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「えっと、瓶ビールを二本と、胡瓜天を三つ。それから油揚げ天も三つ 。正臣は他には何か頼むか? 」
「いや、取り敢えずはそれだけで 」
狐太郎と正臣は 必然的に単価が安いものばかりを注文すると、年季の入った 丸椅子に腰かける。店内には安定感のあるテーブルが広がり、ショーケースには新鮮な天麩羅の具材が並んでいた。博多の屋台は暖簾を潜ってしまえば、まるで屋外にあることを忘れてしまうような快適さがあるのだった。
その晩、正臣は河童の里から戻るなり、狐太郎を天神の新富孝通りにある屋台に呼び出していた。
妖怪の末裔たちが御用達の この天麩羅の屋台は、リクエストをすれば大抵のものは揚げてくれる。油揚げ天なんて、もはや揚げ物オン揚げ物だけど、好きなものは好きなのだから仕方がない。福岡の市民は天麩羅が大好きで、屋台でも気軽に楽しめるソールフードの一つだった。
「で、込み入った話があるって何なんだよ。それなら狐雁庵の個室を取ったのに。正臣は そんなに天麩羅が食いたかったのか? 」
「もう、お前の店ではサシでは会わないっ。この前は不必要に醜態を晒すは羽目になって、えらい目に遭ったからな 」
「だから、それはきちんと埋め合わせをするって言ってるだろ? 見た目も元に戻ったみたいだし、身体は大丈夫なのか? 」
「身体は、もう大丈夫だよ 」
「じゃあ、心は穏やかではないんだな? 」
「なっ、別にそういう訳じゃない。今は気持ちとしては落ち着いてるし、気分も安定はしてると思う 」
「まあ、愛しの美波ちゃんに看病をして貰えたなら、癒されるだろうな。良かったじゃないか。手料理まで振る舞われたんだろ? 」
「なっっ 」
正臣は思わず言葉に詰まると、それを誤魔化すようにビールを煽る。狐太郎と蘭の協力体制は驚くほどに強固で、あらゆるプライベートが筒抜け状態なのは参るしかない。
「もういい加減に諦めろよ。正臣も今後の方向性を考えた方がいいと思うけどな? 」
「…… 」
「いつまで しらばっくれてるつもりかは知らないけど、いい加減に不健康だろ。そろそろ、ハッキリさせた方がいいんじゃないの? 」
狐太郎はあっという間に油揚げの天麩羅を食べきると、間髪入れずに追加分をオーダーする。そしてビールのお代わりを受け取ると、息をするように飲み進めた。
「あのさ、狐太郎。この前、俺は やっと気が付いたことがあるんだ 」
「へー 何に? 」
「……どうやら俺にとって、美波は大切な女だってことらしい 」
「ブブッッっーーー!! 」
「ハア? 何で…… そんなに驚くんだ? お前だって、その前提で ずっと話をしていただろう? っていうか、大丈夫か? 」
「ゴホゴホっッ。フザケンナヨっっ。大丈夫な訳がないだろ? そんなに重要なことを、さらっとブッ込むな。ビールが全部 気管に入っちまったじゃないか。ゴホゴホっッ 」
正臣は咳き込む狐太郎の背中を擦ると、お絞りでテーブルの体裁を整える。狐太郎は かなり驚いたようで、顔を真っ赤にして咳き込んでいた。
「で、どうするんだよ? 美波ちゃんに何て伝えるんだ? 」
「ハア? 」
「ハア? はこっちの台詞だよっッ。お前 まさか美波ちゃんに気持ちを伝えないつもりなのか? 」
「当たり前だろ。俺は従者だ。主人にそんなことを言って良いわけがないがないだろう 」
「おいおい 」
「だから…… 契約の印を解くことにした 」
「なっ、ちょっ、いきなりそれは いくらなんでも 話が開幕戦から一気にクライマックスシリーズに突入してないか? つーか、関係各所は、どうやって説得するんだよ? 」
「それは真摯に説得する。っていうか、うちの両親の了解は貰った。それに印がなくてもアイツが嫁に行くまでは 従者は続ける。高取のご両親には、それで理解をして貰うしかない 」
「ハア? じゃあ、何で契約の印を消すんだよ? それがあるから、美波ちゃんのことを全力で守ってやれるんだろ? つーか、そんなことが出来るの? 」
「親父に聞いたら、方法はなくはないって言われた 」
「なくはないて何なんだよ…… あのさ、そもそもお前はなんで、そんなに契約の印に拘るんだ? 」
「…… 」
正臣は狐太郎のストレートな質問に息を飲むと、頭を下げる。そしてゆっくりを口を開くと、こう話を続けた。
「契約の印が刻まれている限りは…… 分かるんだよ 」
「分かる? 」
「契約の印は血の契約だから。アイツが他人のものになる瞬間が、否が応でも俺の中に流れてくる。本当に情けない話だけど、今の俺にはそれが普通に耐えられないと思う 」
「なっ…… 」
狐太郎は想像を絶する回答に、思わず黙り込む。好きな女が他人のものになるだけでも地獄なのに、その瞬間を見届けるようなことになれば酷過ぎる。言葉で聞いただけでもおぞましいのに、それを想像するだけで絶望感しか抱けなかった。
「それに 契約の印がなければ、アイツは自由だ。いくらなんでも この令和のご時世に、もう少し自由に恋愛をさせてやらないと、可哀想だとは思ってる 」
「で? お前は俺に何をさせるつもりなんだ? 内容によっちゃ、俺は一切荷担しないからな 」
幸い屋台に他の客はいないので、多少の突っ込んだ会話をしても問題はない。ただ さすがの狐太郎も想像以上の告白を受けて、言葉がタジタジになっていた。
「匂い玉…… 」
「匂い玉? 」
「狐妖術で作れる全ての種類の匂い玉をよこせ。人間だけに効果があるやつをだ。それで先日の埋め合わせプラス上乗せで、ギャラは弾ませる 」
「なっ、そんなことのために匂い玉を渡せるわけがないだろ? お前、まさか非人道的なやり方で、美波ちゃんを騙すつもりじゃないだろうな 」
「そんなことはしない。美波の了承がなければ、契約の解除は出来ない。
どちらにせよ 河童の里には、未婚の人間は意識のある状態では連れて入ることが出来ないんだ。美波の許可を得ない限りは使わない 」
「本当に本当だな? 」
「……ああ 」
狐太郎は正臣の返事を聞くと、腕を組んで考え込む。今まで三十数年生きてきた中でも、これはかなりの難問で、他人のために頭を悩ますなど、そうそうはないことのような気がした。
「……俺は従者ってシステムは良く分からない。だから正臣の気持ちなんて正直よく分からないし、分かりたくもないね 」
「狐太郎…… 」
「少し考えさせてくれ。素面で真剣に考えるから 」
「分かった。それと、このことは蘭ちゃんには 」
「当たり前だろ。そんなことを聞いたら、蘭ちゃんは泣くに決まってるからな 」
狐太郎はグラスに残ったビールを一気に飲み干すと、まとめて店の勘定を申し出る。取り敢えず一刻も早くシャワーを浴びて酒を抜きたい。狐太郎は そんな気持ちでいっぱいになっていた。




