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「メイリーは僕の事が好き?」

「何よ急に」


大事な友人が結界を通れなくなった日に、僕は泣きながらメイリーに聞いた。

怒って不機嫌になっていたメイリーは、母さんが用意してくれた暖かいミルクを舐めながらぶすっとした顔で僕を睨みつけて言った。


「泣き虫なところとか考え過ぎるところとか女々しいところとかひ弱なところとか嫌い」


その言葉にぐさぐさと刺されて、堪え切れずに大粒の涙をぼろぼろと零していた。

この頃の僕は今より遥かに気弱で、病弱で、吹けば飛ぶような存在だったから、メイリーがこう言うのも仕方が無かったのだろう。

まだ声変わりもしていない彼女が一つ一つ言い聞かせるようにあげていった僕の一面は、色々と考えさせられる点が多く、それが原因で友人が結界に入れなくなってしまったのだろうかとすら当時の僕は思った。

でも、みっともなく泣きじゃくる僕を笑うでも、怒るでもなく、メイリーは続けて言った。


「でも、他は概ね好きよ」


その言葉にどれだけ救われただろうか。

メイリーは、僕の事を嫌っている訳じゃない。

それだけで僕はまたしくしくと泣いて、彼女にいい加減に泣き止むように怒られた。


そんな僕達を見て、傍で子供達の様子をほんの少しだけ哀しそうに見守っていた母さんが、からかい混じりにそれなら僕のお嫁さんにならないか、と問い、僕を大いに動揺させる。

でも、メイリーは動じる事なくこんな弱っちい男の嫁になる気はない、と答えて母さんを大いに笑わせていた。

父さんは、そんな母さんを窘めながらも僕の頭を少しだけ乱暴に撫でてくれた。



―――夢の中は、父さんが居て、母さんが居て、メイリーが居て、賑やかだった。

久しぶりの記憶に、いつまでも目覚めたくないような、泣きたくなるような懐かしさで一杯になる。

もう二度とは戻れない時間をこうして何度も何度も愛おしんでばかりいるからか、あの頃の幸せな時間は今でもはっきりと思い出せる。

進む先に何もないからこそ、歩んだ道ばかりを懐かしむ。

僕は、ずっとこうして生きていくのだろう―――いつか、たった一人になるまで。



そんな夢に浸っていたけれど、聖域の外からメイリーの怒鳴り声が聞こえて飛び起きると、慌てて聖域の外を覗こうと窓に駆け寄った。

もしかしたらまだ夢の中を彷徨っているのだろうか、と揺れる視界に困惑していたけれど、続けざまに聞こえてきた声にそうではない事を教えられた。


「いい加減にして、マキル!」


聞き間違えようのないメイリーの声で懐かしい名前を聞いて、僕は窓にかけようとした手の動きを止めた。

マキル。

かつては何度もこの家の中に、聖域の中に来て、一緒に遊んだ大切な友人。

けれど、彼が聖域に近づくのはもう何年もなかった事だ。

いつかきっと此処に連れてくるとメイリーは言っていたけれど、こんなに早くにこの場所に来るなんて思いもよらなかった。

だってマキルは、僕が悪い魔術師だと思っている。

僕を、魔術師を嫌っている。


「マキルは魔術師に怪我させられた?それともお父さんやお母さんが虐められたの?村長さんやお婆さんが殺されたの?違うでしょ、変な言いがかりはやめて」

「メイリーこそいい加減にしろ!魔術師は危険なんだって歴史が証明してる。国からも懸賞金がかけられてる。このままじゃお前だけじゃ済まなくなる」


高い声が捲し立てていく言葉に被せるように、低く、男らしい声がメイリーを心配するような色を滲ませて言葉を紡ぐ。

魔術師は危険。

国から懸賞金。

お前だけじゃ、済まなくなる。

言葉がくるくると空回りして、僕の頭を薄いベールで包んでいく。

どうしてマキルがここに居るんだろうか、どうしてメイリーが怒っているんだろうか、と考える暇もなく心臓がばくばくと大きく脈打つ。

低い声が言っていた言葉の意味は、一体。


「証明?王都の奴等の歴史書の事?あんなの嘘に決まってるでしょ。どうやったら一人の魔術師に国が滅ぼされるって言うの!」

「小さい頃に一緒に炎の魔女が焼き払ったって言う荒野を見ただろ。忘れたとは言わせねえ。……あいつやおばさんにそういう事が出来なかったのは先祖が未然に防いできただけだ。今後いつあいつが力に目覚めるか分かんないんだよ」


低い声が、僕の心臓を突き刺した。

マキルの言葉は、この国の人達の言葉を代表しているんだろう。

遥か昔の悪い魔女が多くの命と土地を焼き払った伝説は、きっと真実だと母さんも言っていた。

だからこそ僕ら魔術師は、危険で、頭のおかしい、残忍な生き物で、滅ぼすべき存在なのだとされているのだと。

僕には悪い魔女のような力は無い。

けれど、存在するだけで誰かの心を不安にさせて、誰かの生活を脅かして、誰かに辛い思いをさせているのだといるのなら、それは要らない存在なんじゃ―――


「ジルが何か悪さするってどうして決めつけるのよ!あんなに意気地なしなのに、何をするって言うの」


心臓がちくちくと痛んで、視界が真っ暗になりかけた瞬間、メイリーの一際大きな声が聞こえた。

それでももしジルが悪さしたら私が叱って反省させるのだから、と息巻く声が、止まりかけた僕の息を楽にする。

メイリーだけは、世界中でメイリーだけは、僕が何もしない、何も出来ない魔術師なのだと信じてくれている。

何か間違えても叱って反省させると、意気地なしだから大きな事は出来ないと、凶悪な魔術師ではなくてただのジルとして僕を見て言ってくれる。


「そうね。炎の魔女が焼き払ったという荒地は見たわ。あんな事は魔術師じゃなくちゃ出来ないでしょうね!でも、それじゃあこの聖域はどう説明するの?そんな悪徳な魔術師達を護る為の聖域を、こんなに王都に近いところに建てる事をどうして当時の王様が許したって言うの?」


メイリーが胸を毅然と張っている様子が目に見えるようで、僕の視界が色を取り戻す。

全ての魔術師が危険なわけではない、とメイリーは言葉を紡ぐ。

震える手が、ようやく窓枠を捉えた。


窓を開けて、自分の言葉でマキルに伝えよう。

たとえ理解してもらえなくても、僕は君を傷つけないと。

誰も傷つけたくないのだと、そう、メイリーのように大きな声で伝えたい。

けれど、意を決して手に力を込めたところで、


「俺にどんなに言っても歴史は覆らないんだ、メイリー。帰るぞ」


低くよく通る声が、メイリーの言葉を断ち切った。


「離して……いやだってば!」


先程よりも切羽詰まったようなメイリーの声に、どうしよう、と考える前に風の呪いを口にしていた。

念じた通りに、風が聖域の外に吹き荒れる。

決して誰も傷つけないように、けれど、ほんの少しだけメイリーの手助けが出来るように力を込めて。


「うわっ」


青年の悲鳴が一瞬だけ聞こえた後、一拍を置いてメイリーが家の中に飛び込んできて荒っぽく扉を閉めた。

僕が窓際に居る事を見て取ると、傷ついたように顔を伏せて小さく言葉を紡いだ。


「ごめん」

「こっちこそ、荒っぽくしてごめん」


メイリーに謝られる事なんて何一つない。

けれどもう一度だけごめん、と呟いたメイリーに、今度こそ僕は何も言えなくなった。

久しぶりに会う彼女はほんの少しだけ目を僕に合わせないように逸らしながら、明るい声でこの話はこれで終わり、全部忘れようと言っていつものように笑った。

外からはもう誰の声も聞こえなかった。




いつものように美味しいご飯を作ってもらって、二人でそれを食べる。

いつものように楽しく話をして、二人で笑い転げる。

まるでさっきの事が本当に無かったかのように、まるでまだ幸せな夢が続いているかのように、今日も時間が穏やかに過ぎていく。

誰も傷つかなくて、誰も悲しまない、そんな話だけが僕たちの口に乗せられる。

そんな他愛もない話の途中で、メイリーはふと思い出したかのように僕に問うた。


「陣は完成したの?」

「そんなすぐに完成するものじゃないってば……まあ、陣の方は殆ど出来たけど。でも僕の代では発動は無理じゃないかな」


僕の身体では魔力量が足りなくて、発動する為には他のところから動力を持って来なくちゃならない。

僕が研究している魔術は陣自体はそれ程難しくは無いのだけれど、それを使用する為に使う魔力をどうやって節約するのかが一番の課題で、実際それを解決するのはたとえ一生を懸けたところで難しいのではないかと思っている。

書物に書いてある通りで計算するならば、それこそ炎の魔女や水の大魔術師の魔力量が無ければ使用できないような代物なのだから。

それを説明すると、メイリーは魔術ってめんどくさいのね、と溜息を吐いた。

そしてふと立ち上がると、目を空中に彷徨わせてえーと、と呟いた。


「ね、本借りてもいい?」

「前に言ってたやつなら、本棚の中にあるよ」


僕も席を立って案内して本を手渡すと、メイリーがそれを読み始めるよりも早く、僕も床に座り込んで目当ての本を読み始めた。


「うわ……相変わらず本ばっかりね、この部屋」


ぶつぶつと聞こえていたメイリーの声も、暫くすると聞こえなくなった。

今日は研究をする気にもならなくて昔読んだ物語をぱらぱらと捲っているだけのつもりだったけれど、なんだか懐かしい物に触れたくなって、気付いたらそれに熱中していたのだ。


数時間程経ってふと視線を上げると、メイリーは一冊の本を開き、まるで睨みつけるようにじっと座り込んでいた。

そういう顔はメイリーが真剣になっている時の癖だけれど、彼女が料理以外でそういった表情を見せるのは珍しい。

けれどそんなに面白い本だっただろうか、と視線を動かせば、彼女の身体の横にはさっき借りたいと言っていた本が積まれている。

あれ、じゃあ、今メイリーが読んでいる本は一体何なのだろう。


「メイリー?」


何の本を読んでいるの、と続けようとしたところで、メイリーが僕の声に驚いて身体をびくりと揺らし、積んであった大量の本で出来た塔を幾つも崩した。


「きゃっ」


慌ててメイリーを助け起こしたけれど、メイリーが居た辺りは本が散らかって床も見えない程になってしまっていた。

当の彼女は怪我一つなかったけれど、驚きすぎたのか目を真ん丸に見開いていた。


「……あー、びっくりしたー。幾らなんでも積みすぎよ」

「研究書だから良いんだ。僕しか読まないし」


メイリーは一通りずぼらな僕に小言を捲し立てると、床に散らばっていた数冊の本を掴んで、今日はこれ持ち帰って読むね、と笑って走り帰って行った

貸してほしいと言っていた小説は昔の恋愛小説だったから、もしかしたら家でじっくり読みたいのかもしれない。

手を振りながらメイリーを見送って、ふと部屋の中を見回すと自然と溜息が口をついて出た。


「どうしようかな、これ」


取り敢えず片付けは置いといて、そろそろ研究に戻るべきではないか。

そう思って振り返って散乱した本から視線を逸らしたけれど、思った場所に目的の古びた本が見当たらなかった。


「あれ、どこ行っちゃったんだろ……」


もしかしたらさっき崩した場所に巻き込まれてしまったのかもしれない。

崩れた本の塔の中から魔道書を探し出すのは骨が折れそうで、うんざりだった。

いつもより大分疲れていたし、元気で明るいメイリーが帰ってしまって一人になった今は、もう何も考えたくない。


結局そのまま放置して眠ってしまった僕を、次の日に本を返しに来てくれたメイリーが怒るまで、今度は夢も見ないで眠り続けた。

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