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胡瓜にくびったけ!  作者: 高城 蓉理
第一話 夜更けに沁みる博多うどん
3/31

◆◆◆




 高取家には、河童の一族と代々続く不思議な縁がある。

 

 遥か昔、この地域がまだ干潟で 海岸線が今よりもずっと近くにあった頃、ご先祖さまは目の前に広がる博多湾に漁に出て生計を立てていた。

 そんな とある時化(しけ)の日に 事件は起きた。細かな経緯は省略するが、ご先祖さまは大海原のド真ん中で 河童と酒にまつわる契約を交わしたのだそうだ。


 その約束の中身は 非常に単純だ。

 高取家は 定期的に河童の里に酒を提供する。その返礼に、河童は高取家が未来永劫繁栄するようにと、子宝に恵まれる度に 里から従者を送り出すという内容だった。従者の任期は 子どもが成人し婚姻をするまで。その間は寝食を共にし、必要があれば用心棒としてお守りする。

 そして何故かその不要不急な慣習は数百年に渡り、脈々かつ淡々と受け継がれていて、今日においても途絶えることなく続いている。という顛末が、現状の美波と正臣の関係性だった。



「おはよう 」


「おはよう。珍しいな、一人で起きてくるなんて 」


「……正臣って、いつも一言余計だよね 」


「事実を述べたまでだけどな 」


 美波はボサボサに乱れた髪に手櫛を通すと、ギロリと正臣を一瞥(いちべつ)する。でも一方の正臣は、そんなことには一切お構いはないようで、朝刊を眺めながらコーヒーと胡瓜を嗜んでいた。


「っていうかさ 」


「……何だよ 」


「正臣は毎日毎日、胡瓜ばっかり食べてて飽きないの? 」


「はあ? 」


「だって、胡瓜とコーヒーって、組み合わせが滅茶苦茶じゃない 」


「美波はさ、ご飯と味噌汁に飽きたことはあるか? 」


「そんな経験は…… ないけど 」


「俺にとっては 胡瓜は主食だからな。お前さんらにとっての米と同じだよ。それに朝はコーヒーを飲まないと、身体がシャキッとしないんだよ 」


 正臣は面倒臭そうな表情を浮かべながらも 律儀な回答を並べると、シャリシャリと大きな音を立てながら胡瓜を咀嚼する。高取家の食卓には、昔から胡瓜が籠いっぱいに盛られていて、それが途切れたことは一度もない。正臣の生まれ故郷から毎週直送されてくるこの時期の夏物は、特に瑞々しさと甘さが増した天下一品の上物だった。


「で、美波は朝飯はどうする? 」


「胡瓜以外 」


「そんなことは分かってるよ。卵は何がいいんだ? 」


「……目玉焼き。半熟がいい 」


「はいはい。じゃあ、先に顔でも洗っとけ 」


「ありがとう 」


「どういたしまして 」


 正臣は食べかけの胡瓜を無理やり口に捩じ込むと、直ぐに台所へと向かう。既に雪平鍋には 飛魚(あご)出汁の効いた麦味噌仕立ての御味御付(おみおつけ)が用意されていて、炊飯器からは炊き立てご飯のいい香りが漂っていた。


 上げ膳据え膳状態で、毎日のように温かい朝食が頂けるのが贅沢だとは思う。美波はフカフカのタオルで顔を拭いながら食卓につくと、手を合わせてテーブルに広がる朝御飯に箸を付けた。


「んっ。この卵、黄身の味が濃くて美味しいね 」


「そうか。それは良かったな。昨日、隣の研究室の後輩からお裾分けしてもらってな。飼料に拘った卵らしいよ 」


「そうなんだ 」


 美波は少しばかり行儀が悪いことは自覚しつつも、目玉焼きをお茶碗の上に乗せると 茶さじ半分の柚子胡椒を添える。ピリッと辛い中にある 程よい塩味と、鼻に抜けていく柚子の香りが、卵のクリーミーさと良く合うのだ。


「ところで美波。今日は何時に帰ってくる? 」


「えっ? もしかして正臣は、夜はいないの? 」


「ああ…… っていうか、妙に嬉しそうだな 」


「いやっ、そんなことはないけど。もしかして正臣はデートとかでしょ? 」


「それなら、いいんだけどな。生憎、俺は毎日毎日手の掛かる美波(お姫様)の面倒で手一杯だよ。今日は午後から調査で若松(北九州)に行くんだ。帰りは明日の昼過ぎになる 」


「なーんだ。でも、それなら丁度良かった 」


「えっ?  」


「私も今日は、夜まで会議があるから 」


「会議? 」


「うん。私も事情はよくわからないんだけど、ロシア支社とリモート会議をするんだって。原料の高騰が続いてるから、その対策会議でね。その代わりに明日は午後からの出社だけど 」


「そうか。新入社員にも容赦のない会社だな 」


「まあね。でも将来的なことを考えると、社内に顔を売っとくのも悪くはないかなと思って 」


「今からそんなに根詰めて働いてたら、婚期は遠退く一方だな 」


「んっ? 今、何て言った? 」


「美波は仕事熱心だなって、呟いただけだよ。つーか、今日はヒールは低い靴にしとけ。あと、傷には忘れずに薬を塗っておけよ 」


「そのくらい、わかってるってば。いつまでも子ども扱いしないでよね 」


 美波はムスっと口を尖らせると、逃げるように席を立つ。頻繁に言われる「嫁に行け」の台詞には飽き飽きしているけど、正臣の立場を考えると無下にも出来なかった。




 正臣は美波の従者で、彼女の物心が付く前から一緒に暮らしている。

 といっても、実態としては血の繋がらない家族みたいなもので、主従関係は形骸化しているといっても過言ではない。現に美波の両親は、正臣を実子同然に扱っていて、彼が#十__とう__#で高取家に来てからは生活の面倒はもちろん、修士課程までの学費は全て負担していたし、扱いとしても親戚の子どもを預かるような状態だった。

 そんな事情もあり、数年前に美波の両親が東京に転居してからは この福岡の地で二人で暮らしている。掃除洗濯、食事やゴミ出し、光熱費の管理などの一般的な家事は正臣が担当しているが、それも主従というよりは、あくまでも日常生活の範疇だった。


 妙齢の男女が変な気を起こすこともなく、同居生活を成立させるには、それなりの経緯はある。

 でも……

 伝承だか習わしだか知らないけど、こちらは物心が付いてから、ずっとビジネス過保護みたいな扱いを受け続けているのだ。美波としては正直ウンザリな部分もあるのだけど、正臣はそれが使命なのだから仕方がない。

 河童が従者とて使える任期は、高取家の子どもが【婚姻をするまで】と決められている。その証として、美波と正臣の首筋には、彼女のへその緒を切ったときの臍帯血で刻まれた 契約の印が彫られているのだ。美波がお嫁に行くまでは、この印はまるで刺青のように 鮮血の如く発色し続ける。何ともお伽噺のような現実だ。 


 正臣は二十年以上 美波のお世話係みたいな役回りだけど、とうに三十路を越えた年頃だし、じゃじゃ馬の面倒事から解放されたいのが本音だろう。だけど特にここ数年「嫁に行け」の殺し文句を毎日のように食らっている、こちらの身にもなって欲しいものだ。

 

 美波はモヤモヤした気持ちを押し込むように 引戸をピシャリと閉めると、西新駅へと急ぐ。地下鉄に揺られてからは十分ほど。博多の駅前の再開発で建てられた高層ビル軍の一角が 美波の勤め先だった。



 まるでお日様と雲の隙間に 吸い込まれていくようだ……

 エレベーターで眼下に望む福岡の街は、商業地と住宅街が入り交じり複雑な風景が広がっている。

 博多港の西側には、美波が暮らす西新の街をはっきりと拝むことができて、庶民の台所でもある長い商店街は隣駅の藤崎地区まで続いている。そして百道(ももち)地区に広がる学園都市の向こうには、四半世紀前以上に埋め立てで造られた、シーサイドももちウォーターフロント開発地区が広がるのだ。この地域には新たなシンボルになった福岡タワーを筆頭に、福岡市総合図書館、福岡市博物館などのほか、報道や情報関連企業、高層オフィスやマンションが立ち並ぶ。シーサイドももちの海浜公園には、レストランや結婚式場、マリンスポーツのショップなどがあり、都会的な賑わいのあるビーチスポットになっている。その米粒のような風景の中から、毎日のように自宅を探してしまう癖は、社会人三ヶ月目に入った今でも抜けきれてはいなかった。


 美波は一番乗りでオフィスに到着すると、蛍光灯のスイッチを押して、コーヒーポットを洗浄する。コピー用紙の補充が完了する頃には、続々と先輩社員が出社してくるのだった。

 

「高取さん、おはよう。今日も早いね 」


「あっ、福重(ふくしげ)さん。おはようございます 」


 頭上から声を掛けられ、美波は思わず立ち上がる。声を掛けてきたのは、先輩社員の福重で 今日も相変わらず爽やかさを振り撒いていた。朝からスーツをピシッと着こなす彼は、社歴としては新卒の五年目で 部の中では美波に次ぐ若手社員でもある。


「……高取さん、歩き方がぎこちないけど大丈夫? 」


「えっ? あはは。実は昨日、ちょっと足を痛めまして 」


「そうなんだ。それは大変だったね。って、んっ? 何だかこの辺り一帯が、薬草みたいな匂いがするような? 」


「あっ、そうですかね? えっとぉ…… さっき皆さんが来る前に、私がデトックスに効くハーブティーを飲んだんですよね。きっとそれのせいかもしれません 」


「……? 」


 美波は自分でも理解し難い嘘八百を並べると、苦笑いを浮かべる。まさか河童の里の秘薬(よく分からない薬草)を傷に塗りたくっているなどとは言えないし、そもそもそんな江戸時代みたいな話が通じるわけもなかった。


「あっ、そうだ! 福重さん、実は向こうの複合機なんですけど、トナー交換のサインが出てしまいまして。お時間があるときで構わないので、替え方を教えて頂いてもいいですか? 」


「ああ。それは構わないけど。打刻をしてくるから、少しだけ待ってて貰ってもいい? ジャケットも脱ぎたいし」


「ええ、それはもちろんです。はい…… 」


 美波は作りか笑顔を浮かべて福重を見送ると、一目散にトイレへと駆け込む。個室に籠るなり秘薬の上から絆創膏を貼ると、常備している制汗剤を吹き付けた。

 河童(の末裔)と同居していることなど、バレるなんてあり得ない。妖怪など この現代にいるなんて誰も思っていないのだから、感づかれることなどないはずなのに、怪しい芽は直ぐにでも摘み取ってしまいたくなる。でも何よりも一番バレたくないのは、()()()()()()()()という事実なのだ。


 美波は呼吸を整えると、首筋を押さえる。

 この良くわからない因果から解放されるには、お嫁に行けばいいだけなのに、今まで好きになった人など一人もいない。それにせっかく第一志望の会社に就職したのだから、もう少し社会人を頑張りたいのだ。


 身バレだけは、絶対に避けなくては……

 美波はそう決意を新たにすると、再びオフィスへと戻るのだった。

 





 

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