第四話 司教
ウィリアム司教の後を着いていくと相談室にたどり着いた。メアリーや護衛の2人には部屋の外で待機してもらうことにして中に入る。
部屋の真ん中には机と、それを挟むように椅子が置かれており、そのうちの一脚に座るように促され腰掛けると「少しお待ちください」と言ってウィリアム司教は部屋から出て行った。
しばらくしてウィリアム司教はポットとカップが載せられたトレーを持って部屋に戻ってきた。
目の前でポットから注がれたお茶は湯気と共にふんわりと花の香りが漂ってくる。
「さあどうぞ。カモミールティーです」
カモミールティー……とてもいい香りがする。
「ありがとうございます。いただきます」
一口飲むと甘い花の香りが口いっぱいに広がる。
「カモミールティーはリラックス効果があるんですよ。落ち着いたらお話を聞かせてください」
ウィリアム司教はそう言うと向かい側の椅子に腰掛け、私が落ち着くのを静かに待ってくれた。
何口かカモミールティーを飲んで胸がぽかぽかしてきたところでカップを置き、ウィリアム司教をまっすぐに見る。
「ウィリアム司教、お時間を作っていただきありがとうございます。私の悩みは私の未来についてのことです。1年前、私は神様のお導きで未来の私と……」
そこからは堰を切ったように内に秘めていた事を話した。
1年前の未来の自分からの忠告。
私の選択。
この1年、自分に課して守り続けているルール。
オーウェン様との関係。
未来への不安。
「怖いんです。不幸な結婚生活を送りたくないというのはもちろんですが、あんな人になりたくない……妹の不幸を何とも思わない、あんな人になってしまうのが怖くて仕方ありません」
私が話し終えると、時折目を見開き驚いたような様子を見せながらも黙って聞いていてくれたウィリアム司教が口を開いた。
「1年もの間、そのような秘密を抱えていらっしゃったとは……。ご家族にも言えず、不安で仕方がなかったでしょう。よくぞ耐えられましたね」
こちらを気遣うような眼差しに、胸がいっぱいになる。
「ただ……今のご令嬢のお話の中で、ひとつ気になることがあります」
「気になることですか?」
「ええ」
ウィリアム司教は、少し躊躇うようなそぶりを見せた後に意を決したように私に向き直り口を開いた。
「未来のご令嬢は、神の成せる業だとおっしゃっていたのですよね?」
「はい、不幸な人生を送っている自分のために神様が忠告の機会を下さったと」
「そうですか……。お気を悪くされたら申し訳ないのですが」
そう言うとウィリアム司教は再び躊躇うように口を閉じ、視線を彷徨わせている。
「ウィリアム司教、どうか、何に引っ掛かっていらっしゃるのかおっしゃってください」
私がそう懇願すると、ウィリアム司教は重い口を開いた。
「未来のご令嬢が8歳のご令嬢の前に現れた、それは本当に神の御業なのでしょうか?」
「えっ……それはどういう意味なのでしょうか?」
「失礼を承知で申し上げますが、ご令嬢からお聞きした限り、未来のご令嬢は少なくとも神の御慈悲をいただけるような方とは思えません」
ウィリアム司教いわく、今までも『神の奇跡』と言われるような事象はあったという。
しかし、神の奇跡を受けた人は皆、自分の幸せよりも他人の幸せを心から願うような善人ばかりだったようだ。
たとえば馬車に轢かれそうになっていた他人の子供を庇い、誰もが助からないと思うような怪我を負った商人が信じられない回復力で後遺症もなく生還したこと。
たとえば少ない食事すら他人に分け与えるような毎日を送っていた農家の青年の痩せ細った畑が、一晩にして収穫しきれない程実った野菜畑に変わっていたこと。
「善良な人々全てに奇跡が起きるわけではありません。しかし、それでも奇跡が起きたのは善良な人々に対してだけでした。未来から現れたご令嬢は……」
言い淀むウィリアム司教の代わりに言葉を紡ぐ。
「神の奇跡に相応しい善人ではありませんでした」
自分の幸せのみを考え、他者への思いやりのない人物が神の奇跡に相応しいはずがない。
ウィリアム司教は私の言葉に神妙な面持ちで頷く。
「ですが、それではあの状況は説明できません。突然私の部屋に現れて、砂時計が落ち終わると同時に私の目の前から消えたんです。神様の御業ではないのだとしたら一体?」
私が問うと、ウィリアム司教は椅子から立ち上がり棚に向かっていく。
そして棚から一冊の本を手に取ると私に向かって差し出してきた。
差し出された本の題名は『悪魔祓いの歴史』。
「未来から現れたご令嬢に力を貸したのは神ではなく、悪魔なのではないでしょうか?」
思ってもみなかった存在の名を聞き、血の気が引いていくのを感じる。
「怖がらせてしまったら申し訳ありません。しかし、お話をお聞きした限り、悪魔に願ったと考えた方が腑に落ちるのです。不幸な人生を変えるために過去を変えたい、と」
「悪魔に願った……。私は何を願ったんでしょう。その願いが叶った場合、未来の私はどうなるのでしょうか?」
私の問いに、ウィリアム司教は苦しげに首を横に振る。
「わかりません。悪魔は願いを叶えるために対価を要求するものです。未来から現れたご令嬢が何を願い何を要求されたのか……それを知るためにはご令嬢が契約した悪魔について知る必要があるでしょう」
「悪魔についてですか?」
「ええ。悪魔にも色々なものがいます。私の知る限り、短い時間とはいえ契約者を過去に飛ばすことのできる悪魔の話は聞いた事がありません」
「そんな……」
「お力になれず申し訳ありません。該当する悪魔がいないか教会の書物を調べてみますので、分かり次第お伝えします。それと、こちらをお持ちください」
そう言ってウィリアム司教は首にかけていたロザリオを取り外し、私の前に置いた。
「これは……ウィリアム司教の大切なロザリオをお預かりするわけにはいきません」
常に身につけているロザリオだ。
ウィリアム司教にとって特別なものに違いない。
ロザリオを返そうとすると、ウィリアム司教に押し留められる。
「だからこそです。特別なロザリオだからこそ、ご令嬢にお預けしたいのです。恐らくですが、未来のご令嬢が契約した悪魔は、かなり力が強い悪魔でしょう」
「力の強い悪魔?」
ウィリアム司教は大きく頷いた。
「どこまでこのロザリオが力の強い悪魔から遠ざけてくれるかはわかりませんが、こちらを常に身につけ、祈りの際にご利用ください。そして、何かを祈る際にはこれまでのように神にお祈りください。どうか、悪魔の力は借りませんように」
「ウィリアム司教、本当によろしいのでしょうか?確かに、私もウィリアム司教のロザリオをお預かりできたらとても心強いのは確かですが……」
「はい、是非お持ちください。ご令嬢のように苦しむ方にこそお持ちいただきたい。私もご令嬢のために毎日神に祈りを捧げましょう。悪魔についても調べてみますので、何かわかり次第お伝えしますね」
「ウィリアム司教、ありがとうございます。それではお言葉に甘えて、こちらのロザリオは大切にお預かりさせていただきますね。それと、私も悪魔について調べてみようと思います」
未来の私は悪魔とどんな契約をしたのだろうか?
それを知るためにも、時を操る悪魔について知らなければならない。
ウィリアム司教にお礼を伝えて教会を出る頃には空がオレンジ、ピンク、むらさきに染まっていた。
教会に2時間ほどいたことになるだろうか?随分と長居してしまった。
私は待機してくれていたメアリーと護衛2名に感謝を伝えると、急ぎ帰路についた。