第1話 [奏の笑顔、蒼の揺らぎ]
はじめましての方も、読みに来てくださってる方も、ありがとうございます。
本作『波間に揺れる異界の扉』は、
物語の世界をもっと丁寧に描きたくなり、第1話をリライトしました。
雰囲気はそのままに、“始まり”としてよりふさわしい形へ整えています。
お手数ですが、もう一度ここから読んでいただけると嬉しいです。
海の音が、聞こえていた。
深く、遠く、現実には存在しないはずの波のうねりが、耳の奥に静かに響いている。
教室の窓際で、曇天の空をぼんやりと眺めていた蒼波は、
自分が何を見ているのか──いや、“どこを”見ているのか、分からなかった。
風も吹かない。潮の香りもない。
なのに、耳だけが、確かに海を感じ取っていた。
「……なあ、蒼波。お前、最近ちょっと変じゃね?」
隣の席から、小さな声が飛んできた。
クラスの中心でも、完全なぼっちでもない。
絶妙な距離感を保つ“友人”──榊の声だった。
「……そうか?」
「うん。ずっと上の空っていうか……マジで、何見てんのか分かんねぇ感じ?」
蒼波は視線をノートに落とす。
数式が並ぶページの端に、意味のない落書きがいつのまにか広がっていた。
「ごめん。最近、寝不足でさ」
「ふーん? ……ま、倒れんなよ?保健室に運ぶの面倒だし」
榊の軽口に、曖昧な笑みを返す。
──俺は、どこにも、居場所がない。
そう思い始めたのは、いつからだっただろう。
家庭にも、学校にも、空気はあっても“繋がり”がない。
優しい言葉も、当たり障りない会話も、どこか表面を滑っていくだけで。
気づけば、日常の音が霞み始めていた。
代わりに、あの──海の音だけが、はっきりと聞こえてくる。
その夜も、同じだった。
眠りの浅い蒼波は、枕元のスマホをぼんやり眺めながら、イヤホンを外す。
音楽ではない。けれど確かに、耳に残っている。
……波の音。
遠く、優しく、けれどどこか異質で、
現実のものとは思えない──“何か”が混ざっている気配。
まるで、どこかで──誰かが、呼んでいるようだった。
視界が、滲んだ。
水の中のように、空気が歪み、部屋の中のすべてが淡く揺らぎ始める。
瞬間、心臓が跳ね上がる。
「な、んだ……これ──」
目を閉じたとたん、世界が反転した。
*
目を開けると、そこは“海”だった。
いや、正確には、海辺。
見覚えのない水平線と、透き通りすぎる水面。
無音の波と、現実離れした静けさ。
服は濡れていない。
体も軽い。
恐怖も、混乱も……なぜか湧いてこない。
「……やっぱり、来たんだね」
その声は、懐かしくて、あたたかかった。
振り返ると、そこに立っていたのは、ひとりの少女。
白いワンピースに、風に揺れる淡い栗色の髪。
足元は素足。どこから現れたのかも分からない。
ただ、微笑んでいる。
「……誰、だ?」
「ううん。まだ言わなくていいよ」
少女は一歩、蒼波に近づき、空を仰ぐ。
雲一つない紺碧の空に、“太陽じゃない光”が浮かんでいる。
「ここは、“あっち”と“こっち”の、間の世界──」
蒼波は言葉を飲み込む。
すべてが非現実的すぎて、なのに、妙な納得感があった。
「……俺は、夢でも見てるのか?」
「たぶんね。でも、本当でもあるよ」
その笑顔は、幼い頃に見た木漏れ日のようだった。
「私は……奏。よろしくね、蒼波くん」
「……なんで、名前を」
「だって、君は──ずっとここに来たかったんでしょ?」
その言葉が、胸の奥に深く刺さった。
涙が滲みそうになって、蒼波は空を仰ぐ。
──ここが、俺の“居場所”なのか?
そう問いかける声は、波にかき消された。
*
そして、物語は始まる。
蒼波と奏。
ふたりが出会ったこの異界で、彼らが辿る“本当の居場所”を探す旅が──。
【第一話:了】
ここまで読んでくださってありがとうございます。
ゆっくりの更新になりますが、
少しずつでも物語をしっかり紡いでいきたいと思っています。
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これからも応援よろしくお願いします。