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今日のお月さまは、半月か……
美波は湯浴みを終えると、再び縁側から外の景色を眺めていた。集落にはポツリポツリと明かりが点り、まるで家族の団欒が聞こえてきそうな暖かさがある。一方で この部屋には 天蓋付きの大きな敷き布団が一枚あるだけで、テレビも時計もないから 今が何時なのかも まるで分からない。でも不思議と時間が経つのはあっという間で、頭から考え事が尽きることはなかった。
儀式とやらをするのは、夜だと聞いてはいるけれど、それの準備が行われる気配は微塵もない。それでも生まれたときから一緒に歩んできた契約の印が消えてしまうのは、やっぱり実感は沸かないものだ。
流子さんは『時間になったら従者が部屋に参ります 』と言っていたけど、それが本当ならば 間もなく正臣と顔を会わせなければならない。
気まずい。
顔を会わせたら、最初に何を話そうか……
美波は色んなことを考えながら首筋に手をやると、ふっと息を吐く。言いたいことは沢山あるのに、面と向かったら上手く言葉に乗せる自信がない。
でもやっぱり……
自分の気持ちは、何としても絶対に伝えなくてはならないと思っていた。
「……美波さま 」
「えっ? 」
襖が開く音がして、美波は後ろを振り向いた。
そこには同じく白装束を身につけた正臣が立っていて、こちらを静かに見つめている。月明かりを受けた玉虫色の髪の毛は月虹のような光を放ち、ああ 正臣はやっぱり河童の末裔なのだと意識せざるを得なかった。
「何で、私のことを美波さまって呼ぶの? 」
「…… 」
正臣は美波の問いには応えずに、静かに下を向いている。美波は居たたまれなくなって、思わず部屋の真ん中の辺りまで駆け寄ると、正臣の両腕に手を掛けていた。
「美波さまとの儀式のために 参りました 」
「何で? 何で…… 美波さまを止めてくれないの? 」
美波は正臣の胸元に顔を埋めると、嗚咽を堪えるように身体を震わせて泣いていた。正臣もさすがに この美波の動揺っぷりには参ったようだったが、それでも その背中を抱くわけにはいかない。正臣は神妙な面持ちのまま、ゆっくりと美波を自分から引き剥がす。そしてその場で片膝を付くと、美波の指先に接吻をした。
「ちょっ 」
美波は突然の正臣の行動に、思わず顔を赤くする。もう何が何やら、美波には状況の把握が完全に追い付かないでいた。
「河田正臣は 美波さまのことを、ずっと前より 心からお慕い申しております 」
「えっ? 」
「だから主人に邪な気持ちを抱いてしまった以上、従者としてのけじめが必要だと思いました 」
「…… 」
正臣が私のことを好きだと言っている……
にわかに信じられない話だけど、正臣が冗談でそんなことを言うはずがない。
美波はその場でゆっくりと腰を下ろすと、再び目に一杯の涙を浮かべる。そしてその手を正臣の背中に回すと、呼吸を整えながら こう囁いた。
「お願いだから、美波さまは止めて。それに敬語も使わないで。美波は まだお嫁に行ってないのに、約束を破るなんて酷いじゃない 」
「でも 」
「私は、ただの正臣と話がしたいだけなの 」
「美波 」
ああ、やっぱり自分は美波には勝てない……
正臣は観念した様子を見せると、敬語を使うのを止めて、美波の背中に手を回していた。
「分かった。分かったから、もう泣くな 」
「でも…… 」
「ったく。こっちには立場があるんだよ。人が全力で想いを告げてるのに、少しは俺の身にもなってくれ 」
「えっ? 」
「お前は俺のことが大嫌いかもしれないけどな、あいにく俺はそうじゃないんだ 」
「なっ、ちょっ 」
正臣は美波を軽々と抱き上げると、布団の上まで移動させる。そして美波を座らせると、手を取って こう話を続けた。
「だから俺はこれからお前を抱く 」
「えっ? あっ、ちょっ…… 」
正臣は美波の許諾もそこそこに、一方的に美波を布団に寝かしつけると、その上を覆うような形になる。でも美波は どうしてそんな結論になったのかが全く理解が出来なくて、正臣の目を見るしかなかった。
「主人が破瓜を迎えれば、もう俺はお役御免だ。俺以外とすれば、そいつとしか縁は契れない。女にとっては大切な初めてを好きな奴と出来ないのは気の毒だけど、一回だけだ 」
「…… 」
「契約の印さえなければ、お前は好きに恋愛が出来る。そうしたらお前は自由だ。美波はもう俺なんかがいなくても、立派な大人だ 」
「正臣は、それでいいの? 」
「俺はお前をどこにやっても、恥ずかしくない。そう育てたつもりだ。美波は十分に自立してる 」
「…… 」
「悪い。他に方法がないんだ。記憶をなくす匂い玉も準備はしてある。俺のことなんて忘れてしまって構わない。本当に謝っても謝りきれないけど、俺の身勝手な願いを聞き入れて欲しい。お前が誰かのものになる瞬間を、俺はどうしても受け入れたくないんだ 」
「…… 」
背中に引っ付いた布団が 冷たくてひんやりする。
そっか。やっと分かった……
正臣が耐えられないって言ってたのは、私が誰かのお嫁さんになる瞬間を見届けたくないってことだったんだね。
でも、嫌よ……
正臣と他人になるなんて。
それに正臣のことを忘れてしまうのも、離れ離れになるのも、そんなことは絶対に許さないんだから。
「正臣は私のことが好き? 」
「……何で、また そんなことを聞くんだよ。今、言ったばっかりだろ? 」
「…… 」
「好きに決まってるだろ。好きじゃなかったら、二十年も一緒にいるわけがないだろ。このバカ美波、何でも言わせやがって 」
「…… 」
美波は一連の正臣の想いを受け止めると、正臣の身体にしがみついて、布団から起き上がる。そして正臣と向き合うと、その手を静かに掴んだ。
「私の心のなかは、多分 昔からずっと決まってたんだと思う 」
「…… 」
「だからね、私は正臣とはしない 」
「ハッ? お前、何を言って…… 」
「私は、本当はお嫁になんて行きたくない。正臣の他に好きな人なんていない 」
「えっ……? 」
「私は、多分 ずっとずっと小さい頃から…… 正臣のことが 好きだった。ずっとずっと気付かないふりをして、ずっとずっと本当の気持ちに蓋をして、ずっとずっと自分の中で秘密にしていたの 」
「…… 」
「私は…… 私は、正臣を幸せにしてあげられる確信はないけど、私は正臣がいないと幸せになれない。それなのに毎日のように 嫁に行けとか言われるし、本当は嫌で嫌で仕方がなかったんだから 」
美波は頭に浮かんだ思いの丈を全てぶつけると、またワンワンと泣き出して 正臣にしがみついた。
正臣は思いがけない美波の言葉に数々に身体を硬直させたが、美波の背中に腕をやると、ぎゅっと抱き締める。何の罪悪感もなく美波と抱き合うのは、これがきっと初めての経験だった。
「言っとくけどな、俺は一度も お前に嫁に行けなんて言ったことはないからな 」
「はっ? 」
「確かにな、嫁に行って貰わないと困るとか、婚期が遅れるとか言ったことはあるけど、嫁に行けなんて言ったことは一度もない 」
「ハア? 」
「当たり前だろ? お前が他人と家族になるところなんて、俺が見たい訳なんかないだろ 」
「……それって 」
「そのままの意味だよ。悪かったな、迷惑な従者で 」
正臣は美波から恥ずかしそうに顔を背けると、少しだけ目に浮かんだ何かを静かに拭う。すると美波は正臣の顔に手を添えて、こちらを向けといんばかりに方向転換を促した。
「……美波? 」
「嫌よ。私は正臣のことを忘れたくないし、誰かのお嫁になんて行かない。勿論、この場で正臣と閨を共にするなんてお断りなんだから。正臣が変なことを言い出すなら、永遠に純潔のままで、契約の印で一生縛り付けてやるっ 」
「おいっ、ちょっ、ちょい、待って 」
「私はずっとずっと正臣と一緒にいたい。正臣と本当の家族になりたい。だから…… お願いだから、私の前からいなくならないで 」
「…… 」
『俺は従者なんだけど 』とか『主人と添い遂げる従者が何処にいる 』とか、一応あらゆる言葉は考えてみたけど、正臣にそんなことを口に出来る余力は残ってはいなかった。
どちらかといえば、この手を一生離したくないとか、ずっと一緒にいたいとか、そんな感情が頭の中でぐるぐる駆け巡る。
ずっと口に出せなかった本当の気持ちは、声に出してしまうと想像よりも清々しくて、心が晴れていくような充実感があった。
「……それはこっちの台詞だよ。覚悟しとけ、美波。言っただろ、美波が望む限りは俺は永遠にお前のものだよ 」
「……うん 」
正臣と美波は気持ちを確かめ合うようにコツリと額をぶつけ合うと、今一度 目と目を見つめ合う。
そして互いに瞳を瞑ったとき、バタンっッと襖が開く音が響いた。
「これで一件落着だなーっッ。良かった、良かった 」
「「えっっッ? 」」
「ぢょっッッッッッッ!! 親父にお袋!? それに旦那様と奥さままでっっ!!!! 」
「えっ? パパにママ!? それに一臣おじ様におば様!? 」
美波と正臣は直ぐ様 距離を取るが、時は既に遅かった。開かれた扉の向こうでは、互いの両親が手を取り合間い「良かったね 」「おめでとう 」と、呑気に祝福の言葉を口にしている。
二人は思わず顔をカッッッーと真っ赤に染めると、正座をして両親に向き直った。
「ゲッッっ。どこから…… 聞いてたんだ? 」
「どこからって言われてもね。美波さま(ハート)の辺りからかな? 」
「そうね。お前を抱くとか、俺は永遠にお前のものだよ、も良かったけどね 」
「それを言うなら、美波さまのずっとずっと好きだったの下りも、凄く響いたわ 」
「オ゛イっっッッッ。それって、一番最初からじゃないか!? って、全部? 全部っッ聞いてたのっッ!? 」
正臣はあまりの衝撃に頭を抱えると、その場で項垂れるように力尽きる。渾身の愛の言葉が他人に聞かれただけでも恥ずかしいのに、それが互いの両親ともなれば、この三十二年の人生の中で もっとも厳しい出来事になるのは間違いなしな案件だった。
「だいたいな、正臣。冷静に考えてみろ。契約の印をチャラにする方法なんて、あるわけないだろ。そんなことが出来るなら、こんな風習は俺らの代で終わらせてたよ。
でもまあ、この場で二人がヤリ始めちまったら、どちらにせよ婚姻は成立だったからな。双方の合意がないまま事に及び始めてたら、二人とも一生が大変なことになるところだったから、ヒヤヒヤしたぞ 」
「「ハアッっっー? 」」
聞いていた話とまるで違うし、何だか無茶苦茶過ぎる荒療治ではないか……
正臣と美波は、穴があったら一刻も早く入りたい気持ちで一杯になっていた。
「っていうか、正臣! あんたがハッキリしないから、恥ずかしいやり取りを全部ママたちに聞かれちゃったじゃないっっ。どうしてくれんのっッ! 」
「なっ、美波が俺のことを嫌いだとか言うから、こんなことになったんだろ? 責任はイーブンだっッ! 」
二人がヤンヤン言い合う光景を、両親たちは にこやかな表情で見守っていた。ただ、美波の父に関しては複雑な表情を浮かべていたので、美波の母がすかさず「美波が正臣くんを選んだなら文句は言えないでしょ?」とフォローを入れていた。
「じゃあ、後は若者同士で 好きにしなさい 」
「ちょっ 」
「美波は暫く夏休みなんでしょ? 今のうちに、正臣くんと親睦を深めておきなさいね 」
「なっっ! 昨日の今日で、いきなり親睦なんて深めないしっ 」
両親たちは 一連のちゃかし文句を伝えると、一人二人と退散していく。美波はともかく、耳と鼻が発達している正臣も その存在には気がつかなかったのだから、両親たちの用意周到な盗聴振りには 天晴れとしか言いようがないような気がした。
「あっ、正臣くんに最後に一つだけ。美波が ちゃーんと家に帰れるように、正臣くんは責任を取るのよ 」
「はい? 」
「頭に血が昇ってたんだろうけど、帰りのことを考えてなかったのね。未婚の人間は里の出入りは出来ないんだから、ちゃんと対応しなさいよ。また変な薬とか酒に頼ったりしたら、ママは許さないんだから 」
「あっ…… 」
「さてと。ママたちも、もう酔いが回って仕方ないから寝るわね。河童の里のお酒は美味しいわね。やっぱり水のせいかしら? 」
「ちょっッッッ、ママ 」
美波の母は言いたいことをぶちまけると、ばいばーいといって襖を閉める。そして心張り棒が掛けられたような鈍い音が響くと、戸は全く動かなくなっていた。
正臣と美波は唖然として、閉ざされた襖を見つめる。
そして二人で今一度 目が合うと、込み上げるものを堪えるようにクスクスと笑い始めた。
「ったく、うちの両親たちは馬鹿なのか? つーか、奥様と旦那さまは いつ福岡に戻ってきたんだ? 」
「うん。私もそれは全然 知らなかった 」
ああ、何だか凄く疲れた。
でも、何だか凄く幸せだ。
今がいったい何時なのかは やっぱり良く分からないけど、今日からは良い夢が見られるような気がした。
「美波 」
「何? 」
「……今日はもう寝るか 」
「えっ? 一緒に寝るのっ!? 」
「お前は俺を床に寝かせるつもりなのか? 」
「違っ、そういう意味じゃなくて 」
いきなり一緒に寝るなんて、恥ずかしいじゃない……
美波は正臣に言われるがままに布団に入ると、自分の心臓に手をやる。鼓動の早さは、人生最高潮の高鳴りになっていた。
「ねえ、正臣 」
「何? 」
「続きは…… するの? 」
「しないだろ 」
「そうだね 」
二人は中身のない言葉を交わすと、どちらからでもなく手を繋ぐ。
変温動物なはずなのに、正臣の掌は妙に熱っぽい。
もしかしたら妖怪の血がいっぱい流れてるのかなと思ったけど、それは自分の熱が移っただけだと気付いたとき、急に物凄く恥ずかしくなった。
「…… 」
「…… 」
そういえば 恋愛は一人でするものじゃないから、初心者ならば相手に任せておけば良いって、誰かさんが言ってたっけ。
美波は暫くの間 正臣のことを見つめると、正臣もその意思を確認するように 繋いだ手に そっと力をこめる。
天蓋付きのお布団なんて、なんてロマンチックなんだろう。そっか、私は一応 ここでは人間の世界のお姫様で、正臣は河童の従者で この里の跡取り候補なんだっけ。
私は これから 未知なる世界に足を進める。でも平気。私は一人ではないし、きっと心も身体も幸せで満たされる。
美波はゆっくりと正臣に身体を委ねると、正臣もそれに呼応するように、美波の髪の毛に手を掛けた。
触れられた指先が 擽ったくてドキドキする。
契約の印が、燃えるように熱くて、自分のものとは思えない甘い吐息が漏れてしまう。
そして二人は静かに瞳を閉じると、呼吸が苦しくなるくらいの長い長い口付けを交わしたのだった。
次回は早朝に最終回まで投稿します




