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リーネット伯爵令嬢は、王子を殴りに戻る

作者: 椎名正

 人里離れた森の道で、馬車が盗賊団に襲撃を受けていた。

 馬車はすでに停止させられ、たった一人の護衛は三人がかりで組み伏せられていた。

 助けなどとうてい望めない状況で、馬車の中のリーネット伯爵令嬢は毅然と背筋を伸ばしていた。

 「お嬢ちゃん、邪魔するぜ」

 盗賊団のボスが乗り込んできても、リーネット伯爵令嬢は取り乱しもせず、対応する。

 「あなたは、私が誰だか知っているのですか?」

 「名前は知らねえが、これからギロチンになる奴だろ。何をしても、役人が真面目には対応しねえやつだ。だったら、そいつの持っている金品や、そいつの着ている豪華な服をはぎ取っても、いいってことだろ」

 「私がギロチンにかかることを知っているなら、話が早い」

 リーネット伯爵令嬢は、下品な笑顔を浮かべた盗賊団のボスの目を見据え、通常では聞くことのない低音で言った。


 「私が処刑されたら、おまえを呪ってやる」


 盗賊団のボスの顔が引きつる。

 「の、呪いなんかあるわけねえだろ」

 「無いです。無いからこそ、あなたには対処しようがないのです。もしも、呪いが実在するなら、呪い師にお祓いをしてもらえば解決です。ですが、呪いなんて実際には存在してない。だから、お祓いなんか意味がない」

 「呪いが無いなら、実害もないってことだろうが!」

 「これから、あなたがちょっと体調が悪いとき、たとえば食べすぎとか寝不足とか、なんでもないちょっとした不調のとき、あなたは思ってしまう。これは呪いのせいじゃないのか。いったん思ってしまえば、あなたはギロチンにかけられた女のことから頭が離れなくなる。ますます食事や睡眠が乱れる。身体が弱れば、呪いを恐れる気持ちが強まってくる。その悪循環は止まらない。やがて、食事も睡眠もまともにできないようになる。あなたはありもしない呪いに苦しめられ、一か月以内に野垂れ死にします」

 言葉を失う盗賊団のボスの手に、リーネット伯爵令嬢は身に着けている宝石類を押し込んでいく。

 「まあ、冗談はこれぐらいで、私の身に着けている装飾品はそれで全てです。このドレスだけは勘弁してください。私も恥じらいを持つ乙女ですので」

 「お、おう」

 金目の物を手に入れた盗賊団のボスが、馬車から出ていこうとして、その足を止める。

 「あんた、口がうまいな。その口のうまさなら、俺達をそそのかして逃亡の手伝いとかさせられるだろう。何故、それをしねえんだ?」

 「私は犯罪を良しとしません。他人にやらせることも良しとしません。あなたを囚人の脱走に関わらせることは、私の中の道理に反してます」

 「俺達は盗賊だ。そんなこと気にするこっちゃねえだろ」

 「これは私の中の決まりです。人には、それぞれ自分だけの決まりがあります。それを破れば後悔します。私は後悔をしたくない。それだけです」

 「じゃあ、その手枷は外さなくていいんだな」

 リーネット伯爵令嬢の手には、手枷がついていた。

 「はい」

 「そうか。健闘を祈るぜ」

 「ここだけの話、私は処刑される気はないです。すぐに戻って、この処刑を命令した奴をぶん殴ります」

 「ふははは。あんたならできそうだ」

 「次のゴシップ誌を楽しみにしていてください。私はリーネット伯爵令嬢」

 盗賊団が去り、動けるようになった馬車は、処刑地の南へ走り出す。




 もうすぐ処刑の地につこうとしている囚人護送の馬車の中で、たったひとりの監視役の新人騎士団の少年が、リーネット伯爵令嬢に問われていた。

 「あなたは私が冤罪なのを知っていますね?」

 少年は顔をそらし、沈黙する。

 「私は第三王子の婚約者。その王子に、ありもしない不正をでっちあげられ、正規の手続きも踏まず、処刑されようとしています」

 少年は、何か言おうとするが、声にならない。

 その少年に、リーネット伯爵令嬢は忠告する。

 「あなたを責めているわけではありません。騎士団とは常に矛盾を突きつけられる仕事です。崇高な精神を前提としているのに、現実にやらされる仕事は暴力で相手を屈服させることです。真面目な人ほど精神を病みます。そんな顔をするぐらいなら、早めに騎士団を辞めた方がいい」

 馬車が、南の処刑地にたどり着く。

 ギロチンがある広場には、市長と処刑人の二人しかいなかった。

 少年騎士は、静かな処刑場に唖然とする。

 話に聞いていた処刑を見学に来る群集がいなかった。

 見物人は一人もいない。

 少年の疑問に出迎えの市長が苦々しく答える。

 「三年前、お偉い貴族のお嬢様が、ここに視察に来て処刑見学に熱狂する我々にこうぬかしやがったんだよ。恥を知れ、と。ぬくぬくと育った苦労知らずの小娘がだ」

 手枷をつけたリーネット伯爵令嬢が、市長の言葉を聞いている。

 「暴動が起きたよ。だが、その小娘のボディーガードがめっぽう強くて、我々は返り討ちにあってぼこぼこにされた。そのあと小娘は、我々ひとりひとりと面接をした。どう生まれどう育ち何を考えているか。そして、生きていくためのアドバイスをして、最後に恥を知れと言った。我々はその時の屈辱を忘れない。もう二度と処刑見学だけが生きがいの哀れな人間とは言わせない。我々は生活を充実させ、健全な娯楽を増やしていった。演劇場も作った。もう、こんな処刑を見物にくる者などいない。来年には文化の祭りを大々的に開催できるまでなった」

 市長は、少年騎士から命令書を受けとり不備を指摘していく。

 「法務長の印が無いです。執行理由が記載されてません。日付がおかしいです。ここ二名以上の確認のサイン、同じ筆跡ですね。もう一度、戻って修正してから来てください。そうでなければ、我々は処刑をしません」

 市長は、リーネット伯爵令嬢に言う。

 「我々はルール通りにやります。書類に不備があれば処刑はしない。書類がきちんとしていれば処刑をする。それでよろしいですね」

 手枷をつけたままのリーネット伯爵令嬢は微笑む。

 「素晴らしい」

 馬車へ戻る前に、リーネット伯爵令嬢は市長に言う。

 「招待された来年のお祭り。ちゃんと参加しますよ」

 「あの時の小娘に、我々がどれだけおいしい料理と心地よい音楽と豪華な娯楽が用意できるか、思い知らせてやりますよ」

 少年は、リーネット伯爵令嬢にかしづく。

 「王都に戻ります」

 「処刑が行われなかったのを王子が知ったら、王子は何らかの行動にでるでしょう。あなたにも危険がおよぶかもしれません」

 少年は迷いが吹っ切れた顔をして言った。

 「あなたを王都に送り届けることが、騎士の仕事です」




 馬車は北へと駆ける。王都に戻るために。

 途中、何度か雇われた盗賊たちが、リーネット伯爵令嬢の命を狙い襲ってくるが、少年の震えが混じるが堂々とした口上で撃退していく。

 「悪党ども、私が王国騎士団と知っての凶行か?」

 「なっ?王国相手なんて話が違うぞ。ずらかるぞ」

 森の出口にさしかかる頃、走る馬車が止まる。

 道の先に、女の剣士がいる。その剣士に怯えて、馬が勝手に脚を止めていた。

 「この馬車は、王国のものだ」

 「知っている。私も王国の人間だ。王子が、リーネット伯爵令嬢の討伐を正式に出した」

 「あの王子は大馬鹿野郎だ」

 「主君の命令は絶対だ。逆らえばお前も斬る。こんなふうに」

 女剣士は、軽く剣を振る。

 一瞬で大木が切断され、大きな音をたてて倒れる。

 少年がかなわないことを明確に示され緊迫している隣で、手枷をつけたリーネット伯爵令嬢は能天気な声を出す。

 「辺境の英雄様じゃないですか。その剣の腕で数々の武功を立て、王国に貢献した女剣士様」

 「そういうあなたは、リーネット伯爵令嬢。伯爵令嬢の立場でなければ、騎士団長になっていただろう剣の達人」

 女剣士は、リーネット伯爵令嬢に剣を渡す。

 「さあ、その手枷を外して、私と果し合いを」

 だが、リーネット伯爵令嬢は、その剣を地面に置く。

 「その魅力的なお誘いは遠慮します」

 リーネット伯爵令嬢は、女剣士の顔を見る。

 その女剣士の顔には、顔全体に横断する一文字の斬り傷があった。

 「あなたのその顔の傷なんですが」

 「私と戦う相手は、私を動揺させるために、私のこの顔の傷を口に出す。あいにくだが、私のこの傷は私の誇りだ」

 リーネット伯爵令嬢は、女剣士の顔の傷についてあることを告げる。

 女剣士の目が見開かれる。

 「嘘だ」

 それまで冷静沈着だった女剣士があらかさまに動揺していた。

 「嘘だ!嘘だ!嘘だ!」

 リーネット伯爵令嬢は無言を返す。

 「どうして、お前はそんなひどいことを言えるんだ!」

 叫ぶ女剣士に、リーネット伯爵令嬢は静かに先程の言葉を繰り返す。

 「そのあなたの顔の傷は、簡単に治せるんです」

 「そんなはずはない。医者は一生傷は残ったままだって言ったんだ!」

 「この国の医療格差は都会と田舎で凄まじいのです。都会では情報の共有化が進み、田舎の医師が一生かかって得られる知識を、新人医師が五分で得る。その傷なら、特別な治療もいらず、通常治療で手頃な値段で治ります」

 女剣士の手から、剣が滑り落ちる。

 その剣士としてはありえない失態をしたことすら、女剣士はもう気がつかない。

 「この私の顔の傷は、私の剣士としての傷で、私の誇りで、私の生き様で、私の、私の、私は辛かったんだ!」

 女剣士の目から涙があふれる。

 「顔に傷ができた女の子は、普通には生きていけない。剣士になるしかない。私はがんばって、がんばって、剣士として功績を上げた。今では、この傷は私の誇りになった。それをいまさら」

 女剣士は落とした剣も拾わず、リーネット伯爵令嬢に掴みかかる。

 「おまえはわかっていたはずだ。私がそれを知ってどういう気持ちになるのか。わかっていたはずだ。どうして、黙っていてくれなかったんだ!」

 リーネット伯爵令嬢は、女剣士の手を振り払わず、答える。

 「あなたには話すべきだと思ったので、私は話しました。私はそういう人間なのです」




 王子にリーネット伯爵令嬢討伐の命令を受けた王国の騎士団長は、団長室に戻る。

 そして、悲鳴を上げる。

 「おかえり」

 騎士団長の椅子に座っていたのは、手枷をつけたリーネット伯爵令嬢。

 「リーネット教官。馬車が到着するのは、もうちょっと時間がかかるはず」

 「辺境の英雄が、ショートカットできる獣道を教えてくれたのよ。それよりも、王子から私の討伐命令がでているでしょう。やりますか?ここにいる団員を呼んでもいいし、ハンデでこっちは手枷をつけたままでいいわよ」

 騎士団長は必死に首を横に振る。

 「ここにいる二十人ぐらいで、リーネット教官にかなうはずないじゃないですか。第一、なんで手枷をつけたままなんですか。いくらでも壊せますよね」

 「私がルールを守るのが大好きなの知っているでしょう。国が私に手枷をかけたら、私は従うのよ。裁判とかルールを守ったうえで戦うのを楽しみにしていたのに、法をねじ曲げてまで処刑を強行するほどの馬鹿王子だと、さすがに思わなかったわ」

 リーネット伯爵令嬢は城の様子を聞く。

 「みんな、リーネット教官が戻ってくるのをわかっているから、記録に残るように、自分と自分の派閥は王子とは関係ないと表明を出してます」

 「王子をそそのかした雪の乙女は?」

 「とっくに城から逃げてます。逃亡先は把握してます」

 雪の乙女は、名前を変えてすでに食堂で働き始めていた。

 食堂に現れたリーネット伯爵令嬢を見て、雪の乙女は逃げ出すことも諦める。

 「私に復讐に来たんですね」

 「しないしない。ただ聞きたかったのよ。なんで、あの馬鹿王子を選んだの?玉の輿に乗りたかったなら、他にもっといい条件でもっといい男を捕まえられるでしょう。わざわざ、あんな馬鹿を選ぶ理由を知りたいの」

 ため息を吐く雪の乙女。

 「あんたに、一泡吹かせたかったのよ。まあ、私としては男を奪って馬鹿にしてやるだけのつもりだけだったけど」

 「私に?」

 「あんたは、困っている人に手を差し伸べている聖人様って言われているけど、その差し伸べている相手は、下級貴族とか一般庶民とか、私から言わせればそいつらは元々恵まれているやつらなんだよ。あんたの目には入らないだろうけどね、この国にはスラムがあって、ゴミのように扱われている人間がいるんだ。私の母はそんなゴミくず扱いをされて死んでいった」

 リーネット伯爵令嬢はしばし考えた後、雪の乙女に言った。

 「あなた、私の部下にならない?そのスラムがなくせるように、あなたの目がほしい。あなたが言った通り、私には見えていない部分が多すぎる」

 「はん。おやさしい貴族さまが、慈悲の心を見せてくれるってわけ」

 「違う。この国は小国なのよ。生き残るには手段は選んでいられない。たとえ、あなたが私を嫌いでも、あなたのような優秀な人材を手放したくない」

 「断ったらどうなるの?」

 「私にはあなたをどうにかできる権限はありません。ただ、私はあなたがほしい」




 「僕じゃない。僕のせいじゃない。そこの雪の乙女が全部悪いんだ」

 城に戻ってきたリーネット伯爵令嬢に、責任逃れの言い訳をする王子。

 「わかってます。すべて、わかってますよ、王子」

 リーネット伯爵令嬢は微笑む。

 「こんなところに、みなを集めてどうするつもりだ」

 と、王が疑問の声をあげる。

 その場には、王と王妃、その他王族関係者が集められていた。

 不可解事件を解決しようとする物語の名探偵のように、一同を見回してから、リーネット伯爵令嬢は語る。

 「みなさんは、疑問に思いませんでしたか。王子がこんなことをした理由を。王子の立場にいる人間が、婚約者の不正をでっちあげて処刑を強行するなんて。その理由が、雪の乙女と結婚するためなんて、あるはずがないですよね。それでは、王子は底抜けの大馬鹿野郎じゃないですか」

 底抜けの大馬鹿野郎の王子は目をシロクロさせる。

 「どういうことなんだ?」

 王の疑問に、リーネット伯爵令嬢は答える。

 「ゴブリンなのです」

 「ゴブリン?あの醜くて臭くて知能が劣る、醜悪な種族がどうした?」

 王のお付きが、慌てて発言を諫める。

 「人類と魔物の和平が成立している今、そのような差別的発言はまずいです」

 「すまん。失言だった」

 リーネット伯爵令嬢はみなに語りかける。

 「そう、そのゴブリンです。人間にとっては嫌悪感を抱き侮蔑の対象となるゴブリンです」


 「そのゴブリンの男性に、王子は恋をしたのです」


 その言葉はみなに衝撃を与える。

 嘘を訂正しようと、王子は口を開くが、声がついていかない。

 代わりに王が反論する。

 「あんな汚い種族に、人間が恋愛感情を抱くなんてありえんだろう」

 王のお付きが再び諫める。

 「あなたの立場で、その差別的発言はしてはいけません」

 「いや、しかし。しかも、相手は男なのか?」

 今度は王妃が王をたしなめる。

 「あなた。今はそういう時代になったのです」

 すでにリーネット伯爵令嬢の部下となった雪の乙女は証言する。

 「王子は私に言いました。僕は君を愛することはない。なぜなら、僕はゴブリンの男性に恋をしたからだ、と」

 王は首を横に振る。

 「信じられん。私は自分が頭の固い古い考えの人間だとはわかっていたつもりだったが。ここまで若者の考えがわからんとは」

 「年は関係ありません。王子が特殊な好みを持っていただけです。王子は動物のヤギに欲情を抱く変態でしたが、それが発展してゴブリンに欲情しているのでしょう」

 リーネット伯爵令嬢の嘘を、雪の乙女が補強する。

 「はい。王子はヤギとやってました」

 「おま・・・」

 王子が何か言いかけるのを、リーネット伯爵令嬢が大声でさえぎる。

 「我々には理解できない恋愛観です。ですが、王子の恋を応援してあげようではないですか」

 王妃は目元をぬぐい、王子に言った。

 「あなたはつらい恋をしていたのね」

 「母上。違います。違うんです!」

 「もう、取り繕う必要はないわよ」

 「母上!」

 リーネット伯爵令嬢は締めに入る。

 「王子の恋を永遠に語り継いでいきましょう。王子、バンザイ」

 リーネット伯爵令嬢につられて、みんなが声を上げる。

 「王子、バンザイ」

 「王子、バンザイ」

 「王子、バンザイ」

 王子の言葉がかき消される。

 バンザイの最中、騎士団の少年が書類と鍵を、リーネット伯爵令嬢の元に持ってくる。

 リーネット伯爵令嬢の釈放が正式に決定したとの通知書。

 リーネット伯爵令嬢の手枷が外される。


 リーネット伯爵令嬢は、王子をぶん殴った。


        おわり


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