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目を開けて、見慣れた天井をぼんやりと見つめていた。

生まれてからずっとこの家の中で暮らしてきて、十年以上家から出る事もなかった。

きっと、本当に一人きりだったら僕は数日で狂って死んでいただろう。

でも、そうはならなかった。

だから、もう本当に僕は満足している。

これから殺される事になるのだと知っていても、それでも幸せだと、そう感じられたから。


一人で生きていく事も、一人で死んでいく事も、本音を言えばとても恐ろしかった。

世界中から寄せられる悪意を受け止めるのが僕一人しかいない事も、誰一人として僕の隣に居てくれない事も。

けれど、その恐怖も今日で全て終わる。


押し寄せて来るという軍隊は、今どの辺りにいるのだろうか――そう気まぐれに思って結界の外の音を拾おうと、風の魔術を張り巡らせる。

そして、次第に広がっていく聴覚の範囲が聞きなれた声を拾い上げて、目を見開いた。


「――……メ!どうして?彼は何もしていない、誰も殺してなんかないわ!聖域から出られないようにして、その上まだ命まで奪わなきゃ満足出来ないって言うの?」


メイリーの声が聞こえる。

興奮したように荒らげたその声は酷く怒っているようで、あまりに大きなその声に、鼓膜がびり、と震えた。

一体どうしたんだろうか。

話している内容から僕の事なのは分かるけれど、一体誰に向かって怒っているんだろう。


「女、いい加減にしろ。お前が魔術師の手先だという事は分かっているのだ。今ここで串刺しにしてくれても構わんのだぞ」


その言葉に跳ね起きて窓際に走り寄り、すぐに遠視の魔術を展開し始める。

ようやく焦点が合った光景に、言葉も出ずに固まった。

メイリーに槍を突きつける男達と、片手を縄で縛られて叫び声を上げる彼女と、その後ろで拳を握り締めるマキル。

これは一体、どういう事?

どうしてメイリーが兵士に拘束されてしまっているんだ。


「この男がお前の助命を願ったから、潔白を証明する為に此処まで同行を許しただけの事。大人しくするがいい」


その言葉に力が抜けていく。

やっぱり、マキルの言ったとおりだ。

メイリーは僕に接する機会が多すぎたんだ。

だから拘束された。


「潔白……?潔白って何よ!マキル、どういう事なの」


縄で腕が捩れるのが痛いのか、顔を歪めながら、それでも勢い良く振り返ったメイリーに、マキルは視線を合わせなかったように見えた。

一人だけ服装の違う兵士――これが、指揮官なのだろうか――に、向かって低い声を発した。


「……メイリーには魔術が掛けられているんです。魔術師とは元々何の関係もありません。あれの首さえ落としてしまえば、きっと魔術も解けて目も覚めるかと思います」

「それを判断するのはお前ではない」


切り捨てる言葉に、マキルは頷いてからメイリーの耳元に声を落とす。

メイリーにしか聞こえないような大きさのそれえも、魔術は拾い上げて僕の耳まで音を届けた。


「マキル、何の話をして」

「メイリー、あいつは納得した」

「っ!」


そう。僕は納得した。

最後の魔術師だ。

僕で全てが終わる。

その僕が納得し、受け入れた。

誰も恨んでなんていないし、抵抗する気もない。

けれど、メイリーは被せられたその言葉に勢い良く首を振って、マキル越しに指揮官を睨みつける。


「全部奪ったのは私達なんだよ。ジルの大事な家族も、将来も、世界も、全部私達が奪ったんだよ」

「当然だ。魔術師など異形そのもの。世界を滅ぼす魔そのもの、血の一滴残さず奪わねばならん」

「私達の世界の何が滅ぼされたって言うの!」


メイリーの悲鳴交じりの声が、びり、と空気を震わせる。

大声に反応して数人の兵士が槍を構え、メイリーの手首に繋がれた縄を軽く引く。

けれど、メイリーは彼らを逆に睨み付けて声を張り上げた。


「炎の魔女だって世界を滅ぼす事なんて出来なかった!……むしろ、私達が魔術師の世界を滅ぼそうとしてるんじゃない!」

「やはり、お前は魔術師の手先だな」


す、と冷たくなった指揮官の声に慌てて、マキルがメイリーの肩を引いて抑えようとする。

けれど、彼女はマキルの身体を押しのけて一歩前に踏み出す。

駄目だ、メイリーは優し過ぎる。

僕なんかを庇って反逆の疑いを掛けられる必要はない。

もういいんだ。それ以上は口を開かないで。

そんな言葉を唱えても、彼女の耳まで僕の声は全く届かない。


「あんな小さな世界の中にたった一人閉じ込めて、出られないようにして、それでもまだ怖いって言うの?」

「メイリー」

「あの子はもう十年も本物の空を見てない。もうずっと草むらに寝転んでない。本物の風を浴びてない」

「やめろ」

「ずっと、ずっと、一人ぼっちで、私に隠れて――寂しいって泣いてる!」


そんな哀しい人が静かに暮らす事さえ許さないというのか、とメイリーの叫び声が響き渡る。

指揮官がその言葉に目を伏せて、それでも低い声で彼女を諭すように言葉を紡いだ。


「――その魔の子供一人さえ死ねば、誰もが明日に怯えずに済むのだ。一つの犠牲で世界に一時の安寧を与えられるのであれば、その魔術師も本望であろう。哀しみを感じることもなく、幸せに逝ける」


その言葉に目を見開いて駆け出した彼女と、彼女を止めようと伸ばしたマキルの手が空を切ったのが、酷くゆっくりと動いているように見えて。

それは駄目だ。

駄目だよ、メイリー。

僕の喉の奥から声が零れ落ちるよりも早く――彼女が指揮官の頬を叩く乾いた音が、響き渡った。



「この……っ卑怯者!」



叩かれた指揮官が何事かを口にするよりも早く、男の周囲に居た数人の兵士の動きのほうが余程早かった。

遠視の魔術越しに見えたメイリーの目には怒りが浮かんでいて、彼女の頬に涙が零れ落ちていく。

けれど、それが地面に着くよりも先に、兵士達の構えた槍先が彼女のお腹に向かって突き出され―――彼女の身体が大きく傾いだ。

ぐ、と引き抜かれた槍から、赤い血が滴って。


「メイリー!」


悲鳴が、口から溢れ出す。

駄目だ。駄目だ、駄目だ!

口の中で唱えるよりも早く、魔力が空気を渡ってメイリーの元へと駆け抜けていく。

轟、と突風が巻き上げて、倒れていくメイリーの身体を空中に巻き上げる――彼女に向かって凶器を突きつけた兵士達を切り裂きながら。

きっと腕が使い物にならなくなるだろう、と頭の片隅で冷静な自分が囁いていた気がしたけど、そんな事はもうどうでも良かった。


「メイリー、メイリー、メイリー!!」

「じ、る」


ぶわ、と吹き荒れる風が家の扉を開け放ち、メイリーの身体を滑り込ませる。

遥か先で弓をつがえる兵士達と呆然と佇むマキルの姿を捉えて、何も考える余裕なく、勢い良く扉を閉めた。

瞬間的に異物が衝突して結界が大きく揺れる――弓の穂先に忌み石を使ってるんだ。

いそがなくては、と床にゆっくりと降ろしたメイリーの身体を見て、声を失った。

塞ぐ物を失くした傷口からは赤い血がごぽり、と溢れ出て、その奥は痙攣するように震え続けている。

こんなに深い傷を見たのは生まれて初めてだったけれど、だからこそこの傷がどれだけ危険なものであるのかは何となく悟ってしまった。


「あ、ああ、……ご、めんなさい。ごめん、僕のせいだ」


こうなる事をマキルはずっと心配していたんだろう。

僕が寂しさに負けてメイリーとの時間を取ったから、こんな事に。

メイリーは優しくて、正義感が強くて、だからこそ、僕のせいで傷ついた。


「な、おすから!すぐに治すから安心して、絶対に治すから」


結界はどれだけの間、保てるだろうか。

メイリーの傷を塞いで、彼女を逃がしてあげられるだけの時間さえ稼げればそれでいい。

――でも、メイリーを逃がしたところで、僕と関わりがあった見なされた彼女が捕まらない訳は、ない。

混乱する思考が、息をする事さえ邪魔し始める。

そんな僕の顔を見て、それでもほっとしたように微笑みを浮かべて。


「やっと、会えたぁ。来るの……遅くなってごめ、ん、ね」


口元からごぽり、と血が溢れ出すのも気にせずに、メイリーはいつもみたいに笑った。

嫌なもの見せちゃったなあ、と呟く彼女のお腹から、絶え間なく血が溢れていく。

助けなくては。

その後の事を考えるよりも、まずは彼女の命を救って。

そう、救って――それから、どうしたら。


「マキ、は悪くないの。ごめん」

「分かってる!分かってるよ!」


じわり、とメイリーの服に赤色が滲む。

どうしよう。どうしようどうしよう。

短く吸った息を、どう吐き出したら良いのか分からない。

魔力の制御が上手く出来なくて、治癒の魔術がぶれる。

滲んだ視界に、それでも鮮やかな赤色が広がっていく。


「ね……大丈夫だから魔術、使わないで」

「馬鹿!動かないで、喋らないで」


必死に傷口を抑えて、もう一度魔力を練り上げる。

止血をして、傷口を塞いで、ああ、そうだ足りない血を補給しなくては動けなくなる。

僕が死んだ後、メイリーには逃げてもらわなくちゃなんだ。

逃げて、にげて、この国から逃げて、どこか遠い場所で笑って生きて。

大丈夫だ、きっと逃げ切れる。海を渡って、山を越えて、果ての砂漠を越えていけばきっと誰もメイリーを追っていったりなんてしない。


「逃げるんだよ、メイリー。逃げて、生きて、それから」

「うん」

「それから、どこか遠くに行けばきっと」

「うん」

「き、っと、……どうして、止まらないんだよっ!」


傷口に向かって魔力を放出し続ける手に、冷たい指が触れる。


「泣か、ないで。大丈夫、大丈夫だよ。ジルを一人ぼっちにしたりなん、て絶対しない」


一人で死なせたりなんて、と続いた言葉に、また涙が頬を零れ落ちる。

メイリーはここで死ぬつもりなんだ、と心のどこかでほっとしたように息を吐く自分を感じる。

違う。違わない。

一人で死にたくなんてなかった。

一人ぼっちになんてなりたくなかった。

それでも、こんな事は望んでなんかいなかった。

――一緒に死にたいなんて、思ったことはない。



一人ぼっちで良い。

それでメイリーが、マキルが、幸せになってくれるのなら。



メイリーの言葉に勢いよく首を振って、魔術を再構築し始める。

それでも、注いだ治癒の魔術が塞がらない傷口から零れ落ちる。

止まれ、止まれ、どうかこれ以上メイリーの身体から血を流さないで。

メイリーはこれからずっと笑って、泣いて、色んな人に愛されて、愛して、幸せにならなくちゃいけない人なんだ。

歪む視界を遮るように、色をなくし始めた指先が瞼をゆっくりと撫でた。

ゆらりと視線を彼女の綺麗な瞳に向けると、いつもの優しい笑顔を浮かべていて。


「ねえ、ジル。お願いがあるの。最後に貴方の魔術、試してみない?」

「な、にを……メイリーの傷を塞がなくちゃなんだよ!」

「いいの」


もう良いんだよ、と言って頬を撫でてくる指先はとても冷たくて。

それなのに、傷口から溢れ続ける赤色はとても温かい。

もう良いと繰り返す言葉が、これ以上やったところで彼女は助からないと冷静に判断する自分を肯定する。


「お願い。発動しなくたっていい。見てみ、たいの」


ぼろぼろと零れ落ちる涙が、頷く僕の頬を伝って行った。







軋む音が絶えず結界から響き続ける。

もうあまり時間は無いのだと知りながらも、諦めの感情が満ちて焦りすら感じない。

どれだけ時間があろうが、腕のなかの命はあと少しで失われる。


「こうやって陣の中心に立って、呪文を唱えるんだ。魔力が足りていればそれで魔術は発動する」

「唱えて」


メイリーの上半身を支えて座り込んだまま、僕達を中心として魔術陣を書き巡らすと、メイリーは血の気が失せて、あまり動かなくなってきた表情をぎこちなく緩めながら、僕にしか届かないような大きさで言葉を紡いだ。


「でも、魔力が足りてないから発動することはない」

「唱え、て」

「……分かった。でも、僕が呪文を唱えている間は何も喋らないでね」


ゆっくりと横たえた彼女の身体は、出血の勢いも収まってきたのだろう、それ以上血溜まりを広げる事もない。

彼女の血で汚れた床を踏みしめて、陣の起動点に立ち上がる。

発動しない魔術だ。

圧倒的に魔力源が足りない。

メイリーだってそれを知っている。

それでも彼女がこの魔術を発動させる事を望むのなら、幾らでも呪文を唱えるしかない。


『清廉なる水の力、我が血に流る力、』


魔術師の悲願。

誰からも迫害されず、誰からも受け入れられる世界に渡る為の魔術。

けれど、そんな世界なんて本当にあるかどうかすら分からない。

小さな鳥籠のようなこの結界の中で正気を保つ為の、ただの小さな希望に過ぎなかった。

ああ、でも神様。

いるのならどうか――この希望を彼女に繋いで欲しかった。

また一筋の涙が床に零れ落ちるのを感じながら、最後の一節を唇に乗せて。


『この身を統べる命運を、この魔術に捧げ』

「――それから、私の命を捧げます」



そして、凛とした声音が詠唱に割り込んだ。



「……―――え、」


煌、と床に書き連ねた陣が光りだし、ぐるり、と動き始めた魔力が陣を端から起動させていく。

空気を震わせながら崩壊し始めた結界が、魔術陣に集約される。


信じられない。

絶対に魔力量は足りないのに、なんで、どうして。

今、メイリーは何て。

ゆっくりと血の気が引いていく。

背後で寝転んでいたメイリーに目を向けると、力なく笑った彼女がごめん、と声に出さずに口元を動かした。


「さよなら、しよ、っか」


掠れた声で紡がれた言葉に、意味を成さない声が口から溢れ出る。

一人にしないと、言ってくれたのに。

どうしてさよならなんて。

どうして陣の起動なんて。


「ごめん、ね、ジルの魔道書を勝手に読ん、だの――ジルの魔力と水の聖域の魔力と、私の命。これで、代償は揃った」


呆然と見つめる僕の前で、ぐ、と力を込めて上半身を起き上がらせるメイリーが、震える腕で身体を支えながら笑う。

その笑い方はいつもみたいにとても綺麗なのに、どこまでも青白い。

傷口から再び赤い血が溢れ出て、陣をなぞる様に僕の身体を囲んで模様を描き出す。


「ジルを、一人になんて、絶対、させない、よ。大丈夫、きっと、なんとかなる」

「なん、で」

「こうしようって、ずっと、決めて……た、の」


じわり、と陣が青く光り出す。

このままじゃ、メイリーの命も本当に陣に組み込まれてしまう。

いやだ。メイリーを踏み台にしてまで生きていたくなんてない。

急いでメイリーを陣から突き放そうとして、けれど間近に迫った彼女の顔が、唇が、それを阻んだ。

きらきらと濡れて光を反射するメイリーの瞳と、赤い血の色が、間近に迫る。



「――どうか魔術師が受け入れられる……大好きなジルが一人ぼっちにならずに済む世界に行けます、ように」

「っ、あ、」



触れたはずの唇が、僕の身体を擦り抜けて傾いで行く。

支えようと伸ばした手は透けて、最早この世界に触れる事さえ出来はしない。

叫んだ声は空気を震わせられない。

彼女に、届かない。


「それから……ジルと、いつかまた、」


薄れていく視界の先で、メイリーの身体が力なく血溜まりに沈んだ。

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