分でも驚くほど、はっきりとした声だった。
降りたあと、花がくすくすと笑う。
「今、声出てたよ」
「……出てたね」
息が少し乱れている。
胸が高鳴っているのは、恐怖だけのせいではなかった。
その横顔を、花は黙って見ていた。
(こんな顔もできるんだね)
いつも落ち着いていて、どこか遠い人。
けれど今は、楽しさを隠しきれていない。
次に向かったのは観覧車だった。
「観覧車、初めてなんだ」
花の言葉に、隼人は少し間を置いて答える。
「……僕も」
「え、そうなの?」
「うん。ちょっと……怖いね」
「ふふ。一緒だ」
高くなるにつれて、街が小さくなっていく。
閉じられた空間で、二人きり。
花が窓の外を見ていたとき、不意に足元が揺れ、身体が傾いた。
「あ……」
次の瞬間、手を取られていた。
隼人の手は、思ったよりも温かい。
「危ないから。手、繋いでいよう」
「……うん」
指先が触れ合い、そのまま自然に繋がる。
(ああ……どうしよう……もう本当に好きだなぁ……)
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
(今日が終わりたくないなぁ……)
このまま、時間が止まってしまえばいいのに。
(もう少し頑張って、私……)
そう思いながら、花は繋いだ手を、そっと握り返した。
メリーゴーランドでは、しばらくして花が眉をひそめた。
「……ごめん。ちょっと目、回るかも」
「無理しないで。降りよう」
ベンチに腰掛けると、花は少し照れたように笑う。
「楽しいんだけどね」
「それなら、よかった」
お化け屋敷は、ちゃんと怖かった。
突然現れた人影に、花が立ち止まる。
「……これは、怖い」
「……否定はしない」
二人で顔を見合わせて、思わず笑った。
気づけば、空は夕暮れ色に染まっていた。
遊園地の灯りが、ひとつずつ点き始める。
「もう、こんな時間だね」
花が名残惜しそうに言う。
「……本当だ」
楽しい時間ほど、過ぎるのが早い。
二人は駅へ向かい、列車に乗り込んだ。
車内はほどよく空いていて、並んで座る。
手は、まだ繋がれたままだった。
離す理由が、見つからなかった。
揺れに身を任せていると、花の身体が少しだけ傾く。
「……眠い?」
「うん……ちょっとだけ」
花はそう言って、目を細める。
隼人も同じだった。
一日中動き回った疲れと、心地よい余韻。
握った手の温かさが、やけに安心する。
いつの間にか、二人とも言葉を失っていた。
列車の規則的な揺れの中で、
隼人は花の重みを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。
――次に意識が戻ったとき、
車内アナウンスが到着駅を告げていた。
「……花」
小さく呼ぶと、花もはっと目を開く。
「あ……着いた……?」
「うん」
二人は顔を見合わせて、少し照れたように笑った。
列車を降り、ホームに立つ。
夜の空気が、ひんやりと頬を撫でた。
それでも、手はまだ繋がれたままだった。
花が、名残惜しそうに指先を見る。
「……離すね」
「……うん」
ゆっくりと、指がほどけていく。
最後まで離れたくないとでも言うように、
一瞬だけ、指先が絡んだ。
そして、完全に離れる。
残った手に、微かな温もりが残っていた。
「今日は、ありがとう」
「うん。すごく楽しかった」
「またね、隼人」
「……またね」
花は手を振り、改札の向こうへ歩いていく。
振り返らない。
隼人は、その場に立ち尽くしたまま、
離れた手を、そっと握りしめる。
まだ、温かい。
胸の奥に、満たされた感覚が広がる。
それだけで、今日は幸せだったと、思えた。
やがて、ひとりになる。
帰り道。
住宅街を抜け、街灯の少ない道へ差しかかったとき、
隼人の足は、自然と速度を落としていた。
空き地の入口。
舗装の切れ目、道端のわずかな土の上に、
一輪の花が咲いている。
中へ入る必要はなかった。
そこは、通り道のすぐ脇だ。
……けれど。
いつもより、俯いて見えた。
気のせいだと思おうとする。
風の向きが違うだけだと、自分に言い聞かせる。
それでも、足は止まった。
そっと、指先で触れる。
違う。
張りがない。
花弁の色も、薄い。
一枚、静かに落ちる。
隼人は、その場から動けなかった。
感づいていなかったわけではない。
気づかないふりを、していただけだ。
それでも。
隼人は、静かに息を吐く。
――やっぱり、花は枯れていた。




