うつむかない修復姫
王都で“悪役令嬢”と呼ばれた夜から、ずいぶん遠くまで来たと思う。
あの時の私は、舞台から降りることしかできなかった。壊れた運命から逃げるように北へ向かい、壊れた城へ辿り着いた。けれど灰冠城で手を動かすうちに、私は少しずつ知ったのだ。
うつむく必要なんて、最初からなかったのだと。
「何を考えてる」
レオンハルトが訊く。
「昔のことを少し」
「嫌な思い出か」
「今となっては、始まりです」
私は笑う。
「壊れたものを直すのは好きです。でも、私自身が壊れたままなのはもうやめようと思って」
「十分直っただろう」
「いえ。これからも直していきます」
城も、国も、人も、たぶん一度では終わらない。
それでいい。何度でも継ぎ直せばいいのだから。
私はもう、うつむかない。
その夜、私は中庭へ面した回廊か、工房の灯りが届くあたりでしばらく足を止めた。花や土や焼きたてのパンの匂いが混ざり、壊れた城だった頃には考えられなかった種類の賑わいが夜まで残っていた。賑やかな場面や大きな会話が終わったあとほど、工具箱の留め金と、使い込まれた作業台の木目のような小さなものが妙にはっきり見えてくる。私はそういうときほど、わざと手を止めず、呼吸だけを落ち着かせるようにしている。
私は作業台へ手を置き、祝うことと働くことが同じ場所で両立するようになったのだと、遅れて実感した。誰かが湯を置いていく音や、廊下を通り過ぎる足音が遠くに混じるたび、今日一日がまだ完全には終わっていないのだと分かる。大きな出来事は一度で形を変えるけれど、暮らしの方はそのあともずっと、遅れて追いついてくる。
祝うこと、働くこと、暮らすこと。その三つが同じ場所で無理なく重なり始めると、城は『助かった場所』から『住み続けられる場所』へ変わっていく。 王都にいた頃の私は、結果の名前ばかりを気にしていた。勝ったか、負けたか、選ばれたか、外されたか。でも今は、その一段手前にある『明日も回るかどうか』の方がよほど重い。今日の判断が誰か一人を楽にし、その余力がまた別の仕事へ回るなら、それだけで十分に意味がある。
私が今見ているのは、工具箱の留め金と、使い込まれた作業台の木目のような、誰かが見落としても不思議ではない細部ばかりだ。けれど実際に町や城を支えるのは、いつもそういう小さな部品の方だった。派手な奇跡より先に、綻びを見つけて、記録して、次の人が迷わず触れる形へ直しておくこと。そういう地味な手順が積み重なって、ようやく暮らしは丈夫になる。
きっと明日になれば、また別の形をした不足が見つかる。次に必要になるのは、今の出来事を一つ先の仕組みへ繋げることだ。目の前の解決だけで終わらせない工夫が、また増えていく。。それでも今は、次に何を直すべきかを考えること自体が、前へ進んでいる証拠だと知っていた。 私は最後に手元の小さな綻びだけ直し、明日に回すべきものを帳面へ書きつけてから、ようやく灯りの方へ歩き出した。
ここまでお読みいただきありがとうございます。ここでひと区切りです。次話からは『王都の新しい星殿』。続きが気になりましたら、ブックマークや評価で応援いただけると励みになります。




