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93 重なる。

 


 『臼居忍』


 彼女の受難は、イジめられていたクラスメイトを助けた時に始まった。


 よくある話だ。次の日から標的が彼女に移り、クラスの全員に無視されるようになったのだ。


 助けたはずのクラスメイトまで『丁度よい身代わりが出来た』とばかり遥かな距離を取ってきた。それを見た時は怒るよりも呆れてしまった。


 こうして楽しい学園生活は一転して辛いものとなったが、善良な両親を見て育った事もあり、彼女はそれでも気丈に振る舞った。


 しかし、


 どんなにイジめても気丈を崩さない忍の様子が癇に触ったのか、イジメはエスカレートし…遂に一線を越えてしまった。


 …忍は、暴行を受けた。学友であるはずの男子生徒達によって。


 これにはさすがに打ちひしがれた。しかし親に打ち明ける事も、警察に訴える事も出来なかった。ただの泣き寝入りだと分かっていても、部屋に引きこもる事しか出来なかった。


 こうして悲劇の渦中に落とされた彼女が覚えた事は、大事な人を攻撃する事…。


 とにかく、『外』の全てが怖かった。かといって『内』に籠れば憎しみばかりが募っていく。こうなると自然、安心して憎しみをぶつけられる相手を探すしかなく。


 こうして、


 罪もない両親を責める日々が始まった。



 ──ごめんなさい──



 いつも想っていた。でもやめられなかった。捌け口がなければ張り裂けてしまう、心がそう訴えていた。


 なのに、両親は怒らない…どころか信じてくれていた。忍がこうなるとは余程の事があったと、ただ心配するだけでなく、何とかして力になろうと努力してくれていた。


 でも、それこそが辛かった。




 そんな眩しい『光』に当てられてしまうと、浮き彫りになった気がしたからだ。




 それは、汚れてしまった自分……などではない。


 そもそもとしてこちらに非なんてない。ただ人の不幸を見過ごせなかっただけ。


 これ程の苦しみを味あわされる謂われなどなかった。『汚れた』などと思ってやるものか。


 自分は断じて汚れてなどいない!…そう思うのに。


 一度徹底的に傷付いた心というものは、本当にままならない。どうしようもなくどうしようもないものにしていく。自分の心が、自分の心を。


 諦念と怠惰をはね除けられない。妬みや憎悪は無限に湧く。毎日自分に負け続ける日々は、どうしようもない闇を心中に巣食わせた。


 まさか自分の心が、こんな有り様になろうとは…


 いや、強烈な悪意に晒されたから一時的にこうなっているだけ……いや、こうも変質した人間性が元に戻れるものだろうか………いや、………きっと、もう戻れない。


 …そう思ってしまった。


 それでも自分で人生を止める事だけはしなかった。


 それこそ両親を悲しませるだけだと分かっていたからだ。それに自分をこうした連中が後悔するとも思えなかった。なにより連中への憎悪がそうさせなかった。


 かといってこの手で復讐する事も選べなかった。


 『殺す』以外の手段が思い浮かばなかったからだ。それほど荒さみ切っていたからだ。

 それでもやはり、殺人はダメだと思っていた。そんな事をすれば両親に迷惑をかける。それが分かるほどには、幸か不幸か狂ってなかった。  


 このように何処へも行き場を失くした彼女の心はいつしか、願うようになっていた。


 過去に戻ってやり直したい。


 それが叶わぬならもう、


 …消えてしまいたい。


 …どちらも叶うはずがない。


 自室で動かず、心だけを動乱させるしかない。その苦しみは一年も続いた…そう、一年も費やせば学年が変わる。自分をこんな惨めに堕とした連中は進級したはず。そんな理不尽にまた苛まれていた、ある日。


 願いが届いたのだろうか。しかし、


 それはあまりに斜め上な叶い方。


 自室の押し入れに『ダンジョンに続く階段』が現れたのだ。


 まるで携帯小説に見るような展開。チープなはずのそれをしかし、忍は神の啓示と受け取った。


『強くなれ』

『世界は変わる』

『存分に復讐を果たすがいい』


 それが勝手な解釈と知りつつ、嬉々として潜り込み、鬼気として試練に挑んだ。その結果魔力に覚醒し、恐らくはレアであろうジョブとスキルと称号も獲得し、あれほど恐れていた『外』へも一歩、踏み出せた。


 しかしそれも、すぐに引き戻される事となる。それは現実に。それも…残酷な方の。


 自室の扉…いつもより重く感じたそれを開けた先に…いたのだ。



 血にまみれた両親が。



 ──その両親を殺したゴブリンは──多分殺した──両親の亡骸は──庭に埋めたのだったか──現実と思えず──街をさ迷った──あてもなく──救いを求めてそうしたのか、そもそも生きていたいのかすらもう、分からなくなっていた。…いや、分からなかったからこそ、さ迷う事しか出来なかったのか。


 そして…嗚呼、これが運命…というものだろうか。


 その彷徨途中に偶然の再会を果たしたのだ。最も所在を突き止めたかった相手にして、最も会いたくなかった相手と。


 自分に一生残る傷を刻んだイジメグループ、その一人だった男子学生。


 こんな風になってしまった世界にどんな期待を膨らませたか、一目で分かる姿をしていた。


 なんというか、冒険をイメージしたような。つまりは厨二的なイタい格好をしていた。それを痛烈に指摘してやりたかった。でも、それは出来なかった。


 ……当然、復讐も出来なかった。


 良心がどうとかの話でなく。

 怖じ気付いたからでもない。



 不可能だったからだ。



 この世界が残酷な事は分かっていたが、悪党にも平等に残酷であるようだった。


 既に、殺されていたのだ。


 現実に見る、知った顔の惨殺死体。


 恐怖しながら、冷たく見下ろす姿勢を何とか保った。せめて『ざまあみろ』と吐き捨ててやろうとした、その時、



 ──重ねてしまった。



 あろうことかその忌々しき同級生の死体と、血にまみれこと切れた両親の姿を。


 …なぜ重ねてしまうのか?


 この男子学生は憎しみ抜いた相手。一方の両親は…いや、確かに憎しみをぶつけていたが、それはやり場がなくてそうしただけでつまり、同列にして良いものではない。

 今も後悔していて、その後悔をどうする事も出来ないでいる。それは、謝る事すら出来ないまま死別してしまったから──


 ああ…だからか。


 この男子学生も謂わばそう。復讐どころか、恨み言の一つも言わせないまま勝手に死んで────ここまではただの連想──しかしここから先がダメだった──思考は危うさの一途を辿り──








 二転し、三転、負の思考が巡ってぐねる。









 …








 『もしかすれば…』思ってしまった。



 自室の押し入れに階段を見つけたあの時。その存在をすぐ両親に伝えていれば?


 …助け、られたかもしれない。


 …何故、自分はそうしなかった。


 …それは、『ダンジョンで得た力を復讐に利用する』という、後ろ暗い目的があったからで──そうか──


 自分は、、復讐のために自分は、


 両親を…


 死んでも我が子だけは守ろうとしてくれた、あの両親を…



 無為に──



 ……こうして。


 死体となった同級生との遭遇は、忍にとってあまりに皮肉な形へ捻じくれた。


 彼女にもたらしてしまった。『自分こそが両親を死なせた』という結論を。


 …そう、これはあまりな飛躍。しかしもはや、理屈ではなかった。


 彼女にとって事実がどうとか、運命がどうとか、本質がどうとか、正義がどうとか、もはや関係なくなってしまっていた。


 再三に渡る受難は、それほどに彼女を追い詰め、混乱させていた。


 今や、自宅はこれ以上なく罪悪感を掻き立てる場所となってしまった。



 『両親を死なせた場所』として。



 つまり最後の居場所だったかもしれないのそれまでもなくしてしまった。


 こうして、孤立や孤独からすら、爪弾かれて。


 罪悪感に打ちのめされ、体力的にも限界で。それでも帰る場所は家しかなくて。


 地面と『どん底』を交互に覗きながら、とぼとぼと家路を辿りながら。 



 とある男が目についた。



 その男は近所にあるこじんまりとした手芸店のシャッターをガンガンと叩いていた。


 すぐ隣にはグロテスクなコスチュームに身を包んだ少女もいた。


 なんと妙な取り合わせだろうとぼんやり思った。それに、モンスターが蔓延る世界になったというのに、あんな騒音を立てて、、


(迷惑な人だな…)


 最初の印象はこんなものだった。それがいつの間にか、目が離せなくなっていた。


 そうなったのは、彼らがあまりに異質だったからだ。


 男の身体は隅々に渡りぎゅっと圧縮してあるような筋骨で鎧われており、その腰元には、恐らくモンスターの血で真っ赤に染まった木刀の大小が二本、差されてあった。


 恐るべき手練れである事が素人目に分かった。


 それも、想像を絶するほどの手練れだ。何故ならどういう訳か、この男はうっすら勘づいているようだったから。


 あのチュートリアル的なダンジョンで授かったスキルによって、存在を限りなくゼロとしているはずの自分にだ。


 それなのに自然体でいるのがさらに不気味だった。何日も街をさ迷ったが、こんな手合いは見た事がなかった。


 …かと思えば、この男は手芸店の店主に怒鳴られて、ペコペコと頭を下げ始めたではないか。


 …実に良い具合に──拍子抜けしてしまった自分がいた。


 そんな男の姿に微笑む少女も印象的だった。


 あんなゴテゴテしたコスチュームを着ておいて自然体なまま付き添っている。


 それが妙に可笑しくて…いや、それがかえって隙のなさを表していて…


 いや、そういった歴戦の風格とやらはきっかけに過ぎない。


 そんな元々興味なんてない諸々よりも、忍の目を引き付けて離さなかったのは、


 この二人が醸す空気だった。


 両親という何より大事だったはすの存在を亡くし、その両親は自分が知る限り誰よりも善良な人であった。


 そんな臼居忍がどん底を知った。そんなタイミングだったからこそ、感じたのかもしれない。


 そう、この二人の中にいつの間にか、見ていたのだ。両親の中に常日頃見ていた片鱗を。


 この人を誰より信じる──この人を何があっても守り抜く──そんな想影(おもかげ)を。


 引き込もっていた頃の自分はそれを…疎ましく思ってしまった。拒絶してしまった。でも今は…いや、今…だからこそ、


 何よりも。

 懐かしく思ってしまう。

 それは、両親に見た、、、



 あの『光』。



 それをこの二人の中に見てしまった。


 こうして単純にもまた何かの啓示を受けた気がした忍は、二人の後を追う事にしたのである。


  ・


  ・


  ・


  ・


  ・


  ・


 その二人が次に向かったのは、ホームセンターだった。ここで何をするかと思えば…


 『コイツもか』と早速落胆させられた。


 こんな世界になって店に忍び込んでおきながら、料金をしっかり消費税分まで支払ったのは誉められる。

 だが手芸店で買った布地に真っ赤な塗料で『閻魔』と大きく目立つ字で書き、それをマントのようにして羽織った姿を見た時は、呆れてしまった。


(…ここにもいた。重篤な厨二病患者が…)


 少女は大口を開けて笑っていた。そんな彼女には『あなたのコスも大概ですが?』と言ってやりたかったが、存在を消して尾行している手前、それもどうかと思い自重した。


 それに……眩しかったから。


 男を信頼しきって、きっと柄ではないだろうに、大口を開けて遠慮なく笑う少女と、それを悔やしみながら可愛いと許してしまう男が。


 うぶなのに自然なその関係性がなんだか懐かしくて、羨ましくて…だから。


 忍の観察は続行された。


 深い深い夜闇で唯一、暖をとれる灯し火を、じっと見つめるようにして。



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