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こつり、と聖域の結界を揺らす音がした。

生物以外がこの結界を通るには様々な制約があって、僕もその全てを把握している訳ではない。

けれど基本的に結界の中の存在を傷つける物は何一つ通さない。

現時点における唯一の主である僕が念じれば、この音すらも僕を傷つけるものだとして通さない事も可能だ。

それをしないのは傷つけられたくないという思いの裏にある、世界と少しでも繋がっていたいという矛盾した気持ちから来るものではあったのだけれど。

とにかく、誰かが結界に向けて何かをしたのだけは分かった。


一体誰だろうか、と窓の外を見遣ろうと顔を覗かせると、誰かの面影を残した男が中庭に居た。

驚いてそのまま男を凝視していると、男の方が僕の存在に気づいて窓に向かって小石のような物を投げて、もう一度結界をこつりと鳴らした。


「おい」

「………」

「おい。聞こえてるんだろ」


中庭から吹く緩やかな風が、それ程大きくも無い青年の声を結界の中に届ける。

声を聴きたい、と願えば風の魔法が勝手に働いてしまう程度には、僕はそちらの方面に適性があったのだ。

苛立ったような再度の呼びかけに慌てて窓を開けると、ふわり、と風が家の中に吹き込んだ。


「マキル」


最後に会った時にはまだ幼い顔をして、声変わりもしていない、どこか頼りない雰囲気すらあった彼は、身体に均等に筋肉がついて屈強な男といった風情を醸し出していた。

先日この結界の近くに来ていた事は知ってはいたし、魔術で乱暴に押し返してしまった事もあって申し訳ない気持ちがあり、久しぶりだという挨拶を口に乗せるべきか、それとも先に謝罪をするべきかを悩んで口籠った。

そもそも別れ方が別れ方だっただけに、親しみを込めて挨拶をする事を彼が快く受け入れるかどうか。

何も言えずに押し黙った僕を見て、マキルは数歩だけ結界の近くに歩み寄り、意を決したように低い声で用件を簡潔に告げた。


「メイリーをもうここに入れるな」


マキルは拳を握りしめて、決して僕から目を逸らさずに、そう言った。

数年ぶりの再会で、別れの時と同じ言葉を、同じ場所で言われる。

その事にほんの少しだけ昔に戻ったような心地すらして―――そう、僕はマキルの言葉に返事が出来なかった。


「あいつがどんな風に見られてるか考えた事はあるか?」


無言の僕の態度に、拒絶と取ったのかマキルは眉根を寄せて言葉を紡ぐ。

曰く、村人達から白い眼で見られ孤立していると。

曰く、魔術師と密会する女だと王都から来た役人に睨まれていると。

……曰く、そんな女を抱える村自体が、叛逆の意図があるのではないかと囁かれていると。


「……僕は村に立ち入った事は無いし、叛逆なんてそんな」

「分かってる」


ようやく絞り出した声は弱弱しく震えて、マキルの元にすら届かないかもしれないと思ったのだけれど、応えた声は低く落ち着いていた。

メイリーが無理をしているのではないかと前々から思ってはいた。

どう聞いたところで彼女はそれを否定し、からっと笑って明るいままであったからあまり深くは追及できずにいたけれど、きっと村の中であまり良い気持ちでは暮らせないだろうと思っていた。

けれどマキルの伝えた内容から推測出来るのは、それだけではなかった。


「マキル。村は……村は、軍隊を向けられそうなの?」


王都から役人が来て、叛逆を疑われる。

それは、メイリーの身の安全を気にかけていたばかりの僕の浅慮さを責めるような響きを持っている。

問題は、既にメイリーだけでは済まなくなっていたのだ。


「……そうだ」

「どうして、そんな」


だって、聖域で暮らす母さんの元に通い婚をしていた村の人間である父さんの事は、見逃していたというのに。

ただ単にここに通い続けるメイリーは確かに怪しいかもしれないけれど、父さんと違って魔術師の血を繋ぐという禁忌を犯してはいない。

それを疑い、未然に防ぐだけであるならばメイリーを此処に来れないようにするだけでいい。

それなのに王都から軍隊を寄越して、村を滅ぼそうだなんて。


「お前のおじさんの時とは状況が違う。東の戦争が終わったんだ。……国を纏めるには、分かり易い敵が居た方がいい」

「それが、僕、なんだ」


僕が生まれる前後の頃、国の中が荒れていた時期があった。

賢い王様は東の国に戦争を仕掛け、常勝に常勝を重ね、民を一つの方向に纏め上げて行ったのだと母さんは苦々しい表情で言っていた。

そんな東の国との戦争も数年前に終わった。

それで、王様が次に目を付けたのは絶対悪である魔術師の存在――。


「お前がその聖域の中に居る限り、誰もお前には手を出せない。だから王都の方もずっと焦れてた。それで村に役人が派遣されて来て……メイリーが目を付けられた」


マキルは話をしながらただの一度も目を逸らす事は無かった。

そこには嫌悪の色も、軽蔑の色も、苛立ちの色も無くて、ただ真摯に僕に語りかける色だけがあった。


「聞け、ジル。お前は近い内に死ぬ事になる」

「……」

「大昔の、それこそ炎の魔女の時代の魔封じの石を、王様が他国から借り受けたらしい。軍隊にそれを持たせるつもりなんだって村長さんが言ってた」


魔封石の事だろう。

魔術師の魔力を奪い、蓄積する忌み石。

水の大魔術師が命を張って作り上げた結界が、その忌み石の一つや二つ程度で壊れるとは思わないけれど――この結界が張られてから随分時間が経っていた。

既に、結界の老朽化は始まっている。

元々の姿を保てなくなって、後の魔術師が結界内の魔術師の数に応じてその大きさが変わるという条件を付けなくてはならなかった程度には。

それをマキルもメイリーも、幼い頃に母さんに聞いていたはずだ。

だからこそ、僕は首を傾げた。


「………どうして、そんな事教えてくれるの?僕が結界の条件を書き換えるかもしれないんだよ」


条件さえ変えてしまえば、結界は老朽化が急速に進むかもしれないとは言え、一度や二度の襲撃は跳ね除ける事も出来るかもしれない。

僕が襲撃を知らなければ、結界を破って悪の権化である魔術師の最後の生き残りを殺す事だって出来たかもしれないのに。


「僕が、軍隊の兵士や君たちに害を為すかもしれないんだよ」


どうして、僕に、そんな事を教えてくれたんだろうか。

心臓がゆっくりと動き、どんどん身体の温度が下がっていく。

泣きそうになりながらマキルを見つめると、ほんの少しだけ目を逸らして、彼は言った。


「お前がそんな事をしないって、分かってる」


低くて、苦渋に満ちた声が、メイリーと同じ言葉を紡いだ。

悪い魔術師としてではなく、ただの弱くて意気地なしで半人前のジルだと認識していると。

だけど、とマキルはもう一度僕に焦点を合わせ、


「お前を其処から出して、この国じゃないどこかに連れて行くって選択肢だってあった……でも俺はメイリーを護りたい。村を護りたい。だから、お前を見捨てる」


一拍置いて聞こえたのは、硬い声だった。

僕さえ大人しく殺されれば、村もメイリーも軍隊を向けられる事なく、これからも存在し続けられるだろうと。


「恨むなら俺を恨め」


覚悟を決めたように、僕を睨みつけて居直るマキルに、僕は嬉しさすらこみ上げてくる。

マキルは、僕を未だに友人として見ていてくれていた。

僕が誰かを傷つける事はしないと信じ、僕を逃がすという選択肢を持っていてくれた。

そして、僕を信じて、メイリーの為に、村の為に殺されて欲しいと、たった一人で頼み込みに来てくれたんだ。

恨みは一手に引き受けるから、きっと殺されてくれと。

対等ではないにしても誠意をもって、一個人として僕を信じて、事情を話してくれた。

それはとても悲しいはずなのに、どうしてだろう、心がとても軽い。


「僕は、誰も恨まないよ」


頬が自然と笑みを形作る。

ああ、僕はなんて幸せなんだろうか。


「ありがとう、マキル。本当にありがとう」


初めてマキルとメイリーに会ったのは、本当に小さな頃だった。

沢山遊んで、喧嘩もして、泣いて、笑って、そして別れた。

前に別れた時も、マキルはメイリーを護ろうとしてくれていた。

聖域なんかに来ていたらメイリーを護れないと言って、僕を嫌いになったと言って、結界に弾かれるのではなく、自分の足でここから離れて行った。

―――きっともう、二度と会う事は無いのだろう。


「ありがとう。友達になってくれて、メイリーを護ってくれて」


僕には、メイリーを護れない。

僕に言えた事ではないのだけれど、だから後の事は宜しくお願いします、と言って頭を下げると、マキルは何も言わずにただ頷いた。



その日を境に、メイリーは聖域を訪れる事は無くなった。

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