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胡瓜にくびったけ!  作者: 高城 蓉理
第三話 初めてのあちゃら漬け
18/31

◆◆◆



 胸騒ぎがした。

 美波が危ないと連絡を受けたときは、本当に生きた心地がしなかった。だから自分に流れる全ての妖力を駆使して、必死に美波の居場所を探した。


 声や匂い、微かに感じる生体反応。

 海が怪しいと思って無我夢中で突撃したときに『正臣は私の家族だ』と美波が振り絞るように言っているのが聞こえてきて、心が揺さぶられた。でも、本人はすっかりそんなことは忘れていると知って、後から心底がっかりした。少しだけ美波の本音に触れられたような気がしていたからだ。


 絶対に見てはいけない 夢を見た。

 美波を手中に収めるなんて、言語道断だし 里の信用を失うし、旦那様と奥さまも裏切ることになる。


 でも潜在的な気持ちを偽ることなど出来ないし、これが本当の自分の答えたのだと思う。従者だからとか、使命だからとか、そんなのはとっくに ただの言い訳になっていたのかもしれない。

 

 だからこそ思う。

 もう、ここらが潮時なのかもしれないと……



◆◆◆



 見慣れた天井には西日が差し込み、一点の影が壁に浮かんでいる。枕の脇には汗をかいた氷嚢が転がっていて、正臣は思わず上体を起こした。 

  

「美波? 」


「正臣…… 少しは良くなった? 」


「ああ。もしかして、ずっとここに居たのか? 」


「ううん。今、戻ってきたところ。河童の常備薬は、見た目が殆ど一緒なんだもん。探すのに手間取っちゃって 」


 美波はそう言うと、サイドテーブルに置いておいたお盆を差し出す。そこにはラップがかかった小鉢と、河童の里の秘薬。それにコップ一杯の水が注がれていた。


「……ありがとう。あの、さっきは悪かった 」


「気にしなくて良いよ。具合が悪いと、余裕もなくなるときはあるだろうし 」


「それは…… 」


 俺に余裕がなくなっているのは お前のせいなんだけど、と正臣は心の中で呟く。でもそれは正臣の一方的な都合なのでグッと言葉を飲み込むと、こう話を続けた 


「俺は一体どうやって家まで帰ってきたんだ? 全く記憶が残っとらん 」


「ああ。正臣のことは、狐太郎さんが連れてきてくれたの 」


 牛車に乗せて、という余計な一言を 美波は寸前で蓋をすると、チラリと正臣の様子を伺う。正臣がどんな反応をするから未知数ではあったけど、意外と冷静に頷くような素振りを見せていた。


「あのクソ狐。今度会ったら、阿蘇のカルデラまで ぶっ飛ばしてやる。……あの アホ狐に、余計なことを話してないだろうな? 」


「……別に。世間話しかしてないけど 」


「そう。それならいい。っていうか、お前は今晩の飯はどうしたの? 」


「私はデリバリーで済ました 」


「ああ、そう 」


 予想通りな美波の返事に、正臣は不思議と安堵を覚える。安定の家事スキルの低さは健在で、逆にそれが安心材料になるなんて、どうかしているとさえ思えた。


「でもね…… 正臣の分は、あちゃら漬けを作った 」


「あちゃら漬け? 」


「うん。さっきママに電話して、作り方を聞いたの。正臣が熱を出したとき、よくママが作ってたでしょ? 一応、レシピ通りに作ったけど、美味しくなかったらごめん 」


「げっッ。奥様に俺が具合が悪いって、言ったのか? 」


「うん。オーバーヒート気味らしいとは言ったけど 」


「なっ…… 」


「疲れが溜まってるみたいだって話したら、あんまり正臣に迷惑を掛けないようにって 釘を刺されちゃった 」


「そう 」


 オーバーヒートなんて言い出したのは、間違いなく狐太郎だろう。もう少しオブラートに包めばいいものを、何て直球な単語を選ぶのだろうか。腹立たしいにも程がある。河童が治ったら、やっぱりアイツは素っ裸にして油揚げで巻いて那珂川に放り込んでやるしかない。

 下ネタに疎い美波はともかく、奥様に勘づかれる可能性は否めない。そうしたら河童の里の従者として、最大級の汚点になるのは間違いなしな案件だった。


「とにかくっ、正臣はキチンと薬を飲まなきゃ 」


「いや。薬を飲んでも、美波…… いや、人間が側にいる限りは治らないから。この手の類いには、効かないんだよ 」


「何、その訳の分からない言い草は? しっかり休養を取らないと、治るものも治らないでしょ。取り敢えず、あちゃら漬けは食べて 」


「おいっ。わかった、わかったから…… 自分で食べるから箸をよこせ 」


「嫌よ。強制執行だもん。はい、口を開けてっ 」


「ちょっ…… 」


 美波は正臣の事情など露知らず、無理矢理 顎を押さえると 口の中に あちゃら漬けを突っ込む。煮立たせた酢の円やかさと 丁度いい塩味の胡瓜が舌の上に広がって、懐かしい味がした。


「旨い…… 」


「そう? それなら良かった 」


 正臣はバリバリと良い音を立てると、ゴクンとあちゃら漬けを飲み込む。相変わらず、美波の放つ独特の色香には参ってはいたけど、自分のために苦手なことに一生懸命に向き合ってくれた姿は 少しだけ嬉しくも感じられた。


「じゃあ、もう少し お腹に食べ物をいれておこう 」


「いや、もう大丈夫だから。俺には構わなくていい。病気を移してもいけないし、後は自分で食べる 」


「別に遠慮はしなくていいよ。体調不良の原因は、半分は私のせいだし。いつも正臣が私にしてくれてることをしてるだけだもん。具合が悪いときくらい、私のことを頼ってよ 」


「えっ、いや。だからっ…… 」


 美波は正臣の意向を確認することなく、正臣にあーんをし続けると、最後に秘薬を放り込んで 水を飲ませる。悪気がないからこそタチが悪い。


 駄目だ。絶対的に美波と自分の距離が近過ぎる……

 呼吸は相変わらず落ち着かないし、心拍数も酷い。これでは具合は悪くなる一方だ。おまけに美波は全く空気も読めないでいるから、事態は最悪にしか転がない。


 正臣はハアと小さく息を付くと、美波の肩に両手を置く。取り敢えず美波に優しい言葉のひとつか二つを並べて、この部屋から追い出すのが先決だと思ったのだ。


「えっ? 正臣? 」


「あっ…… 」


 美波は急に正臣に触れられて驚いたのか、目を丸く見開いている。

 その反応が意外すぎて、正臣はうまく言葉が出てこなかった。


 突き放すのは簡単だけど、そうしてしまいたくもない。というより、本当は今すぐ抱き締めて楽になりたい。


 えっ? 

 抱き締める? 

 誰が? 

 俺がか……?


 正臣は一瞬だけ頭の中で あれやこれやと考えるが、直ぐ様 気持ちを固めると美波の手首を掴む。

 つまり正臣は…… とうに気持ちの制御が効かなくなっていていた。


「美波 」


「えっ? 」


「……狐太郎から何か貰ってないか? 」


「あっ、匂い玉 」


「それを俺に向かって投げろ 」


「なっ…… 」


 正臣はそう言いつつも、既に美波の首筋に手を掛け、唇を引っ張っていた。美波の瞳には正臣しか写ってはいないし、正臣の瞳にも美波しか写ってはいなかった。


「でも狐太郎さんからはヤバくなったらって言われたんだけど 」


「だからっ、今がそのヤバい状況なんだよ。いいから俺に振り掛けろ。つーか、どこにあるんだ? ポケットの中か? 」


「そうだけど? って、ちょっ、くすぐったいっッ 」


 正臣は美波の呑気な態度を気にする余裕もなく、容赦なくボトムスに手を突っ込むと、手探りで匂い玉を奪う。そして息を止めて匂い玉を自分に投げつけると、その場でバタリとベッドに卒倒したのだった。


「ちょっ、正臣? 大丈夫? 」


「……お前さんには、俺が大丈夫に見えるのか? 」


「いや、そんなことはないけど 」


 正臣は息を荒くしてながら天を仰いでいた。美波は思わず正臣に布団を掛けると、氷嚢を額の位置へと戻す。

その声は、いつもに比べると少しだけ弱々しい。正臣は自分の額に腕を乗せると、表情を隠すように こう続けた。


「……わかったよ。いよいよ、俺の完敗だ。もう認めるしかないな 」


「えっ? 」


「もう大丈夫だよ。頭はガンガンするけど、一晩 過ぎれば治る。その代わり今夜は俺には近付くな 」


「……でも 」


「でもも天糸瓜(へちま)もない。ありがとう、美波には助けられたよ 」


「そうなの? 」


「ああ。だから今日はお願いだから、部屋に戻れ 」


「うん、そうする。……って、えっ? 」


「…… 」


 部屋に戻れと言われたはずだった。

 それにも関わらず、美波の手首は正臣に再び掴まれていた。


「ちょっ、正臣? あの、手…… 」


「頼むから、もう俺の前で大人にならないでくれ 」


「はっ…… ちょっ 」


 正臣は目を閉じたまま、ベッドの中で力尽きていた。

 美波の手の自由は効かないままだ。


 私、どうしたらいいんだろ……

 美波は答えのない難問に少しだけ鼓動を早くすると、諦めてその場で暫くじっとするしかなかった。



 


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