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冷めている筈なのに、牛蒡とお出汁の いい香り……
お弁当箱を開いたときに、ご飯の段に【かしわめし】が入っていると、いつも心が躍る気分だった。
かしわめしは 九州では良く食べられる定番で、鶏の炊き込みご飯のことをいう。この辺りでは細かく切った かしわ肉と野菜などの具材を煮たものを、ご飯に混ぜ合わせて食べるのだ。九州は元々鶏肉をよく食べる文化があって、福岡では【はかた地どり】が好まれる。筋肉質で歯切れのよさと、噛むほどに旨味が増していくのが特徴だ。
おかずの段に入っているのは、少し甘めの卵焼きに、たこさんウィンナー。それに ちくわサラダと、香の物には瀬高の高菜の油炒めが添えられる。正臣は、いつも ちくわサラダを一から手作りしてくれる。胡瓜が沢山入ったポテトサラダを竹輪の穴に詰めて、天ぷら粉を付けて油で上げる。酒の肴にも、ご飯にも合う定番のおかずなのだ。
「うわっ、美波。今日も相変わらず、豪華なお弁当生活だねえー かしわめしに、ちくわサラダなんて、めっちゃ手が込んでるわー 」
「ちょっ、急に上から覗かないでよ。吃驚するから 」
「だって、美波がカフェテリアでご飯を食べてるなんて珍しいんだもん。同じ会社に就職しても、美波は外回りばっかりで顔を会わせないし。私のとこにきてくれるのって、領収書の精算のときだけじゃん? 」
「……今日は内勤だって話したら、正臣が作ってくれたの。いつもって訳ではないから! 」
美波は一通りの言い訳を並べると、顔をしかめる。唐突に声を掛けてきたのは、小学校からの幼馴染みの蘭で、結局同じ会社に就職してしまった腐れ縁だ。
「でもさ、かしわめし も、ちくわサラダも手間が掛かると思うよ。美波は相変わらず愛されてるねー 」
「どこがよ? 就職してからはだいぶんマシにはなったけど、こっちは 毎日毎日 胡瓜野郎のお節介と干渉が酷くて、困ってるんだから 」
「それは美波のことが心配だからでしょ? 正臣さん以上に美波を溺愛してくれる男性なんていないんだから、ここまできたら嫁にしてもらえばいいのにー 」
「だーかーらーッ、私たちはそういうんじゃないの。あっちも しきたり と言うか、命令というか、ほぼビジネスで私の面倒を見てくれてるだけだし。それにあの干渉束縛マンに一生監視されながら暮らしていくなんて、絶対に嫌! 」
「アハハ。美波って、たまに本当に頑固だよねー 」
蘭は 面白ろ可笑しく美波の反応を楽しむと、隣に着席する。手にしていたコンビニ袋の中身は お握り二つとシーザーサラダというラインナップで、イマドキ女子のランチの装いだ。
蘭は美波の家の複雑かつファンタジーな事情を知る 唯一の友人で、正臣とも面識がある。ほぼ同じくらいの学力で、学部までも同じ。家族構成も一人っ子と共通項は目立つのに、唯一違うことは男性経験の豊富さだった。
「美波もさ、いつまでも意固地になってないで、いい加減に恋をしてみたら? 恋愛っていいよ。家族以外に身も心も愛される充足感って、半端なく幸せだから 」
「……私はいいよ。今は仕事に集中したいし。それに私の場合は結婚が前提で、そういうことは簡単には出来ないから、相手に重すぎるもん 」
「それならさ、純愛を受け入れてくれる人を探せばいいんだよ。身体の関係がなくても、男は本気なら待てるもんよ 」
「いや、私には そうは思えないけどなあー 」
美波は蘭の説得力のない話を聴きながら 弁当をつつくと、お茶を一気に流し込む。今のご時世、身体の関係が一切ない交際なんて聞いたことがない。そんな忍耐強くて、清らかな王子様みたいな人がいるだなんて、到底信じがたい話だった。
「つーかさ、美波の部署の福重さんとかどうよ? 見た目も良いし、ホープ世代なのに営業成績も優秀じゃん 」
「福重さん? 」
「うん。たまに#経理部__うちの部署__#に顔を出してくれるんだけど、営業ってお金にルーズでさ。不備とか困り事を相談すると、然り気無くフォローしてくれたりして。あんなに気が付く人だと、夜の方も色々と期待しちゃうよね 」
「……じゃあ蘭がアタックすればいいじゃん 」
「私はいいのよ。ここは美波に譲ってあげる 」
「はあ? もしかして蘭ってば、この前 彼氏と別れたばっかりなのに、もう新しい人を見つけたの? 」
「別にそういうわけではないけど…… この前バーで引っ掛けたワンナイトが良かったから、暫くは男に困らないだけ。ライトな関係で遊ぶターンも必要なのよ。性格も身体の相性も完全な関係ばっかり求めてたら、疲れちゃうもん 」
「何それ…… 」
確かに福重は話しかけやすいし、優しい一面があるのは知っている。それに多分だけど、自分はどちらかと言うと福重には嫌われてはいないだろう。でも社内恋愛って、いろんな意味でリスクの方が多いのではないだろうか。
「でもさ、私も一回でいいから 妖怪と恋してみたいわー 」
「いやいや、それは端から見てるから良く感じるだけだよ。っていうか、正臣は人間社会に溶け込んでるから別だけど、大半は狂暴で強引な性格の妖怪ばかりなんだから 」
「へー 美波は他にも妖怪の知り合いとかいるの? 」
「えっ? まあ、あんまり私も交流はないけど…… 強いて言えば、正臣の知り合いの妖狐のお兄さんとか位かな。私は妖力があるわけではないから、妖怪かそうでないかとは見分けは付かないし、正臣から界隈との交流は禁止されてるから 」
「へー 案外、そんなもんなんだね 」
蘭はお握りを頬張りながら 腕時計に目をやると、勢い良く一つ目を食べきる。僅か一時間足らずの昼時間だからこそ、必然的に早食いになるのは社会人の基本みたいなものだ。
「でも私も一回、素敵な妖怪と禁断の主従関係になってみたいよね。っていうか、憧れちゃうよね。つーかさ、正臣さんの連絡先を教えてよ 」
「はあ? 」
「美波がいらないなら、私が狙っても問題ないでしょ 」
「……駄目だよ 」
「何で? 」
「正臣は本当に口煩いし、おまけに胡瓜しか食べないんだよ? あんな面倒で偏食な大人、親友に紹介なんて出来ないでしょ 」
「ふーん 」
美波はため息混じりに正臣に対しての文句を言い切ると、空になった弁当箱の蓋を閉じる。いつもは正臣のお節介が嫌で仕方ないのに、いざそれを声にしようとすると、思いの外 悪口は思い付かなかった。
「つーかさ、美波。今晩さ、飲みに行こうよ 」
「えっ? 」
「西中洲に とりかわグルグルの 美味しいお店があるのよ。そこで男を引っ掛ける! たまには男慣れも訓練しなきゃね。美波は学生時代からガードが固すぎだもん 」
「悪いけど 今日はパス。今晩は…… 家に夕飯があるから 」
「夕飯? それなら今から正臣さんに外食して帰るって連絡すればいいじゃん。まだ昼だから間に合うでしょ? 」
「それが今晩は水炊きにするらしいんだよね。今日は一日在宅だから、お肉屋さんで鶏ガラを買ってきて作るって 」
「水炊き?って…… 正臣さん そんな手の込んだものまで家で作るの? ベジタリアンなのに? 」
「うん。でも凝ったご飯が出てくるのは、たまにだけどね。特にリクエストはしてないんだけど、今朝 急に作るって言い出したものだから 」
「そっか。じゃあ、今日は一人で飲みに行くかなー 」
蘭は美波の事情を察してか、さすがに無理強いはしてこない。でも腕を組むような仕草を見せると、少しだけ顔をしかめていた。
付き合いが悪いと思われたくはない。でも家には長時間煮込まれた、水炊きが待っている。
どうしよう……
美波が何とも言い表せない複雑な胸中に陥っていると、ふと後方から こう声が掛けられた。
「おっ? お二人さん、もしかして今晩飲みに行くの? 」
「「えっ? 」」
美波と蘭は同時に後方を振り向くと、そこには福重の姿があった。こちらも手にはパンパンのビニール袋が下げられていて、パンや魚肉ソーセージなどジャンクなパッケージが透けて見える。
「あっ、福重さん。お疲れ様です。すみません、私たち…… 少し声が大きかったですね? 」
「いや、そんなことはないよ。たまたま通りかかって、飲みに行くって単語だけ聴こえてきたんだ。僕、聴力は悪くないんだ。盗み聞きするような感じになって、こちらこそごめん 」
「いえ…… そんなことは気にしないで下さい。今日は美波……いえ、高取さんは行けないそうなんで、仕切り直しにしようかと思ってたんです 」
「えっ? 高取さんは駄目なんだ 」
「あっ、ええ。まあ…… 」
「そっか。それは残念だな。今日は夜も接待がないし、僕も混ぜてもらおうかなって一瞬期待しちゃったよ。ごめんごめん、また機会があったら宜しくね 」
福重はそう笑顔を振り撒くと、二人に手を上げ背を向ける。でも次の瞬間、その彼の足取りを止めに入ったのは、このチャンスを逃すまいとする蘭の存在だった。
「行きます 」
「えっ? 」
「絶対に行きますっ。私たち二人、今日は夜は空いてますから。ねっ、美波っっ 」
「ちょっ。蘭っッ、それは痛いって 」
蘭はテーブルの下で美波の足元にピンヒールを捩じ込むと、美波な強引な同意を要求する。気のせいか、その瞳には先程まででは考えられなかったような光が差し込み、殺気のようなオーラが滲み始めていた。
「美波も一杯だけでいいから付いてきてよ。つーか、来なさいっっ 」
「ちょっ…… 蘭ってば 」
蘭は美波を無理矢理 手名付けると、福重に向かってニコリと笑みを振り撒く。そして美波が抵抗できないように 足元の力を強めると、こう話を進めるのだった。
「福重さん、行かせていただきます。美波も急遽、行けるみたいなんで。どうぞ宜しくお願いします 」
「えっ? あっ、そうなの? じゃあ、折角だから混ぜてもらおうかな。時間と場所は後でメールするよ 」
福重は一瞬圧倒されたような表情を見せたが、すぐにいつもの爽やかさを取り戻すと、エレベーターホールへと消えていく。
美波はその一連のやりとりに、暫く開いた口が塞がらないのだった。