第21話『今はまだ名前のない感情』
その言葉を聞いた瞬間、隼人はほんのわずかに目を見開いた。
「──遊園地?」
花は、いつものように少しだけ首を傾げて笑っている。
「うん。行ってみたいなって。……だめ?」
断る理由は、すぐには思い浮かばなかった。
思い浮かばなかったというより、考える前に答えが出ていた。
「……いいよ」
そう言うと、花の表情がぱっと明るくなる。
「ほんと? よかった」
その笑顔を見て、隼人は胸の奥が微かに熱くなるのを感じた。
理由は分からない。ただ、嫌ではなかった。
それから二人は、いつも通りに歩いた。
学校の話、天気の話、他愛もない沈黙。
特別なことは何もない。
ただ、隣に花がいる。
別れ際、花は軽く手を振って言った。
「じゃあ、またね」
「……また」
それだけのやり取りだった。
帰り道、隼人は何度もその声を思い出していた。
さっきまで隣で聞いていたはずなのに、もう少し前のことのように感じる。
家に着いても、気持ちは落ち着かなかった。
部屋に入って、椅子に腰掛けて、何をするでもなく天井を見上げる。
──遊園地。
その言葉だけが、頭の中で繰り返される。
気づけば、花のことばかり考えていた。
歩くときの歩幅。
考え事をするときに少しだけ伏せる視線。
笑う前の、ほんの一瞬の間。
布団の中で肩が触れたときの、体温。
思い出そうとしなくても、勝手に浮かんでくる。
忘れようとすると、逆に鮮明になる。
隼人は眉を寄せた。
──違う。
そうじゃない、と心の中で否定する。
これはただの情だ。
同情や、責任感や、放っておけない気持ちの延長だ。
そう言い聞かせて、目を閉じる。
けれど。
目を閉じても、浮かぶのは花の横顔だった。
開いても、胸の奥に残る感覚は消えなかった。
考えるのをやめても、そこに在り続ける。
否定しようとして、できなかった。
しばらくして、隼人は小さく息を吐いた。
「……そうか」
声に出してみると、不思議と静かだった。
「……僕は……」
言葉の続きを探して、見つからない。
けれど、分からないままでも、もう十分だった。
「……そうなんだ……」
それ以上、何も言わなかった。
言わなくても、分かってしまったからだ。
そして、隼人はもう一度、花の顔を思い浮かべる。
この思いを伝えたら、
花の時間を重くしてしまう。
それだけは、できなかった。
だから、決める。
この気持ちは、言葉にしない。
胸の奥にしまって、持ったままでいる。
それでいい。
遊園地に行く約束をした日、
隼人は初めて、自分の感情に名前を与えなかった。
──与えなくても、確かにそこにあると、知ってしまったから。




