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死の神と一輪の花 ―― それでも、君を呼ぶ  作者: 己己己己
第三章【それでも、名はここに在る】

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第20話『それでも、笑ってほしくて』


 その朝、花は目を覚ましたまま、しばらく天井を見つめていた。


 息は少し浅い。

 けれど、苦しくはない。


 胸の奥に残る鈍い痛みも、今日は不思議と静かだった。


 ゆっくり身体を起こすと、指先がわずかに震えているのに気づく。

 花はそれを見なかったことにするように、布団の上でそっと手を握った。


「……大丈夫」


 誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。


 枕元のケースを開き、薬の残りを確認する。

 今日の分はある。予備も、まだ少し。


 ――これなら、きっと。


 そう思い込むように、花は静かに息を吐いた。


 最近の隼人は、少しだけ元気がない。


 落ち込んでいるようには見えない。

 言葉数が減ったわけでもない。


 それでも、どこか――心だけが遠くにあるような気がしていた。


(……やっぱり、私の身体のことだよね)


 自分の体調が揺らぐたび、隼人は何も言わず、ただ傍にいる。

 その優しさが、花には少しだけ怖かった。


 けれど、それだけじゃない気もしていた。


 ふと、以前の出来事が頭をよぎる。

 二人で、見ず知らずの誰かの最期に立ち会った、あの日。


 あの場に流れていた、静かな空気。

 隼人は取り乱すこともなく、けれど確かに、深い悲しみを抱えていた。


 まるで――

 人の死に、慣れているみたいに。


(……私には、聞けないことがあるんだろうな)


 隼人には、花に言えない何かがある。

 それは秘密というより、踏み込ませない場所のように感じられた。


 でも、不思議と怖くはなかった。


(知らなくても、いい)


 無理に知りたいわけじゃない。

 ただ、少しでも楽になってほしいだけだ。


(……元気、出してほしいな)


 その気持ちが、胸にすっと落ちた。


 花は布団の上で膝を抱え、考える。


 どこか、楽しい場所。

 自然に誘えて、理由をつけられる場所。


 最初に思い浮かんだのは、映画だった。


 暗い中で、並んで座る。

 それなら、きっと不自然じゃない。


 けれど、すぐに首を振る。


(……だめ)


 映画館では、隼人の顔が見えない。

 暗闇の中では、話もできない。


 今、花が欲しいのは、そういう時間じゃなかった。


 視線が合って、

 笑って、

 何でもない会話ができる時間。


 そう考えたとき、自然と一つの場所が浮かんだ。


「……遊園地、とか」


 口に出した瞬間、心臓が小さく跳ねた。


『今度の休み、空いてる?』

『たまには、気分転換しない?』


 頭の中で、何度も同じ場面を繰り返す。


(変じゃないかな)

(重いって思われないかな)

(断られたら……)


 胸が落ち着かなくなる。


 そして、はっきりと気づいてしまった。


(……私、緊張してる)


 隼人の反応が怖い。

 どう思われるかが、気になって仕方がない。


(……好き、なんだ)


 認めた瞬間、胸の奥が熱くなった。


 同時に、冷たい不安が広がる。


「……こんな私なんかが」


 声に出すと、少しだけ泣きそうになる。


 自分は、長くは生きられない。

 隼人には、これから先の時間がある。


(……ううん)


 花は、ゆっくり首を振った。


(伝えない)


 これは、決めていることだ。

 伝えてしまえば、隼人は苦しむ。


 自分の存在が、

 これからを生きていく隼人の重荷になってしまう。


(その時が来たら……)


 本当に終わりが近づいたら、理由をつけて姿を消そう。

 転校でも、何でもいい。


 思い出になれたら、それでいい。


 ――でも。


 花は、胸の奥を押さえた。


(……今は)


 今は、まだ。

 もう少しだけ、傍にいたい。


 隼人が、何も考えずに笑っている顔を見たい。

 その時間が、少しでも続けばいいと願ってしまう。


 花は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「……よし」


 指先の震えは、まだ消えない。

 それでも、立ち上がることはできる。


 今日なら、きっと大丈夫。


 花は、隼人を誘う決意を胸に、

 静かに部屋を出た。

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