91 拗異執闘。
皆様のおかげで初めてランク50に入れました!
嬉しい(つд;*)
──時は少し遡る。
均次の危機に気付いた大家香澄は、警察署へ向かう足をすぐさま返し、叫んだ。
「均次くんっ!!」
「──おおや、さん!い いいッ、いいから!いって!行って下さ…ッ!俺ぇ な ら だい、じょう────ぶ」
どう見ても大丈夫ではない。明らかにおかしい。
ゴブリンエリートダンジョンでは胸を二度も貫かれ、火だるまにされても戦えていた。
それほどの不死性を誇る均次が蜘蛛糸に引き摺られるだけでああも苦悶を見せるはずがない。
きっと何らかの異常があったのだ。なら今は何を置いても救出に向かうべき。
足に鞭打つ。一刻も早く、彼の元へと。
幸いにも巨大蜘蛛の方から接近してくれる。糸に引きずられる均次も近づいている。
が、こちらの狙いに気付いたあの蜘蛛が簡単に引き渡す訳がなかった。
その巨体の大部分を占める八本脚、それらが気持ち悪いほど大きく、速く、せわしなく動いて迫る。そして瞬く間。
香澄を覆う蜘蛛型の影。
蠢くそのシルエットから突出した二本が生え伸びブブン!!残像とともに──空気を焦がす音と臭いを残し突き出され、
──ズ、ガガガァンッッ!!!
…人体最大の死角である頭上から降り落ちてきたのは、速さと重さと魔力が過剰に揃った連続攻撃。
それらを最小限の動きで避けられたのは、香澄が元々の達人であり高レベルに達していたからだが、それでもギリギリの攻防だった。
それが継続される。
巨大さゆえに許された理不尽。巨大な前脚による連撃が着弾した地面が砕け、砕けたそれらが礫となって飛んでくる。
これは完全に避ける事が出来ない。最小限の動きでは避け切れず、小太刀や防具で弾いてもいくつか被弾を免れない。それらは【MPシールド】で受けるしかない。
…いや、無理に避けようとすれば出来ただろう。だがそれをすれば礫を目眩ましに糸が飛んでくる。それに絡め取られたら…
(…均次くんは、それにやられた)
最愛の人が身をもって刻んだ轍。それだけは踏んでならぬと蜘蛛の腹下、孤独に耐える。飛び交う無数の礫の向こう側、糸袋の射出口をジリリと見つめ、そして待つ。
そう、香澄は待っていた。
それも、最も警戒すべきあの糸を。それが射出される瞬間を。当然これは無謀な試み。つまりは死中。だからこそ活がある。
(糸が飛んできたら、何がなんでも躱す)
そう、厄介な糸攻撃こそが狙い目。ただの意趣返しでこんな危険は冒さない。
例えば躱した糸が香澄の背後で着弾する場所、それが地面なりビルの壁であったなら?いかに巨体を誇るこの蜘蛛であっても一瞬なり固定される。それを狙っての『糸待ち』。
香澄は達人にして魔力覚醒者にして現段階最高峰レベルに達している。刹那ほどでも隙を掴めば腹下から特大のカウンターを食らわせられる──そんな目論見はしかし、外れる事となる。
糸が、射出されないのだ。
そもそもとして蜘蛛脚の連撃が厄介だった。スキルが纏われている。その名も【連撃魔攻】。これは近接攻撃、それも連続攻撃に特化したスキルであった。先ほど残像に見えたあれらは『攻』魔力の塊。振られる脚に追随して飛んでくる仕組み。
こうして同時ではないだけという刹那の時間差で落ちてくる第二波──つまりこの連撃は合計にして四回もの攻撃がほぼ同時に繰り出される。
咄嗟でこんなものを避けられる者が彼女と均次を除き、どれほどいようか。
そしてこれにも礫が付随するのだ。そしてやはり完全には躱せない。
交互に強いられる蜘蛛脚の回避と礫の被弾。その合間に反撃しようも隙がない。だからさすがに焦る──そう、均次の危機に香澄は焦っていた。
それでも蜘蛛の恐ろしさなら知ったつもりでいた。つまり真には理解出来て、、いなかったのだ。
近接攻撃→礫による目眩まし→糸攻撃という必殺のパターン、これを一目で看破したのは見事だったがしかし、それは攻撃パターンの一つを知ったに過ぎない。
前述したが、この蜘蛛の恐ろしさはその巨体や厄介な糸の汎用性などの生体特性にあるのではない。
ダンジョンに支配される性質上、(※阿修羅丸などの『ネームド』という例外もあるが)大した自我は芽生えないのがモンスターなのであり、そこにこそ人類側が付け入る隙がある。
しかしこの蜘蛛のように元々の生物が魔力進化を果たし、『魔物』と括られるようになった存在はダンジョンに支配されない。
つまりは自我を発達させやすい環境にあり、フィールドボスと呼ばれるほど超高位進化を果たした個体となれば、(※こと戦闘においては、と付け加える必要があるが)人間と遜色ない賢さを身につける場合すらある──そんな忠告を均次から受けていた香澄であったが、その均次の唐突な危機に焦るあまり、条件反射的に飛び込んでしまった。
『巨体の腹下』という、如何にも弱点でありそうなこの場所へ…そこに無限地獄が待つとも知らず。
いつの間にか自分ではない方へ傾きゆく形勢。
それを認めたくない香澄に事実を突き付けるように上体を持ち上げる蜘蛛。
後部四脚を地面に刺す…どころか無理に支える自重で埋めてゆく。
威嚇を狙ってではない。脚を止めて打ち合うつもりだ。
こうして空いた二本の中脚。当然止まらない。追加の攻撃に回される。それは先ほどの厄介な連撃が追加されたという事でつまりこの姿勢は、
この蜘蛛にとり、必殺の構え。
香澄の目前、大袈裟に地面をえぐる追加連撃。避ければ直後に大量の礫を浴びせられ、やむを得ぬ被弾を何とか耐える。
だが、これでダメージを受ける事はない。比較的都会であるこの近辺はまだ『異界化』が進んでおらず、これら礫には魔力が宿ってないからだ。それでは香澄の【MPシールド】は貫けない。
それにゴブリンエリートダンジョンでのパワーレベリングによって今の香澄は現段階で誰よりも高いレベルに達しており、『防』魔力と『精』魔力の成長補正については均次よりも遥か上。そして何度も言うが元々が達人。
つまり当たりどころさえ気を付ければ礫によるダメージはゼロに抑えられる。
しかしシールド越しにかかる圧は健在。さらに悪い事に香澄の体重は軽い。故に大きく身体を揺さぶられる。左右後ろにズラされる。
魔力で強化された身体能力と超絶技巧をもってして制御出来ないプレッシャー、それが効果的な牽制となって香澄の脚を留め続ける。
それでも待っていた。
反撃の機会を。溜めていた。反逆の意志を。渇望していた。カウンターを食らわすその時を──しかして、糸は来ず。
ただただ連撃は避けるしかなく、ただただ大量の礫の圧には耐えるしかない。こうして無為に時を見送る中、彼女の本能が訴えた。この膠着は危険だと。
ならば狙いを変える──例えば脚を──いや、それは断念するしかない。切断するには対象が太すぎる。得物が小太刀ではとてもではないが断ち切れそうにない──こうした様々な思考も『知』魔力と『速』魔力の相乗効果により一瞬で済ませる香澄であったが──その一瞬すら、例の連撃が間断する。
最初に振られた前脚二本が復帰したのだ。その四連撃もなんとか回避、その連撃に付随する礫もやり過ごす。そこで、ようやく、気付いた。
──気付くのが、遅すぎた事を。
嗚呼、今度は中脚による四連撃。これは避るしかない。当たれば死ぬ。
しかし避けた後にはまた大量の礫が飛んでくる。これは被弾を免れない。
下手に大きく避ければ糸に絡めとられる。そうなったら終わり。あれはそんな攻撃。
なのでしかたなく被弾に耐えればまた前脚が振られる。それをまた避ければ不可避の礫。
それをなんとか耐えれば中脚による四連撃。それを避ければ不可避の礫。
これを耐えれば前脚による四連撃→不可避の礫→中脚による四連撃→不可避の礫→前脚による四連撃→不可避の礫→中脚による四連撃→不可避の礫──…一体、いつまで続くのか──
それは、無限に。何故ならこれは、
ゲームで言うところの『ハメ技』。
つまりはもう、逃げられない。
念入りにも『大きく体を躱して安全地帯へ緊急避難する』という選択肢を封じられる。
というより、大き過ぎる動きを事前に察知され、完封されてしまう。
大きく体重を移動しようとしたり、両足を地面から離すほどの跳躍をしようなどと思えば、それを察知した蜘蛛が糸袋の射出口を膨縮させてくる。
大きく動けば糸で絡めてやるぞとこれ見よがしに──
「 …嘘 」
…この蜘蛛は…理解しているというのか?こちらの意図を。自分が糸にカウンターを合わせようとしている事を。まだ一度も合わせていないこの段階で?
(…多分…、そう)
だから、糸の射出口を膨縮させながら射出しないなどと…一見して無駄と思える動作を繰り返している。
『糸を待っているようだが、それが分かればこちらもやりようはある』
『多くの礫が飛び交う中、射出される糸を避ける自信がある……それほどの強者だというなら糸を吐かなければいいだけだ』
『かといって大きな隙でも見せてみろ。この至近距離だ。お待ちかねの糸で絡め取ってやる』
物言わぬ蜘蛛だが…憎らしくも雄弁に語っていた。それに反論出来ない自分もいる。
いつの間にか引きずり込まれていた。互いにカウンターを警戒し合う泥沼に──いや、
この蜘蛛にとっては違うのだろう。だだただ攻撃を繰り返すだけで完封出来るのだから。
つまりは一方的有利にいるのだから。むしろ磐石と言っても過言ではないのだから。
一方の香澄は窮地も窮地だ。
糸に狙いを絞ってみれば、その糸を餌に釣られ、こんな不利な状況に引きずり込まれ、
待望の糸はといえば、いまや効果的な牽制に使われている。
結果、行動を大きく制限され、遂には完封されてしまった。
──驚愕、動揺、屈辱、焦燥、様々な懊悩に脳内を荒らされる。
こうなると当然動きの精度が落ちそうになる。
それでもギリギリの所で踏みとどまっているのは単純に、それが出来なければ即死以外にないからだ。
それほどの危険を飲み込んで、それでも現状維持しか望めないハイリスクゼロリターン。
…人はこれを絶体絶命と呼ぶのだろう。
…だと、いうのに。
今の世界は本当に容赦がない。
ここに来て更に上乗せされるとは。
迫っていた──新たな危機が。
蜘蛛の股下から見えるは、糸に巻かれた瀕死の均次。すぐ近くにいる。なのに手が出せない。状況的にひどく遠く感じられた。それなのに、その上でっ、、
──ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド──!!!
均次の、さらに向こう側、迫っていたのだ。進化モンスターの群れが。
暴走機関車のごとき蜘蛛の牽制に恐れをなし、遠目に見ていたはずのそれらが何に目覚めたか、狂乱の特攻を始めていた。
しかもこの特攻は『蜘蛛を倒して警察署に突入する』という本分に立ち返った風に見えて…違う。
『凶気の沙汰』の称号保持者である香澄だからこそ分かる。あのモンスター群から立ち上る巨大な殺気、あれら全ては均次に向けられている。どういう経緯でそうなったか分からないが、間違いない。
蜘蛛はと言えばこの状況を理解しているのかいないのか、モンスター共の特攻を悠然と無視している。後脚四本を地面に埋めたまま香澄への警戒だけ怠らない。
その執着を忌々しく思いながらも依然として連撃を避けるしかない。大量の礫も耐えるしかない。そんな状態に歯噛みしていた──その時。
──ドドドドドドドドドドドドビチャ「ぎいっ!」ビチャ「ぎゃっ!」ビチャ「げぶっ!」ビチャ「ギャンッ!」ビチャ「ギヒャぃッ!」ビチャ「ぎゅぁ…ッ」ビビビビビビビヂヂャ「「「ぎゃぎぐおぼぁげきがごげげごあ!」」」
迫る地響きの中。モンスター共の悲鳴交り。立て続けに鳴る粘着音。
それらを合図に大挙していたモンスター群が突然、総崩れに躓き、倒れたではないか。
それを踏みしだいて迫った後続もだ。踏み越えた先で一斉に躓き倒れてゆく。
それをさらに乗り越えた次の後続も同じように…それが何度も繰り返された。
この惨状を見て察するに──この蜘蛛が均次を振り回してモンスター共にぶつけたあの時。この悪辣な蜘蛛はこちらに突進する過程で粘糸をばら蒔いていただろう。
それも、魔力で出来た不可視の糸を。
察した香澄は、均次の危機回避を祝うはずが、背筋を凍らせていた。
均次を捕らえたあの、如何にも粘着力の高そうな太い糸。あれの他に、こんなものまで備えていたか。
それも、広範囲、満遍なく念入りにばら蒔いていた。用意周到にも自分と戦うこの場を除いて…それはつまり、何を意味しているか。
この巨大蜘蛛は香澄が想像するより、はるかに狡猾な生き物だった。
それは、戦略というものを、組み立てられるほどに。
不可視の糸をばら蒔いたのは、モンスター群を釘付けとするためだけではない。これは香澄との超接近戦も…もしくは、
香澄が均次を見捨てて逃亡を選び、見えざる糸に気付かずに囚われるなら良し。
逆に、糸を見破るか均次を守るためこの場に踏みとどまる、それをするなら体格差を存分に活かし接近戦で圧し潰す。
この蜘蛛は、複数通りに思考の糸を伸ばしていた。明確な意図をもってそれ以外の選択肢を香澄から奪っていた。
そしてこの賢悪にして強大なる蜘蛛が矮小なる人間を相手にこれほどの手間をかけたのは何故か。
それは、均次と香澄の戦闘力がこの場にいるどれよりも異質であり驚異であると判断したからだ。
均次達はリーダー級やジェネラル級といった強者を優先して狩っていた。
モンスター達をのちに殲滅しやすくするため、または蜘蛛にこれ以上レベルアップさせないために。
そしてその判断は妥当なものである、はずだった──この蜘蛛が相手でなければ。
警察署の屋上から俯瞰しながら、蜘蛛は即座に、均次達が驚異と認めた。なのに即座の排除を選ばなかった。それは何故か。
均次達の戦力を分析するためだった。
だから出来ていた。
事前に知る事が。
均次の異様なる攻撃力を。
その攻撃力をどう封じるかも。
香澄の仕留めにくさを。
仕留めにくいなりに追い詰める方法も。
この蜘蛛が屋上という地形的有利をあえて捨てた事をずっと不気味に思っていた香澄も、ここにきてやっと気付いた。
高低差の有利を捨ててまで奇襲を選んだのは、それが有利ではないと知ったため。
一撃で倒される可能性がある。それを知って待ちの態勢など愚の骨頂。
不意打ちしかない。最優先で潰したいのだから都合もいい。殺せずとも確実に戦闘不能とする。彼が有する破格の攻撃力を潰す。これは絶対の条件、それを知っていたのだ。
それが成功した後、ついでのようにモンスター共に急接近したのは油断ではない。
恐怖を植え付けるという牽制と、不可視の糸をばら蒔くため。
牽制を超えてモンスター達が殺到した時に備えかつ、何者も邪魔出来ない環境下で香澄をじっくり磨り潰すため──ここまでを──
この蜘蛛は、まさか、最初から決めていたというのか。そして今、
( その通り に…?)
あまりの事に、香澄は自分が何を感じているかすら分からない。
これが恐怖である事を。
その先にはまだ不吉がある事を。
それが確定の絶望である事も。
彼女はまだ理解出来ていなかった。
その絶望をこそ乗り越える。
それが死闘の本質である事も。




