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胡瓜にくびったけ!  作者: 高城 蓉理
第三話 初めてのあちゃら漬け
14/31

◆◆◆




 気付いたときには、正臣はいつも側にいた。

 それはきっと、今も昔も変わってはいない。


 美波が幼かったころ、一発当てたいと 酒造会社を設立した両親は、何だかんだで事業を軌道に乗せていた。

 もちろん休日は美波と遊んでくれることもあったけれど、平日は殆ど顔を会わせない日々。保育園の送り迎えも、時間割の確認も、いつも正臣が面倒を見てくれた。

 十しか離れていない正臣だって 美波のお守りをしていた頃は、お年頃の思春期だったはずだ。それなのに文句ひとつ言うことなく、放課後は真っ直ぐに帰宅して美波の世話を焼いてくれた。

 親ではない。兄とも違う。家族でもなくて、従者と主人という間柄は、主人に一方的に有利な関係性だ。それでも正臣は多少の小言はあっても、決して美波を突き放したりはしない。それどころか、時には自己犠牲も厭わずに助けてくれる。



 何でだろう…… 胸が痛い。

 自分が正臣の人生を独占してしまっていることが心苦しい。

 もういい加減に自由にしてあげたい。

 でもそれは出来ない。

 だって、他に好きな人がいないんだもの。


 あれ? ちょっと待って。

 他に好きな人がいないって、どういうことだ? 

 そんなことを言ってしまったら、私はまるで……



◆◆◆



 頭が重い。

 部屋の中は暑くて湿気を帯びているし、背中を流れる汗が気持ち悪い。


 いつの間にか、朝になってしまった。ここ最近は、眠りが浅い気がする。何だか考えごとばかりをしていると、あっという間に時間が過ぎてしまうのだ。


 美波誘拐未遂事件からは、既に二週間が経っていた。

 美波がリビングに顔を出すと、とっくに正臣は起きていて、床の掃き掃除をしている。相変わらず几帳面さは いつもと変わらないけど、あれから一つだけ違うことがあった。


「正臣、おはよう 」


「ああ、美波。おはよう。朝飯は食っていくのか? 」


「ううん。今日はお昼と兼用にする 」


「そうか。手抜きをさせてもらえるなら、こちらとしては大助かりだな 」


 正臣はそう言うと美波の顔を振り返ることもなく、箒に視線を向けている。表情も仕草も普段通り。だけどその見た目には、いつもとは違うところがあった。


「正臣、あの…… ごめんね。私だけ出掛けちゃって 」


「あー しつこいな。だから気にしなくていいって、何度も言ってるだろ? 」


「でも河童肌が、なかなか治まらないじゃん 」


「何を今更。そんなことは当たり前だろ。俺は河童なんだから。つーか、俺はお前さんの従者なんだから、名誉の負傷ってやつだよ 」


 正臣は先日の事件で妖怪の血が濃くなりすぎて、全身の河童の肌が未だに消えずにいる。手足の見えるところは包帯を巻けばカモフラージュは出来るものの、顔に関してはそうもいかなくて、大学の仕事を在宅でこなしていた。


「別に家に引きこもってたって 死にはしないし、今は買い物も大抵のものはネットで買えるから困らないよ 」


「でも…… 」


「いいからさっさと出掛けろよ。蘭ちゃんを待たせることになるだろ。それに今日は後で狐太郎と会うし、事情を知ってる奴なら問題はないよ 」


「うん 」


 正臣は美波を強引に納得させると、早くしろと準備を急かす。美波の表情は曇ったままではあったが、ここは素直に従うしかなかったのだった。 




◆◆◆


 

 折角の休日だというのに 今日の福岡市内の気温は、早朝から真夏日に到達していた。【山笠】が終わったら福岡は夏本番とよく言われるけど、七月も半ばくらいに梅雨明けをすると、太平洋高気圧に覆われて 本格的な暑さが到来する。


 社会人一年目というのは、何かと出費が多い。

 拘束時間が延びる分、メイク崩れがしにくい化粧品を探さなくてはならないし、そうなると自動的にブランド品にも手を出さなくてはならない。

 洋服だって毎日同じメンバーと顔を会わせる分、着まわし力を高めないとお金が持たない。さらに夏服となれば、そのハードルは厳しさを増す。まず最低限のマナーとして、下着が透けない生地のものを厳選しなくてはならないし、汗染みなんてもっての他だから色合いも考える必要がある。でも通気性も両立させたいとなると、自分の納得いく一着に出会うには時間と労力が掛かるのだ。もちろん出会いも交遊関係も広がっていくから、見えないところも気を遣わなくてはならない。そんな買い物をするときは、気の置けない友人と出掛けるのが一番だった。 

 

 

「うーん。これなら美波のサイズもあるよ 」


「あっ、本当に? って、何この派手なデザインっっ!? 」


 美波はその日、蘭に連れられて大型商業施設を訪れていた。このビルは 中洲川端から歩いても、祇園から歩いても約十分と立地の良さが抜群で、界隈一帯が劇場・高級ホテル・映画館と複合施設となっている。それにも関わらず、蘭は小一時間ほどランジェリー売場から離れようとしないのだ。


「やっぱり大人の狐様に受けるのは、純白の上下かな。あっ、でもこっちのピンクのセットアップもいいね。今更だけど、少しでも#初__うぶ__#な感じは出したいし 」


「……下着なんて付け心地が良くて、自分が好きなのを買えば良いんじゃないの? 」


「チッチッ、美波は相変わらずお子さまね。男女の駆け引きはインナーウェアから始まってるのよ。そこを怠るなんて、ナンセンス 」


「男女の駆け引き……? 」


 って、何のことを言ってるんだろう。

 やっと巡ってきた休日だというのに、一体 私は何をしているのだ……? 

 美波としては正直なところ、見えるところを取り繕うので精一杯で、下着にお金なんて掛けていられる余裕など まるでなかった。


「美波には、これなんかどう? 黒のレースに白のパイピング! しかもフロントホックって、ギャップがエロくていいよね 」


「なっ、こんな派手なのは駄目でしょ!! 絶対に正臣に何か言われそうだもん 」


「えっ、もしかして下着まで正臣さんに洗わせてるの? 流石にそれはヤりすぎでしょー 正臣さんが気の毒すぎるわ 」


「いやっ、そういう訳じゃなくて…… その…… 」


 美波は言葉を濁しながら目を逸らすと、人知れず溜め息を付く。分かってはいるけど、子どもの頃からの習慣だから、逆に改める方が意識しているみたいで恥ずかしかったりもするのだ。


「それにしてもさ、福重さんがいきなり会社を辞めちゃったのはビックリだったよね。いきなり飲みに誘われたと思ったら、翌日には音信不通でドロンでしょ? いくら緊急で田舎の事業を継がなくちゃならなくても、トイレで寝ちゃった私を放置プレイで消えちゃうし。もう軽くメチャクチャだよね 」


「えっ、あっ、そうだね…… 」


「福重さんは、見た目はけっこう良い男だったのに、最後は本当にいい加減だったわー。でもまあ、そのお陰で狐太郎さんに知り合えたから、私としてはオールオッケーだけど 」


「……あはは。それなら良かった 」

 

 蘭に関しては先日の記憶が一部 曖昧になっていて、美波が福重に誘拐されかけたことは未だに知らないでいる。

 しかも話には続きがある。蘭がトイレで倒れてしまったところを、あの晩 狐太郎に保護されて、何故か意気投合からのお持ち帰りと、常軌を逸した展開で仲良くなったというのだ。


「狐太郎さんったらね、お手洗いで倒れた私を見つけて直ぐにお姫様抱っこで運んでくれて 」


「うん 」


「でね、美波の友達に何かあったらどうしようって、手厚く看病してくれたの 」


「それは…… 」


 私の友達の蘭に何かがあったら、正臣は激怒するだろうしな、と美波は言い掛けたが、黙って言葉を飲み込む。そんなバックボーンがなくても、狐太郎は きっと蘭を助けていただろうと思えたからだ。


「それから話をしていくうちに、狐太郎さんが美波と正臣さんの知り合いってことが分かって。それからは二人を肴に盛り上がっちゃって。最初は妖怪の末裔さんだから構えちゃったけどね。話してみたら普通の人なんだなって 」


「そっか。狐太郎さんのご先祖の狐様は、宝暦の大火から火消しをして福岡の街を救ってくれた方だから。正臣みたいな河童の里のメンバーみたいに、人間とは良好な関係を築いてるのかもしれないね 」


「うん。狐太郎さんは話をしてても楽しいし、相性が良すぎてさ。もう毎日でも会いたいくらいよ。モフモフに包まれながらヤるのは、本当に充足感がねっ。堪らないのよ。もう人間の男に戻れないかもしれない 」


「……そう。それはまた、とても生々しい感想だね 」


「最高だよ、年上の妖怪さん。もう今までのワンナイト要員の連絡先は 全部消しちゃった 」


「ぜ、全部? 」


「そう。だって、もう必要ないもん 」


 蘭の潔さに、美波は軽く圧倒されていた。

 でも何よりも驚きなのは、恋する人を見つけたときの力強さだ。 


「あのさ、蘭。どうしたら、人を好きになることが出来るのかな? 」


「はあ? 」


「だって、私は今までに一度も恋をしたことがないもん 」


「美波は、そういうところに酷く真面目だよね。それも正臣さんの教育の一環か何か? 」


「なっ、そんなことはないよ。私の性格の問題だから 」


「……そんなに難しく考えなくてもいいんだよ 」


「えっ? 」


「無理に好きな人を作ろうとか、相手の良いところを見つけようとか、そういうことではないんだよ。恋愛はね、その人と一緒にいると楽しいとか、心が安らぐとか、自分の気持ちを優先していいの 」


「私の気持ち? 」


「そう。私は今回、たまたまその気持ちが狐太郎さんと合致したの。二人とも性欲にストイックなところも一緒だし。あんなことやこんなことは、人間の男は恥ずかしがってしてくれないもん。燃え上がるような激しい夜は、一度覚えたら快感よ 」


「ちょっ…… 」


 真面目な素振りからの 乱高下だった。

 美波は茹でダコのように顔を真っ赤にすると、蘭の口を塞いで慌てて店を後にする。

 だいたい知り合い同士が恋人になっただけでも衝撃なのに、明け透けと夜の話までされては堪ったものではない。美波は暫くの間、ムスっとした表情を貫くと、頭の中から卑猥な想像を消すように努めるのだった。






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