表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
胡瓜にくびったけ!  作者: 高城 蓉理
第四話 天麩羅とがめ煮の複雑な胸中
19/31

◆◆◆



 日本全土にあらゆる言い伝えがあって、妖というのは常に畏怖の対象だった。

 現代においては そもそも妖怪が実在すると信じている人は殆どいないけど、妖怪は人間の世界に順応し その存在を細々と繋いでいる。


 正臣は河童の末裔だ。

 正臣の家系は所々で人間と婚姻しているから、純粋な妖怪ではないけれど、その能力の一部はしっかりと受け継いでいる。


 そもそも河童というのは 水辺に暮らす生き物で、九州を中心に全国各地に分布している。

 伝承によると、河童の体格は子どものようで、全身は緑色や赤色の皮膚に覆われている。頭頂部には皿を携えていて、万が一 乾いたり割れたりすると 力を失ったり、死んでしまうのだそうだ。口には短い嘴を要し、背中には亀のような甲羅、手足には水掻きがあるとする場合が多く、肛門は三つあるらしい……

 とは言うものの、正臣がご先祖様から受け継いだ特性は あまり多くはない。

 身体の所々には深緑の毛と斑点があるけれど、それは妖怪の血が強くなったときに濃くなるだけ。それに頭の皿も嘴も甲羅もないし、身体はそのあたりの一般的男性よりも一回り大きい。五感は人間よりも優れていて、泳ぐのも上手。髪の毛が玉虫色で、水掻きがあること以外は 人間とは変わらない。

 

 普段は胡瓜しか食べない偏食家だし、口は悪いし、直ぐに「嫁に行け」とか言うし、鬱陶しくて仕方がない。でも弱っている様子を見ると、こちらまで胸が苦しくなる。


 これから先、正臣がいない人生なんて 想像が出来ない。私はお嫁に何か行かなくても、今のままで充分に満たされているのに、この平穏を手放したくない。


 でも、正臣はどうだろう。

 「頼むからもう、俺の前で大人にならないでくれ」と言われてしまった。

 きっと正臣のなかでは従者としての限界で、さっさと嫁に出して自由になりたいのが本音なのかもしれないと思うと心が痛い。


 正臣に嫌われるのが、こんなに辛いことだとは思ってもみなかった。

 苦しい。

 切ない。

 泣きたい。

 

 もう猶予を求めては いけないのかもしれない。

 必ず私は心身ともに自立してみせる。

 きちんと独り立ちして、正臣を安心させて、まだ見ない誰かのお嫁さんになれるように頑張るよ。

 

 私はようやく、気が付いたの。

 私が本当に好きな人……

 それは…………

 



◆◆◆



 

 霧が濃い。

 視界が霞んで、時折 泥濘に足を取られそうになる。

 ぶっちゃけ今のご時世に、ここまで結界を張る必要があるのかは謎だけど、河童の存在は公にはしていないから仕方がない。


 正臣はバスを降りてから、既に小一時間ほど山の中を歩いていた。

 限界なんて、とっくに越えていた。

 それでも自分の気持ちを騙し騙しやってきたのは、河童の里の従者に選ばれた矜持だけだった。

 

 確か この辺りに 迎えが来てくれると聞いてはいるが、記憶が怪しい。ここは自分の生まれ故郷な筈なのに、帰省する度にお客さん気分が拭え切れなくなっていた。


「正臣くん? 」


「あっ 」


 聞き馴染みのある声が聞こえて、正臣は後方を振り返る。美波よりは一回り背丈が大きいだろうか。玉虫色の髪を結い上げ、普段着に行灯袴を合わせた 女性のシルエットは、自分と同じ匂いがした。


「久し振り。元気だった? 」


「流子……? 」


「里の男手は、みんな胡瓜の収穫で忙しくて。手が空いてるのが私しかいなかったの。正臣くんは 全然 里に帰ってこないから、一瞬 誰だか分からなかったわ。道には迷わなかった? 」


「ああ。なんとか 」


「一歩 里の外に出てしまうと、私たちでも見つけられないときがあるから、気にすることはないわ。私に付いてきて 」


 流子は着物の袖から手を出すと、正臣へと向ける。その白く透き通った手の甲には、自分と同じ水掻きが付いていた。


「いや。手は、その…… 」


「……そう言うと思った。私が正臣くんの許嫁だったときも、結局一回も手は握ってくれなかったもんね 」


「それは 」


「うふふ。冗談よ。私も不必要な誤解はされたくないしね。意地悪を言ってごめんなさい。正臣くん、私はね 一応 赤い帯を締めてきたの。目印にして付いてきてね 」


「……ああ 」


 正臣は流子との後味の悪いやり取りに表情を曇らせると、静かにその後ろ姿を追うことにした。


 晴れない視界の中、ツゲの原生林を横目に 木々の隙間を縫うようにを進んでいく。決して人間も動物も辿り着くことなど出来ない山の奥深くが、正臣の故郷で 本来の居るべき場所だった。

 

「ところで正臣くん。美波さまは、お元気にされてるの? 」


「ああ、元気だよ 」


「そう。それなら良かった。私は美波さまには契約の印の儀式のときにしかお目に掛かったことはないけど、今はご立派に成人を迎えられたと聞いたわ。正臣も鼻高々ね 」


「ああ。そうだな 」


「里はだいぶ変わったわ。高取さまの援助で、天然水のボトリングも機械で出来るようになったし、土壌も良くなって、胡瓜の収穫も年々良くなっているのよ。私たちが健康に暮らせているのは、正臣くんのお陰ね。ありがとう 」


「いや、別に俺は…… 」


 正臣はその辺りの細かい事情に関しては把握をしていないが、河童の里の貴重な現金収入の一つに、高取家からの援助がある。正臣としては、高取家の従者として一緒に暮らしているだけに過ぎない。それなのに里帰りをする度に感謝をされ、腫れ物に触れられるような扱いをされるのは、いつも違和感が拭いきれないでいた。


「……あの、正臣くん。この奥が里の門だから 」


「ああ。ありがとう。流子は先に戻ってて 」


「そうね。水浴びには時間が掛かるだろうし、私たちが二人でいるところは、里の皆には刺激的な光景かもしれないね 」


「…… 」


 河童の里に入るには、身体中に染み付いた人間の匂いを消すために、滝行で清めなくてはならない。それは河童が人間に穢れを感じているからではなくて、ただ単純に妖怪に人間の しかも乙女の色香は 刺激が強いという理由だった。


「あの、正臣くん。……あの時は、ごめんなさい 」


「えっ? 」


「私は本当に身勝手だった 」


「いや、別に。こちらこそ流子には、沢山迷惑を掛けていたし 」


 流子が言う()()()とは、婚約を取り止めた時のことなのだろう。あれ以来、流子には初めて会ったけれど、その表情や言葉は昔とあまり変わらないような気がしていた。


「流子。君は今は幸せなの? 」


「うん 」


「それならお相子だよ 」


「えっ? 」


 正臣はそれ以上には口を噤むと、静かに流子に背を向けた。

 そうだ。自分としては、むしろ足枷がない方が 色々と好都合だった。選ばなかった過去の未来が今ならば、結果として自分の気持ちに首を絞めることにはなったけれど、後悔の二文字は正臣には存在しなかった。

 

 水を浴び終えた正臣は 背の高い門扉を潜ると、里の風景に目をやった。石垣の中は 一転して空気は乾き、これでもかと言わんばかりに 陽射しが降り注いでいた。

 河童の里の中は、結界を施した上に 周辺を石垣で囲うような構造になっている。里の中では皆、昔ながらの瓦屋根の木造家屋に暮らし、畑を耕し胡瓜を自給自足しているのだ。


「あっ、正臣さまが お戻りになってる 」

「まあ、相変わらず素敵な佇まいね。格好が良いわ 」

「やっぱり都会暮らしは洗練されてる感じね 」


「…… 」


 全部、筒抜け状態で聞こえてるんだけどな……


 正臣の帰省の噂が既に広まっていたようで、いつの間にか里中の河童が 物珍しさに 何処からともなく集まっていた。正臣はその黄色い声援を無理やり会釈で乗り切ると、いたたまれない気持ちになる。


 自分は全然 素敵でも何でもない。

 むしろ今回は、にっちもさっちもいかなくて、後ろめたい理由で帰郷したのだ。 この歪んだ自分の思考回路を里の河童たちに知られたら、間違いなく幻滅されるだろう。


 正臣は里の中で少し小高い場所にある実家に向かうと、恐る恐る中へ入る。自分の家なはずなのに、無駄に緊張しなくてはならないのは、小さい頃に親元を離れたせいだと 心の中で言い聞かせた。


「……親父、ただいま 」


「おう、正臣。帰ってきたか。遥々 山奥まで 疲れただろう。何か飲むか? 」


「いや、酒はいい。夜には市内に戻る 」


「そうか。では、茶でも用意するか。悪いな、母さんは胡瓜の収穫で外に出てるんだ。少し待ってろ 」


「いや、俺こそ忙しいときに急に帰ってきて ごめん 」


「別に気にしないでいい。お前は見知らぬ場所で、一人でこの里の経済を支えているんだ。役割を誇りに思え。それに息子が顔を出してくれて、親としては単純に嬉しいよ 」


 正臣の父、一臣はそう言うと、部屋の隅にある電気ポットから胡瓜茶を注ぐ。河童の里では胡瓜のつるを煎じて飲む習慣があって、日常使いから客の もてなしまで、幅広く振る舞われる品だった。


「で、正臣。相談事って何なんだ? 」


「ああ。それは…… 」


「おいおい。今日中に帰るなら長居は出来ないんじゃないのか? 本題を先に言え 」


「まあ、それはそうなんだけど 」


「……まあいい。言いづらいなら、それは後回しだ。ところで美波さまは最近はどうだ? もう次の誕生日で二十三になられる。もう十分に適齢期だよな 」


「……それは、どうだろうか 」


「はあ? いい相手がいないのか? 」


「変な奴に見初められたりはしてるけどな。少なくとも、俺が知る限りでは ()()()()が気にしている相手はいないらしい 」


「まあ、美波さまを無事に結婚させて、高取家の繁栄を願うのが我々の務めだろ。そこは従者として正臣もしっかりサポートしてやれよ 」


「……親父、あのさ 」


「何だ? 」


「……契約の印を解消することって、出来るのか? 」


「ハっッ? って、お前は一体 急に何を言い出すんだ? 」


 一臣は驚いたのだろう。

 一瞬 声を荒らげたが、すぐさま落ち着いたトーンで正臣に詰め寄る。正臣としては父のリアクションは想定内だったのか、眉一つ微動だにせずに 背筋を伸ばしていた。


「別に方法がないならいい。今日 俺が親父に聞きたかったのは 、それだけだから。今の質問は忘れてくれ。契約を解除しても 美波さまがお嫁に行くまでは、どちらにしても俺が最後まで面倒を見るつもりではあったし 」


「もしかして、お前まさか…… 」


「…… 」


 一臣は絶句していた。そして呆然として、呼吸を乱している。

 一方の正臣も 口を閉ざしたまま、胡瓜茶の湯気を眺めたままだった。


「正臣…… それは いつからだ? 」


「自分でも、もう よく分からない 」


「そうか 」


 一臣は顔を落とすと それ以上はなにも言わずに、震えを抑えるように胡瓜茶に手を掛けた。


「……怒らないのか? 俺も従者として、物凄く有り得ないことを言っている自覚はある 」


「そんなことを言えるわけがないだろう。一人で苦しかったな。今まで気付いてやれなくて、悪いことをした 」


 一臣は胡瓜茶を一気に飲みきると、新しいものを継ぎ足す。セミの鳴き声が、耳に鬱陶しい程に纏わりついていた。腹の探り合いのような時間は 息苦しくて、冷や汗が溢れ出る。でも もう引き返すことはしないと 心は決めていたのだ。


「別に、親父たちには何の非はないことだよ。全部 俺の自己責任だし、自分でも気持ちが悪くて仕方がない 」


「正臣、そんなに自分を卑下しなくていい 」


「正直なところ、まさか自分が美波…… 美波さまに こんな感情を抱くことになるなんて、思ってもみなかった。だから 苦しいんだと思う 」


「…… 」


 珍しく 契約の印が脈を打っているような気がした。最初はこの印を通して 美波と血を共有しているから、美波が自分の独占物であるような感覚になっているのだと思っていた。

 でも、その気持ちは年々募っていき、美波から学生という肩書きが取れたときには 気持ちはとっくに抑えきれなくなっていた。

 社会人になれば、結婚という単語が一気に美波の現実に引き寄せられる。それをまざまざと見せ付けてられた状態で、美波の門出を従者として送り出すことから 少しでも逃げたかったのだ。 


「正臣 」


「…… 」


「この数百年、契約の印を解消した人間と河童は一人もいないと聞いている 」


「それはそうだよな。ご先祖様は、みんな立派過ぎるんだよ。俺なんか 河童の里に汚点を作るか踏みとどまるかの瀬戸際なのに 」


「まあ、過去の歴史を見ても、異性の主従関係は殆どなかったからな。俺も旦那様は男性だったし、そこを責めるつもりはない 」


 一臣はひとしきり玉虫色の髪をくしゃくしゃと乱すと、特大の溜め息を付く。

 正臣としては親にこんな顔をさせてしまって罪悪感しかなかったけど、もう頼れるのは同じく従者経験者である父をおいてはいなかったのだ。


「……方法は なくはない 」


「えっ? 」


「契約の印を解く方法は なくはない。正臣が本気で美波さまと決別をしたいというなら、美波さまを説得して二人で里に戻ってこい。もちろん高取の旦那さまと奥様の同意を取り付けてな。そうすれば、方法を教えてやる 」


「親父…… 」


「だけどな、正臣。一つだけ覚えておけ。縁を絶つのは簡単ではないぞ 」


「分かってる。俺の決断は、高取家と河童が長年構築してきた信頼を裏切ることになる。里の財政にも影響はあるだろうし、それなりの覚悟は出来ている 」


「……問題はそこじゃない 」


「えっ? 」


「お前自身は、それでいいのか? 」


「それは…… 」


「迷っているくらいなら、契約解除の方法は教えてやることは出来ない。それに美波さまの御意思も無視はできないからな 」


「…… 」


「ぶっちゃけ、俺は契約の印自体は継続しようとしまいと、どっちでもいい 」


「なっ 」


「お前は 美波さまのために 流子との結婚を絶ったのだろ? 」


「それは…… 」


「それならば、九州全土が恐れをなす 河童の里の末裔としてガッツを見せろ 」


「はい? 」


「お前にも俺にも、人間の血脈は入っている。我々は純粋な河童ではないし、我々は人間でもあるんだ。そういうことだ。だからな、それは理由にはならないんだよ 」


「…… 」


 一臣はそう告げると、黙って胡瓜茶を啜っていた。

 ガッツを見せろと言われても、それが出来れば苦労はしない。正臣は言い返す言葉もなく、拳を握りしめるしかなかった。





次回は深夜に投稿します(厳しければ早朝です)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ