番外編 ウィリアム司教とカモミールティーを②
それからひとしきり泣いたところで、どちらともなく顔を見合わせた。先に口を開いのはウィリアム司教だった。
「悪魔にも打ち勝ち、神のなす奇跡でダーズビー侯爵も回復され、今はご家族で穏やかにお過ごしになっていらっしゃる。私も本当に嬉しく思います。ですがソフィア様の心にはもやが燻っておられるのですよね……ニコラ様のことでしょうか?」
「……!!はい、おっしゃる通りです。どうしておわかりになったのですか?」
「ソフィア様のお優しさは良く存じ上げておりますから」
本当にこの方は何でもお見通しなのね。
「心のうちをお聞かせください」
「…はい。ニコラに対する私の感情は…とても、一言では言い表せません」
小さい頃は仲が良かった。
ニコラは顔を合わせるといつも『お姉様!!』ときらきらした笑顔で抱きついてきた。優しく抱きしめ返すと、ニコラからなぜか甘い香りがして幸せな気持ちになったし、そんなニコラが可愛くて仕方なかった。
でもいつの頃からか、ニコラは私を見ると顔を顰めるようになった。そして私のものに信じられないくらい執着するようになってしまった。
可愛い妹の変わりように最初は驚き困惑した。でも可愛いわがままなのだから、とニコラの欲しがるものを差し出しても、なぜかニコラの顔はすぐに曇ってしまう。
そしてニコラの執着は成長するにつれ、おさまるどころか悪化してしまった。
私のものは何もかも欲しがり、遂にはオーウェン様まで欲しがった。
それでも私はニコラにオーウェン様を絶対に譲りたくなかった。あの未来からの忠告があるまでの間も、忠告を受けてからも。
「ニコラを守りたかった……優しいオーウェン様の未来も、私の努力で守れるのならどんな努力でもしようと思いました。ですが、気づいてしまったのです……。私の選択がニコラを死に追いやったのかもしれない、と」
ニコラが望むようにニコラとオーウェン様が結婚できていれば、ニコラの願いは叶い、ニコラが死ぬことはなかったのではないか?
「ただ…あの悪魔と対峙した時にも感じたことなのですが、恐らく私がオーウェン様と結婚しないことを選択したとしても、悪魔は魂を奪うためにニコラとオーウェン様との結婚を妨害したのではないでしょうか?」
ウィリアム司教は大きく頷いた。
「私もそう思います。ニコラ様とダーズビー侯爵との結婚は叶わなかったでしょう。それが悪魔の悪魔たる理由です。魂を得るためにはニコラ様の願いを叶えるわけにはいきませんから、なんとしてでも邪魔をしたでしょうね」
事実、多くの人々があの悪魔と契約をしたが、願いを叶えた人は1人もいなかった。悪魔が願いを叶える妨害をしていたとしか考えられない。
「それと、こう言ってはなんですが、ニコラ様が悪魔と契約をしてダーズビー侯爵と結ばれようとしたということは、その時もソフィア様がダーズビー侯爵と結婚されていたのでしょう。それなら今ソフィア様とダーズビー侯爵が結婚しているということは、変えられてしまった運命を元に戻したようなものなのではないか、と私は思うのです。ソフィア様の選択は運命をあるべき形に戻し、別の選択をしていたとしてもニコラ様を救うことにはならなかったのではないでしょうか」
ウィリアム司教の言葉を聞きながら、心のもやが少しずつ少しずつ晴れていくように感じる。でも…。
「ウィリアム司教、ニコラを救う方法は本当になかったのでしょうか?」
「そうですね……ニコラ様を悪魔が魂を奪いに来る前に教会で匿うことができていればあるいは……。しかし契約をしたのはソフィア様だとばかり思っておりましたから、それも難しかったでしょう。そう思わせるような行動をしていたのはニコラ様ご自身であったわけですからね。本当に残念ですが……」
ニコラ……。
ニコラへの感情は複雑だ。自分の大切なものを何度も欲しがられるのは、両親が防いでくれていたとはいえ気持ちのいいものではなかった。
私が欲しかったものを手に入れたときには常にニコラの『ちょうだい!!』が始まるため、いつか無理矢理取られてしまうかもという不安があった。
実際にオーウェン様からいただいた大切なネックレスをニコラが身に付けて現れたときは、ああ、遂にここまで来てしまったのかという絶望を感じて目の前が真っ暗になった。
それでもニコラの死には心が乱された。
ニコラに死んで欲しくなかった。
「ソフィア様、どうかこれ以上お心を痛めませんように……。ニコラ様のことは本当に残念でなりません。ですが、変えられないものに目を向け続けるよりも、あなたを大切に思い、あなたも大切に思う方々へ目を向けていただきたい」
家族や使用人、友人、多くの顔が浮かんでくる。
「そうは言っても割り切れないこともあるでしょう。どうにもならない、できることはなかったと頭で理解していたとしても、悩み、苦しむこともあるでしょう。そういう時にはまたここにいらしてください。カモミールティーをいつでもお出しできるようにご用意しておきますから」
なんて温かいお言葉なんだろう。
私の割り切れない感情にも寄り添ってくださるお言葉。そしていつも私を安心させてくださる穏やかな笑顔。
「はい、ありがとうございます」
私が短くそう答えると、ウィリアム司教は柔らかく微笑みながら頷いた。
「すっかり、冷めてしまいましたね。淹れなおしましょうか」
「いえ、よろしければこのままいただきたいです。ウィリアム司教がせっかく淹れてくださったものですから」
ウィリアム司教はわかりました、と少し嬉しそうに微笑まれるとティーカップを持ち上げ、美しい所作で飲み始めたので、私も口を付けた。
冷たいカモミールティーが身体の中に流れてくる。冷たくても温かくても、心を癒す効果は変わらないようだ。
りんごのような甘い香りが優しく身体を巡る。
ティーカップが空になった頃には、胸がじんわりと温かくなっていた。




