月うつり
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん? そこのカップが気になるかい?
そりゃそうだよね。コーヒーを注いだカップを窓際におきっぱにして、そのままだもんな。数時間前に注いで全然手をつけない……となれば、不審さバリバリだろう。
こいつは飲むことを目的としていない。一種のおまじないってやつさ。僕の住んでいるあたりだと、そこまで珍しくもないんだ。
まあ、こちらへ出てきてからは行う必要性もそれほどないんだけどね。習慣としてなじんでいることだから、やっておかないと気分的に不安で。
――どういうおまじないなのか、教えてほしい?
ああ、つぶらやくんは、ネタを探しているんだったっけ?
少しは足しになればいいけど。
このおまじない、歴史的には1000年以上前から行われているみたいだ。
現代においてはコーヒーが条件に一番合致しているってことで使われているけれど、昔は複数の薬草を組み合わせた生薬を用いて、水に混ぜていたという。
いわく、この黒み具合と内に含まれる成分との調和が大事だというけれど、詳しいことは専門家じゃないと分からない。我々がスマホの仕組みが全部わからずとも、操作できて問題が起きずに済んでいるのと似たようなものかな。
そのコーヒーを用いて、今日のようにきれいな月が見える夜に、このようにカップを窓際に置くことをするのさ。
注意することは、空に出ている月をカップの中へとらえるように設置するという点。
月うつり、と僕たちはいっている。
古来、月の光には特別な力が宿るとされる話は多い。この月うつりの場合もしかりで、月が水面に反射する角度と場所を選ぶことにより、その効能を得ようとするむきがあった。それに適したベースとなるのが、このコーヒーたちなんだ。
今回のこれは自販機でも購入できるブラックの缶コーヒーを使っている。ちょっと安っぽく思えるかもしれないが、これが奇跡的なあんばいでもって月うつりの役を引き受けるに、うってつけなんだ。へたに自ら豆をひいたりとかすると、かえって理想の条件から遠ざかってしまう。
月をうつす時間は長ければ長いほどよいが、時間を経て月は動いていく関係上、とことんまで付き合うには根気がいる。最低でもおおよそ10分ほど確保できればいいとされているな。
で、この役目を終えたコーヒーの処理なのだけど、ちょっと特殊な手順を踏む。
……うん、これくらい時間が経っているなら、もういいかな。
話をするより、目の前で実演したほうが君にはわかりやすいんじゃないかな? ちょっとついてきてみない?
まず階層のある建物ならば、一番高い階層の水道へこいつの中身を落とす。注ぐんじゃなく、あくまで落とすだ。ちょびっとだけカップをかたむけて、一か所につき一分目ほど流すんだ。
ここだとトイレと洗面所の1か所ずつになるかな。こぼし終えたら、水を流してもろとも水道を下らせて、様子を見るんだ。
もし5分たって、なんともなければその残りもまた流してしまってオッケー。飲んで処理する人もいたらしいけれど、どうもお腹を壊してしまう人が大半でね。もっぱら流すことになっている。
だが、なにかあった場合には……ん、ちょっと家が揺れたの、つぶらやくんも感じたかい?
どうやら、ついているようだね。月うつりのやっかいめなケースを引いたらしい。そうなるとまだもうちょっと、付き合ってもらうことになるな。
複数の階層を持つ建物の場合、下のフロアにも同じように月うつりしたコーヒーを流していく。
量に関しては先に流したものに比べてシビアじゃないけれど、注意すべきことは完全に中身を切らさないようにすることだ。
1階の各所をめぐっていこうか。トイレ、キッチン、風呂場……それぞれに月うつりしたコーヒーを流したうえで、水できっちり奥へ押し込んでいく。
いま風にいうならば、この行為がバリアを張ることに当たるみたいだ。家の内に通っていく水道管の中へ、月うつりさせたコーヒーを通していく。たとえ詰まったりして大量にとどまらなくても、その残滓だけでも効果は出るのだとか。
――どのような効果を期待できるかって?
あのような反応があったとき、よからぬものが家へ入り込もうとしているからね。そいつに対して障壁を張ることなのだとか。
で、これ以上の介入をシャットアウトしたならば、次は外へ出る。
君の手もちょっと借りたい。ここの家をぐるっと回って、縄を押し付けたような跡がないか探してくれ。あたかも、この家ができたばかりの時からつけたような……けれども、昨日までは確実になかった、その痕跡をね。
おっけー、低いところだったな。地面すれすれ。けっこう見落としそうな場所だった。
あとはここへ、月うつりさせたコーヒーをかけてやる。仮に複数個所あったとしても、どこか一か所でオッケーだ。
……よし、熱湯をかけたような音と湯気。確かにこいつは狙い通りの痕跡だったみたいだな。ありがとう。
これでまた、少なくとも次の月が出るまでは安心だ。とはいえ、最初にも話したようにごくごくレアケースなんだけどね。ほんと、つぶらやくんはついているほうさ。
――え? ほうっておくとどうなるのかって?
あの縄の痕らしきものにそって、ぎゅううと家が締め付けられて細まっていってね。中身ごとまるで一本の糸をよじった姿になってしまうんだってさ。




