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胡瓜にくびったけ!  作者: 高城 蓉理
第二話 優しさに比例する鶏の水炊き
12/31

◆◆◆


 波の音がする。

 段々と潮の匂いが濃くなって、海風が強さを増していた。引いては満ちてを繰り返す、この規則正しいリズムが今は怖い。

 頭の中はボンヤリと霧がかかっている感じで、身体は少しも動かせない。

 もしかして、私はこのまま死んでしまうのだろうか……


 

「高取さん、着いたよ。この先に人魚の宮があるんだ。今から連れていってあげるからね 」


「…… 」


 人魚の宮って、一体何? 

 というか、目の前には海しか見えないんですけどッ。

 美波は言葉にならない呻き声を上げて、必死の抵抗を試みるも、身体は相変わらず動かせない。今さらだけど、自分は現在 福重に抱きかかえられている。それでもって 海に向かって運ばれているのだから、状況としては最悪だ。


「この百道浜から、これから那珂川(なかがわ)に向かうよ。海からアプローチしないと、人魚の宮に潜れなくてね。海底にあるから水に潜る時間がある分 大変かもしれないけど、僕が責任を持って人工呼吸をしてあげるからね 」


「…… 」


 この人は一体、何を言っているんだ。

 いや、福重は人間ではないから、この表現は正しくはない。でもそんな些細なことは、本当に今はどうでもいい。こんな状態で海の中まで道連れにされたら、命が幾つあっても足りないのは明白ではないか。美波は全神経を足に集中させると、バタバタと動かすイメージを浮かべた。


「うっ…… んっ…… 」


「おっ、少し催眠効果が薄れてきたかな? もう身体が動かせるなんて、さすがに河童の血を共有しているお嬢さんは、普通の人間よりも丈夫だな 」


「…… 」


「まあ、河童の契約の印は、時間を掛けて俺が解いてやるから心配しなくていいよ。大丈夫、悪いようにはしないから。あと 河童のヤツらの諸々の記憶は、催眠で消してやれるから。人間界の記憶は綺麗さっぱりリセットして、人魚の嫁として人生をやり直せるし 」


「なっ…… 」


 ああ、今まで二十二年生きてきた中で、今が一番のピンチかもしれない。だいたい福重が人魚っていうのも、良く分からない話だ。普通に足もあって歩いているではないか。それに何より、発言の一つ一つがとっても気持ちが悪いのだ。

 闇夜の海に微かな光の粒が見えて、かろうじて福岡タワーのイルミネーションが照り返しているのだと分かる。視界の先には福岡ドームやら臨海副都心の夜景が 目映い光を放っていた。いま自分がいるのは間違いなく百道浜だ。


 福重は一歩二歩と、海の中を進んでいく。

 段々と服の隙間からは 冷たい液体が流れ込み、身体が硬直するような寒さを感じる。顔に跳ねてきた水滴は塩味があって、やはりここは海の中なのだと確信せざるを得ない。

 先ほど首筋を思い切り引っ掻いたから、傷口から潮水が痛いくらいによく滲みる。血が海に流れ出して鮫が来たらどうしようかと思うけど、今は自分が人魚に誘拐されかかっている事実の方がよっぽど危険なことだと分かっていた。


 このまま、自分は良く分からない人魚の嫁とやらにされて、記憶も改竄されて生きていくのか? 

 というより、自分は泳げないし こんな状況で入水させられたら、一溜りもない。


 もう、駄目かもしれない……

 でも、人魚の嫁にもなりたくないっッ。

 美波は強く瞳を閉じると、ぐっと歯を食い縛った。



「ーーっっ、みなみっっッ!!! みなみっッッ、どこだーっッ!! 」



 まさ……おみ……? 

 遠くの方で、自分の名前が呼ばれている。

 もしかして、正臣が気が付いてくれたのだろうか……? 


「俺が必ず見つけてやるっッ。だから、もう少しだけ頑張れ 」


「…… 」

  

 ああ……

 もう声を上げたくても、言葉にならない。

 私はここにいるよと叫びたいのに、それが叶わない。

 もどかしい。

 でも、こんなヤツに誘拐されるなんて絶対に嫌なこったっッ。


「ふふっ。河童が人間相手に声を上げるなんて、滑稽な光景だな。従者なんて面倒な属性に生まれちまった河童野郎には、つくづく同情だぜ 」


「…………悪く言わないで 」


「なっ。なっ、何でまだ喋れるんだ? 」


「……正臣がどう思ってるかは知らないけど、アイツは私の大事な家族よ。妖怪だとか人間とか、そんなことは関係ない。私の家族の悪口を言うなんて許さないんだから 」


 苦しい。

 もう息が出来なくて苦しいのか、頭に酸素が回らなくて苦しいのか、身体が動かなくて苦しいのか、理由なんてどうでもいい。


 それでも美波は必死なって息を吸うと、次の瞬間、

「まさおみーーっっっッ 」と、声を掠らせながら返事をする。そしてそのまま気を失うように力尽きると、水の中に頭を下げるのだった。





◆◆◆





「美波っ? 」


 ハッキリと聞こえたわけではないけれど、それは身体全身を振り絞るような、言葉にならない声だった。

 美波は、海のなかに引き吊り込まれようとしている。犯人は間違いなく、あの料理屋を予約していた福重という人魚の末裔だ。

 

 美波が磯の香りを纏わせながら帰宅することがあっても、水産会社に勤めているからと油断していた。冷静に考えたら、福重とかいう人魚は 美波にマーキングをしようとしていたのだ。


 頭上ではお月様が丸々と輝いているのに、その光が今は眩しくて鬱陶しい。地球に対して月と太陽が直線上に重なる 満月と朔の夜は、月と太陽の起潮力の方向が重なって大潮になる。一日の満潮と干潮の潮位差が大きいから、引き潮の時間帯は海に吸い込まれる力も強い。水面コンディションとしては、人魚に一方的な有利な状態だ。 


 もう少しだけ、踏ん張ってくれ……

 正臣は微かな美波の声を便りに、水を掻き分け進んでいく。美波は咄嗟に契約の印に爪を立てたようだけど、血の匂いはどんどんと海水に薄れていく。人のモノを横取りしようなど、人魚の性根も大概だ。絶対に許さないし、美波は渡せない。正臣は一目も憚らず華麗な泳ぎを披露すると、契約の印から染みだした血の匂いを追うのだった。



「あーあー。いくら大切に育てられたって、所詮は人間のお姫様には限界があるわけね。すっかり気絶しちゃったね 」


「…… 」


 福重は瞳を深く閉じる美波を見ると、ケラケラと笑いを堪えていた。

 美波がこんなに簡単に手中に入るとは、想定外のことだった。いくら本人のガードが固くても、社内の人間相手に粗暴な技は使えない。こちらが懐に入ってしまえば、人間である美波に勝ち目などないのだ。


 さて、これから先はどのようにしていくか。

 ほとぼりが覚めたら、盛大なお披露目をしても良い。それに河童の里の体面を潰すには、これ程の屈辱はないだろう。福重は これから先の未来絵図に だらしない表情を浮かべると、変化を解き人魚の姿になる。シャツだけはそのままになっているけれど、下半身はすっかり魚の姿になっていて、ビッシリと敷き詰められた鱗は妖艶な輝きを放っていた。

 さあ、これでやっと人魚の宮に帰還できる。長かった人間社会での生活も、一応は幕引きだ。酸素が吸い放題である地上も悪くはないが、やっぱり潮の中の方が暮らしやすい。

 福重は新鮮な空気に別れを告げるように肺一杯までの深呼吸をすると、海のなかに頭を入れる。

 しかし次の瞬間、福重は水に弾かれたかのように、その身を激しくその場に翻した。いきなり背後から腕と尾を掴まれて、福重は一切の身動きがとれない。


「うっ…… 」


 痛い。物凄く強烈に痛い。

 妖だから今までに痛覚など殆ど感じたことはなかったけれど、これでは自分の血肉が砕かれそうだ。

 福重は苦し紛れに唸り声をあげると、恐る恐るその痛みの元凶に視線を移す。

 腕も肩も辛うじて付いてはいる。でも自分の腕は見慣れない水掻きによってガチリと掴まれていて、もはや変色すら起こしていた。


「……入水自殺なんて、今時は流行らないだろ 」


「思ったより、早かったな 」


「まあ、そいつは俺の命よりも大事だからな。そう易々と、俺以下の男に嫁にやる訳にはいかないんだよ。つまり今のところは、誰にも渡せないってことだ 」


 正臣の息は 少しだけ上がっていた。いつもは見た目は殆ど人間と変わらない容姿をしているのに、いまに限っては水掻きが進化して 肌も細かな濃緑色の毛が逆立ち始めている。玉虫色の髪は艶やかに水を浴び、琥珀色の眼光はその奥に血赤の紅を要している。つまり どういうことかというと、正臣は怒りの感情のピークに達していた。


「それは残念だけどお断りだね。僕は彼女をとても好意的に捉えているから 」


 福重は挑発とも取れるような発言をすると、美波の口元に唇を寄せる。そして頬の辺りをペロリと舐めると、悪戯な笑みを浮かべて こう続けた。


「彼女は是非とも人魚の宮で嫁に向かえたい。妖怪と何百年も生活を共にして、決してそこに堕ちない人間の血脈なんて 興味も沸くだろ 」


「……お前さんは、いったい美波の何がそんなに魅力なんだよ? 」


「凛とした真面目さに、気が回るところ。そして妖怪に適応できるポテンシャル。まさに僕が描く理想の女だよ。うちもね 少子化が進んで、近親交配の回避が難しくてね。種族同士以外でとなると、人間の女も視野に入れなきゃ厳しくてな 」


「美波の意志は無視か? 」


「そんなのは後から理由を付けて、幻術で適当に操作すれば良いだろ。金を詰めば、妖狐グループに頼む手もある 」


「お前、本当に大概だな 」


「……俺は人間ではないからね。合理的に考えないと、生き残っていけないもんで 」


「本人が嫌がっているだろ。嫁入り前に 無駄に首に傷まで作らせて、お前は一体何様なんだ。人魚がこんなに訳の分からない種族だとは知らなかったな 」


 正臣は手の力を強めると、福重への圧力を加える。その眼光の鋭さは、そこら辺の雑魚妖怪であれば瞬殺してしまいそうな、畏怖のオーラがそこにはあった。


「俺もそんなに気は長くはない。最後の忠告だ。美波を離せ 」


「いいのか? 俺に危害を加えれば、手中にいる彼女も必然的にただでは済まないんだぞ? 」


「やれるもんならやってみろ。但し己の命を、きちんと天秤に掛けて判断をするんだな 」


 正臣がそう言い切ると、遠くの方で地響きが始まる。そして激しい引き潮に身体が取られると、徐々に水位が下がっていき、海が二つに切り裂かれて行くのがわかった。


「ちょっ、貴様 いったい海に何をした? 」


「……仕方がないから、海底を割くことにした。理解が得られないのならば、手段は選ばない。直に海の歪みに人魚の宮とやらは飲まれることにはなるだろうが、恨むなら己の浅はかさを恨むんだな 」


「おい、貴様っッ。そんなことをしたらどうなるか、分かってんのか? 」


「わかっている 」


「……そんなことをしたら、人魚の宮どころか お前らの暮らす地上にまで、大変なことになるんだぞ? 」


「それがどうした 」


「なっ…… 」


 初耳だ…… 

 河童って、天変地異まで操作が出来るなんて聞いていない。そんなヤバイ奴が、二十数年来 人間の娘にこき使われて、社会に溶け込んでいるなどとは、にわかに信じがたい事実だった。


「……わかった。今回は手を引こう。だから海は元に戻してくれ 」


「先に美波を引き渡せ 」


「ああ 」


 もはや本能が 今すぐ撤退しろと叫んでいた。

 福重は致し方なく美波を正臣に引き渡すと、直ぐ様二人から距離を取る。正臣は美波を受け取ると、地肌の見えそうな海底を一睨みする。するとみるみるうちに海水は元来の場所へと注がれていき、段々と静寂さを取り戻した。


 悪戯が過ぎた……

 先ほどの正臣の殺気は尋常ではない。やはり河童様を怒らせるものではなかったのだと、今更になって後悔をしていた。

 正臣は美波を肩に掛けると、勢いよく陸へと踵を返す。美波は小さく呼吸はしていたけれど、顔色が真っ青になっていた。


「おい、待て 」


「……なんだ? 」


「俺のことは、見逃すのか? 」


「無駄な殺生はしない。俺の命題はこいつを無事にまともな男に嫁にやることだからな。ただ次にこんな馬鹿みたいなことをするなら、そのときは容赦はしない  」


 正臣は福重にあっさりと背中を向けると、美波の頬を撫でる。そして力強く海水を蹴ると、砂浜に向かうのだった。


「これは暫く雲隠れ…… ではなくて、海隠れしないとな 」


 福重はポツリと独り言を呟くと、二人の姿を見送ることなく 逃げるように水の中へと潜った。


 満月が煌々と水面に光を注ぎ、鏡のように跳ね返す。

 ほんの一瞬だけ、博多港が真っ二つになりかけた。しかし瀬戸際のラインで、何とか海の均衡は保たれたのだった。




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