番外編 フラッシュバック(ニコラ・コークラン)
お手にとっていただきありがとうございます。
すごく長くなってしまいましたが、区切り良くこのまま投稿させていただきます。
抵抗虚しく、私はコークラン伯爵家の別邸へ居を移すことになった。
別邸は避暑地にあり、協力者なしに本邸へ戻れるような距離でもなかった。
勿論、私に協力してくれるような人はいなかった。泣いても喚いても、誰も私の言うことを聞いてくれなかった。
それでもお父様もお母様も私のそばにいてくれた。これまで以上に根気強く私と向き合おうとしてくれた。
それなのにまだオーウェン様を諦められない。自分でも苦しくて仕方がなかった。
長い間私を占めていた存在はあまりにも大きく、あまりにも大切だった。
執着を手放すという選択はできなかったのだ。
もう一生執着心を手放すことはできないのだろう、と投げやりにもなっていたある日。
生まれて初めて、お父様が私の前で涙を流した。
『ニコラ、どうしてやればいいんだろうな。どうすればお前は幸せになれるんだろうな…。私達の言葉がお前には聞こえないのか?お前を大切に思う私達のことは見えないのか?どんなにお前が欲しがっても、お前の望むものは手に入らないんだよ。それはお前のものではないんだ。それに、だ。手に入ったとしてもすぐに興味をなくしてしまうだろう?』
そんなことない、と言えなかった。
だって事実だったから。手に入ったものはすぐに興味をなくしてしまう…。お姉様のものでなければ、お姉様のものだから価値があるのだ。
『ニコラ、お前はお前だ。お前にはお前の良さがあるんだ。ソフィアを見るのはやめなさい。ソフィアはお前にはなれないし、お前はソフィアにはなれないんだよ』
そんなの言われなくてもわかってる。
『ニコラ、自分でも気がついているだろう?ソフィアの好きなものを真似しても、手に入れても、お前は満たされないんだ。お前がどうしてもというからソフィアと同じアイリスの香水をお前にもやっていたが、その香りを纏ったお前はソフィアのような笑顔を見せてはくれなかった』
お姉様のような笑顔?
『お前が本当に好きなものは何なんだ?本当にアイリスの香りが好きなのか?ニコラ』
私、私は……。
『知っているか?ニコラ。お前はソフィアの好きな花を同じようにねだるが、庭園を歩くお前がいつも目に留めるのは違う花だ。違う花なんだよ、ニコラ』
目に何かが込み上げてくる。喉がヒュッと苦しくなり、やがて頬に温かいものが伝ってきた。
『わっ私、私は……』
いつの間にかそっと私の肩を抱いてくれていたお母様が、いつかのように私の背中を優しく撫でながら静かに続きを促してくれた。
『……好きじゃない、アイリスの香りは好きじゃないわ。花も、本当はもっと華やかな花が好き』
『そうか、お前はアイリスの香りが好きじゃないんだな。花も、華やかな花が好きなんだな』
うん、うん、と大きく何度も頷く。
『ニコラ、あなたの気にいる香水を探しましょう。あなたの部屋に飾る、あなたの好きな花を一緒に見つけましょう。あなたが纏う、あなたが好きな香りが楽しみだわ』
『……っ、ごめ…ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい…』
※※※
あの日からしばらく経ち、季節は私の大好きな薔薇が咲き誇る時期になっていた。
「いい香りねえニコラ」
「ふふ、そうでしょう?」
「部屋に飾る花も、身につける香りも薔薇なんて。なんだかあなたらしいわ、ニコラ」
「いいでしょ?見た目も香りも大好きなんだもの」
あれから少しずつ、私は私の好きなものを見つけていった。
どの花の香水か伏せた状態で選んだのは、華やかな薔薇の香りの香水だった。
庭園で目が奪われるのも薔薇の華やかさ。
紅茶はストレートが好き。
初めて飲んだお酒は意外と悪くなかった。
刺繍よりも絵を描く方が楽しい。
湖のほとりで何もせずぼーっと1日を過ごすのも悪くない。
自分の好きなもの探しは思いの外楽しく、心が躍った。そんな自分の変化に自分自身驚きながらも、今まで得られなかったような喜びを感じた。
変化といえばもう1つ。私の髪はいつの間にかお姉様とお母様そっくりのミルクティー色になっていたのだ。
鏡に映り込む自分の姿は目尻以外はお姉様とそっくりになっていた。
そんな自分の姿を見ても、最近は心が乱されなくなってきた。その代わりに生まれたのはお姉様への罪悪感。
自分の好きなものに出会うほど、自分の好きなものを私のために手放したお姉様に申し訳ないという気持ちが芽生えた。
そんなお姉様が手放さなかった、私が初めて好きになった人。そこまでお姉様が愛しているオーウェン様をどうにか奪ってやろうと行った数々の愚行。
お姉様はもう私の顔も見たくないだろう。
顔を見て謝りたいと思うのは私の独りよがりなのかもしれない。
それでもいつか、いつの日か、お姉様に謝りたい。オーウェン様にも、2人の子供たちにも。
そんな願いを込めながら、私はその日の夜、どきどきしながら机に置いてある本を開いていた。
本に挟まれていたのは大好きな薔薇。
私は3歳の時以来にとなる押し花作りに再挑戦していたのだ。
結果は、大成功だった。
やった、やったわ!明日お父様お母様に見てもらわないと!
会心の出来に思わず頬を緩めながらベッドに向かおうとした、その時だった。
突如膨大な記憶が頭の中に流れ込んできて立っていられず、その場に崩れ落ちた。
これは……以前の私の記憶。
あの時も同じようにオーウェン様に恋をした。
あの時も同じようにお姉様から全てを奪おうとした。
オーウェン様を奪えず、社交界でも散々暴れて居場所を無くし、酒に溺れる日々を送る私の前に現れた美しい男。
『かわいそうに…。辛いでしょう、苦しいでしょう。私ならあなたを救ってあげることができます。あなたの願いを叶えるお手伝いをさせてください』
『私の願いを叶えるですって?ならオーウェン様と結婚させてよ……オーウェン様を私のものにして!!』
『かしこまりました…と言いたいところですが、私に出来るのはほんの少しの時間、あなたを過去に飛ばすことだけです』
『なによそれ、ほんの少しってどれくらいなの?』
『ほんの数分です』
たった数分で何ができるというのか。
オーウェン様には何をしたって好きになってもらえなかった。
過去の自分に忠告や助言ができるようなものも何もない。それが有効なら私は今頃オーウェン様の隣にいるはずだ。
じゃあいっそのことお姉様を…いや、さすがにそこまでは……。
思考を巡らせていたとき、ふと部屋の鏡に映る自分の姿が目に入った。
お姉様とそっくりな姿。
多少目元は違えど、そこさえ除けば私とお姉様は瓜二つだ。この姿を知る前の、子どもの頃のお姉様の前に今の私が現れたら?
未来から来たニコラではなく、未来から来たソフィアと名乗ってもわからないのではないだろうか?
人の言うことを聞かない私と違って、疑うことを知らないお姉様なら騙せるのでは……。
ならいつ?どの時点に行けばいい?オーウェン様と結婚しないように忠告をするなら、オーウェン様と出会った後がいい。
それなら私が6歳でお姉様が7歳の頃。
オーウェン様と出会ってすぐに……いや、それだともしかしたら1年の間に私の忠告が薄れてしまうかもしれない。お姉様といえど、まだまだ幼い7歳の女の子だ。優しいオーウェン様と接するうちに私の忠告を忘れてオーウェン様と婚約を、という可能性もある。
ではいつ?どのタイミングで忠告するのが効果的なのだろうか……。
あの日だ。
お姉様とオーウェン様が婚約を結ぶ前夜。
そこで忠告をすれば、じっくり考える暇もない。それなら、私の忠告を信じて婚約を拒否してくれるのではないだろうか?
そうと決まれば、と男に告げる。
『お姉様とオーウェン様の婚約の前夜に戻りたいわ』
『なるほど。ではこちらを手に持って願いなさい。願いを口にした後に砂時計をひっくり返せば、望む過去へ行くことができます』
手渡された砂時計の砂は赤黒く輝き、見惚れるほど美しかった。
じっと魅入っていると、そういえば、と今更ながら気になったことを男にたずねる。
『あなた、何者なの?』
『何者でもよいではありませんか』
『…まさか、悪魔?』
美しく微笑む男。
『じゃあ何?私の願いが叶ったら魂を取られるの?それならやめておくわ。さすがに死にたくないもの』
『いえ、私は他の悪魔とは違いますよ。確かに代償は魂です。ただし、私が魂をいただくのは願いが叶わなかったときです。願いが叶えば魂はいただきません』
『そうなの?!それならやるわ!!じゃ早速……いやちょっと待って、オーウェン様は酷い男だから結婚しちゃだめっていう言葉を確実に信じてもらうために、わかりやすい何かが欲しいわね』
『わかりやすい何か、ですか?』
『ええ。たとえば……傷跡?そう、傷跡よ!!暴力を振るわれてる証拠だって言ってお姉様に見せれば、お姉様も信じてくれるはずよ!!』
『なるほど、おもしろそうですね。では協力してあげましょう』
男が私の脚を指差すと、脚が何かに触られてるような感触がして鳥肌が立つ。
『な、なにをしたのよ?!』
『傷跡をつけて差し上げたんですよ。痛みはなかったでしょう?』
そう言われて裾を捲ると、確かに私の脚は傷だらけになっていた。
『これ、ちゃんと消してくれるんでしょうね?』
『ええ、跡形もなく、ね』
『それならよかった!!ありがとう!!じゃあ今度こそ行ってくるわ!!』
「全て思い出せましたか?」
はっと頭を上げると、目の前には私が契約をしたあの悪魔がいた。
思い出した。思い出してしまった。
悪魔との契約、そして過去を変える前の自分の愚行。
お姉様への忠告は、私の願った"私とオーウェン様の幸せな結婚"には結びつかなかった。
そして私は何も変わらず、またお姉様のものを欲しがり続けた。
「そんなっ!!なにも、なにも変わってないじゃない!!」
オーウェン様へ執着し続けた醜い自分、お姉様を妬み続けた醜い自分。
未来も自分もなにも、なにも変わらなかった。
「契約は契約ですからね、魂をいただきに参りました」
そう言って微笑む悪魔から何とか逃げようとするが、身体が震えて思うように身体が動かせない。
それでも必死に床を這いつくばりながら悪魔から距離をとろうともがく。
死ねない、死にたくない……せっかく自分が好きなものに気づけたのに。
せっかく自分の過ちに気づけたのに。
傷付けたお姉様にも、迷惑をかけたオーウェン様や子供達にも謝れないで死ぬなんて。
私のせいで予定より早く家督を継がなければならなくなってしまったお兄様にも謝れていない。
お父様お母様にも迷惑かけてばかりで、何の恩を返せていない。これから、これからなのに……。
「おやおや、泣いているのですか?かわいそうに。すぐ楽にしてあげますからね」
「い、いや、お願い、お願いだから、待っ…」
幸せになりたかった、私はただ幸せになりたかった。
そのために必要なことに気づけず、悪魔の力を借りてお姉様の幸せを奪おうとした……これはその報いなのだろう。
死の瞬間、なぜか頭に浮かんだのは絶対にあり得ない情景。
家族がみんな集まり、その輪の中心で和やかに笑い合う私とお姉様の姿だった。




